早起きしてモーニングを
そして本日。ふたたび、土曜日。
ものすごくよく晴れていて、先週解禁したクーラーを、今日はほぼずっとつけっぱなし。しんどくて何もする気がわかないよりは、電気代を払ってたのしく過ごす方がいいやと思って。もちろん節約はしたいけれど。
暑くてアイスばかり食べていると、それはそれで贅沢だし。
と言いつつ、今日も食べた。恋人が数日前に買っていて、結局食べずに残っていたアイスクリーム。アイスまんじゅうとメロンジェラートがあって、わたしはずっと気になっていた後者をもらった。
すごく久しぶりに大きなTVでゲームもしたりして、夏休みじみた休日。もうずいぶん楽しんだのに、まだ夜の8時とは。
そもそも、今日はスタートが早かった。金曜日の晩はスムージーだけだったので、おなかが空いて8時前に目が覚める。体も軽いし、どうせ2食になりがちなら平日は晩ごはんを置き換えて、朝と昼に好きなものを食べる生活にしよう…。
もちろん、会食や会合で重いものを夜に食べなくちゃいけない日もあるので、そのときはしかたがないけれど。
というわけで、食欲に導かれるままにした早起き。
たまっていた洗濯物をすぐに回し、その間にストレッチをしたくなって、思いついてラジオ体操(!)をする。陽気な音楽。わーなつかしい。わたしは早起きが苦手で、小学生のときも高学年になってからは、ほとんどサボっていたことを思い出す。
はんこを押してもらうシステムだった年だけ、しぶしぶ通ったっけ。1回行って同じ柄のはんこを探そうと思ったことも覚えているのだけれど、わりに小心者だったのでそのまませっせと通った。
背中を伸ばす運動がけっこうしんどくて、体がかちこちになっていることを実感。もうすぐ夏休み習慣だし、ちょっとこの夏はラジオ体操を日課にしてみようかなあ。
洗濯機に呼ばれるまで本を読んで待つ。今読んでいるのは久しぶりにエッセイ。でも森作品週刊はまだ継続中。
毎日は笑わない工学博士たち―I Say Essay Everyday (幻冬舎文庫)
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2002/08
- メディア: 文庫
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わたしがはじめて森さんの作品を認識したのは、中学生のときはじめて足を踏み入れた図書館の大人の本ゾーンで見かけた『すべてがEになる』というふしぎなタイトルのエッセイだったので、ちょっとなつかしい。
買った時から挟まっていたしおりが、ちょっと変わっていてかわいかった。
森作品としおりといえば、先週まで読んでいた『月は幽咽のデバイス』は久々に再読したもので、ぱらぱらめくっていたら、もうなくしたと思っていたしおりがぽろっと出てきてびっくりした。
しおり単体で買ったわけではなく、ペーパーブックカバーのセットについていたもの。今はもうない吉祥寺の雑貨屋さんで買ったやつだ。ピンクのギンガムチェックなんてなかなか自分では選ばないけれど、ついてくるとうれしい。
このペーパーカバーシリーズはいまでもかなり気に入っていて、このカバーをかけた本は、ずらっと本棚のいちばんいいところに飾ってある。
エッセイはインターネット黎明期のもので、今回はそこがすごく興味深かった。前回読んだ時は大学生だったので、大学に関する記述が面白かったんだけど。
3月まで読んだところでできあがってきた洗濯ものを干す。そして、9時過ぎにはご近所の喫茶店にモーニングへ。
去年地元に帰省したときにはじめてコメダ珈琲でモーニングを食べて以来、ちょっと喫茶店での朝ごはんが気になっていたのだ。もっとも、いざ行ってみたら、モーニングではなく、結局、気になった単品同士の組み合わせにしてしまった。
シンプルなたまごサンドとハムチーズサンド。奇をてらったところがなくて、しみじみおいしい。久しぶりに、家でも耳がないパンでサンドイッチが作りたくなる味。
調味料はマヨネーズと塩コショウだけのハムときゅうりのサンドイッチに、ゆでたまごをつぶしてこちらもマヨネーズと塩コショウだけで味付けしたサンドイッチ。ブルーベリージャムサンドがあってもいい。
できあがったらラップをかけて、厚ぼったい辞典や図鑑を持ってきて、ぎゅうっと重しをしてなじませて待っている時間もたのしかった。
ともかくお米がきらいな高校生だったので、お弁当嫌いで母にはずいぶんと迷惑をかけたのだけれど、サンドイッチのお弁当のときはほんとうにうれしかったことを覚えている。
家で朝ごはんとして出てくるのは圧倒的に休日のことが多くて、それがしあわせな記憶である一因かも。
母が結婚する前後に買ったというこのケーキ・ブックには、たしかサンドイッチのレシピも載っていて、それを見ながらロールパンで作ったりもした。
この本からnon-noに触れたから、わたしはしばらく、non-noをファッション誌じゃなくて料理雑誌だと思ってたんだっけ。 苺を見るといまだにちょっとドキドキするのも、この本の中に載っていたエッセイのせいだと思う。
それにしても、喫茶店、いいな。カフェ好きは引き続きだけど、今年はちょっと喫茶店も開拓してみよう。
なんだかやたらと前向きな土曜日。これが早起きの威力なら、わたしはそうとう単純でハッピーだなあ。
Snack
海賊を観に行ったのと同じ土曜日。
ぐったりとお昼寝をして体力が回復した後は、さいたまスーパーアリーナへ。久しぶりにライブを観に。自分で一度取ってうっかり流してしまっていたライブだったので、お誘いを受けて、それはもうほくほくと行ってきた。
「あんまりいい席じゃないかも……」ということだったのだけれど、いざ会場に入ってみると、たしかにスタンドだけど観やすくてちょうどいい席。
JUJUさんのSnack JuJu さいたまスーパーアリーナ店。ゲートの入口が猫モチーフでかわいかったのに、撮ったはずの写真が保存できてなかった。残念。なので、残っていたフォトはこちらのみ。
この番組で今回のライブのことを知ったので、記念に。
それにしても、さいたまスーパーアリーナって席に着くまでが遠い。代々木のコンパクトさに慣れてしまっているせいかもしれないけれど。
たしかここでライブを観たのって、2015年の西野カナ先生が最後では……。そもそも、ライブ自体にあんまり行けてないからなぁ。2017年の残り半分は、もう少しライブにも行こうー。
たまアリに来るといつも誘惑される他のお客さんが買ったケンタッキーの匂いをやり過ごしながら着席。
実はライブの元になったアルバムは聞けていなかったのだけれど、社会人になってから知った曲と懐かしの「速報! 詩の大辞テン」で聞いて知っていた歌で8割くらいカバーできたので問題なく。
よっぽどのことじゃない限り、個人的にはアリーナよりもスタンド前列が快適で好きなので、自由に立ったり座ったりして楽しんだ。
たまアリに響く「はーどっこい!」の合唱が面白かった。
母がよくカラオケで歌っていた歌も数曲あって、わたしの年代なら親と行っても喜んでもらえたのかもしれない。
最後のアンコールでJUJUに戻って歌ってくれたオリジナル曲がどれも好きな曲で、更に満足して帰路へ。
すぐには電車に乗れないかなあと思ったのだけれど、終了時刻が8時過ぎととても速いので、近くでごはんを食べて帰るお客さんが何割かいるのか、するっと最初に来た電車に乗れた。
東京まで戻って、わたしたちも「今日はお酒を飲むしかない」ということで、おいしいお肉とお酒を堪能して一日を終了。
ジャズのアルバムは好きで休日よく流しているので、8月にBlue Note Tokyoでやるらしいジャスライブにもすごく行きたい…けど、日程的に無理かなあ。
DELICIOUS~JUJU's JAZZ 2nd Dish~
- アーティスト: JUJU
- 出版社/メーカー: SMAR
- 発売日: 2013/06/26
- メディア: CD
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第1弾も第2弾もかわいいんだけれど、第2弾のジャケットが特にかわいくて好きなアルバム。
スヌーピーとジャズの組み合わせってほんとうにかわいい。
海賊のいる夏
先日のこと。
活動的な土曜日。朝一番の回の映画を観に。公開初日の初回に映画を観るなんて、いつの何以来だろう? お久しぶりねのPOTC。
遅刻ギリギリになってしまい、ばたばたと駆けこんだ劇場の入口で、受け付けの際にチケットの半券以上のものが返ってきて、そういえば、映画って早期来場者特典とかやってるんだよなあ、ということを思い出したりした。
小さなクリアファイルと中にはポストカードが2枚。1枚はPOTCの本ポスターで、もう1枚は宣伝用の別作品のものだった。
こうして見ると、先日久しぶりにTVで観た1のジャックは、たしかに目元周りのお化粧が薄かったんだなあ。
映画の具体的な感想はネタバレになるので控えるけれど、ものすごく第1作目のファンを意識して作ったんだろうなあという感じ。ところどころオマージュっぽいシーンもあったりして心愉しい。
1~3のPOTCが好きだった層へ向けてあの頃のPOTCをもう一度、という心意気がビシバシ伝わってくる。
わたしは根っからの懐古主義者なので、おおむね大変楽しく観た。
本題に入るまでがとってもとっても長いので、単純に映画の作りとしては、ちょっとどうかなあと思うところもあったけど。そこも含めてファンサービスのためという感じはする。
それからウィル・ターナー偏愛家としては、ほぼ何の活躍もしないのでそこはかなりさびしい。新しい時代に新しいPOTCをという趣旨の企画ならいいのだけれど、めちゃめちゃオリジナル至上主義感あふれる企画だったので、せめてもう少し出してほしかった…。
まあ、この本ポスターに嘘偽りのない内容ではある。観終わった後だと、バルボッサはもっともっと大きくてもいいのでは、というくらいかしら。
それにしても若かりしジャック・スパロウとウィルの息子・ヘンリーがものすごーくそれぞれオリジナルとお父さんに似ていて、そこがいちばんびっくりした。
どちらも顔が生き写しというよりは、声かなあ。
何はともあれ、こんなに時間が経ってまた、POTCの新作を映画館で観られるなんて。とはいえ時は確実に過ぎていて、今回の鑑賞は4DXで。ずっと動いていて、霧が出たり水を浴びたり、完全にアトラクション気分。朝からTDLに行ったみたいだった。
ずいぶんと遊び疲れて、帰ってきてから何もせず、くったりと冷房の効いた部屋で眠ってしまったくらい。
そういえばせっかく買ったポップコーンは、ほとんど食べなかった。たくさんいい映画は観たけれど、ポップコーンがいらないくらい夢中になってしまうなんて、久しぶりだ。
海賊のいる夏は、やっぱりとびきりに楽しい。
髪どめ、あるいは自意識の話
火曜日。月曜日にかけなかった分、今日はエンジンをがんがんかけて、今週の嫌なことは全部終わらせた。はー、がんばった。もう残りの3日はやりたくないけどやらなくちゃならないことが残っていない状態。
その分、朝ごはんもお昼ごはんも晩ごはんも食べ損ねて、こんな時間にジャンクなコンビニめし。むーん。明日はちゃんと3食きちんとその場で調理されたものを食べよう。
家に帰ったら音楽がかかっていたので、TVはつけずに、本を読みながら適当なごはんを食べる。歩いて帰ると、クーラーをかけていない家の中は少し暑い。
食後は、お湯をわかしてコーヒーを淹れて、火曜日にしては上等な夜の使い方。日曜日から読んでいた『夏のレプリカ』を読了。
本を読んでいる間は邪魔になるので、どこで買ったのかわからないピンで前髪を止めていた。
そろそろ切りたいなと思いながらしばらく前髪を伸ばしているので、家ではすぐにピンを使ってしまう。まだぜんぶがしがしまとめてオールバックのポニーテールにするほどは長くないのでとっても中途半端。
このタイプのピンって、わたしがよくピンを使っていた学生時代にはあんまりなかったと思うのだけれど、今はけっこう主流なのね。
こんな造りでとまるのかなあと疑心暗鬼だったけれど、これが意外にしっかりとまってずれたりもしない。
ここ一年くらいでものすごく増えた星モチーフもだけれど、色使いが好き。甘くないカラフルさが気に入っている。(HKT48の『最高かよ』の衣装みたいな感じ)
クリアな素材なところもチープで夏っぽくてかわいい。実際、たしか3coinsとかで買ったんじゃなかったかなあ。
でも、ピンって数あるヘアアクセサリーの中でも、ダントツで女子っぽいアイテムだと思うので、外にはぜったいにしていけない。
色のついたピンを何本もさしてるのとか、こういうモチーフつきのピンって、なんだかすごく「女子っぽい」。ピンをして表に出るくらいなら、キラキラしたカチューシャの方がまだ恥ずかしくないかもしれない。
たぶん、前髪にこだわるのがだいたい10代のときで、そのときに使った(あるいは友達が使っていた)記憶が根強いからなんだろうなあ。
もっと女子っぽいアイテムのリボンのついた髪どめはぜんぜん恥ずかしげもなくつけられるので、刷り込みっておもしろい。
リボンはむしろ女子っぽすぎて10代の頃にはあんまり自分も、まわりもつけていなかったから。
結局人って、8割がた10代のときの刷り込みでできてるのだ。少なくとも、わたしはそう。
そして、わたしの10代でいちばん輝かしかったヘアアクセサリーがピンだったというだけのこと。たぶんリボンがめちゃくちゃ流行ってたら、今気恥ずかしかったのはリボンだと思う。
もっとも、リボンは20代になってから流行ったので、今のところ気恥ずかしさは薄い。
今も、スカーフでできたリボンのヘアゴムでざくざくローポニーにして、PCをぱちぱち打っているけれど、このままコンビニ以上のところにもぜんぜん行ける。
まあスカーフという素材が大人っぽいというのも、おおいにあるけれど。
それにしても、ほんとうにしみじみ家の中がむしむしと暑い。去年の同じ時期の日記を読み返したらもうサマーブランケットに変え、もらった扇風機をいそいそと稼働させていた。
来年の自分がこれを読み返してそろそろ涼を感じる施策を講じているといいけれど、とまで書いてあって笑ってしまう。
扇風機、つけようかなあ。クーラーはもう少しがまんしたいしなあ。
とりあえず、サマーブランケットは昨晩解禁した。そんな6月最後の火曜日。そうか。20代の6月はもうこれが最後なんだな。
Are you a summer girl?
月曜日。しんどくて重い。行ってやるべきことをやっただけでえらかった、の日。
だいたいそれで死ぬほど重い月曜日を過ごすことになるので、今日はほんとうにがんばらない一日で終わって、ちょっと拍子抜けした。
月曜日と金曜日はエンジンをかけ損ねたり、もう止めかけたりしてしまっているので実質フルスロットルで仕事をしているのって3日だけなのかも……。でもそうじゃなきゃ社会人を続けていけないという気もする。
今日は、行きも帰りも昔のブログを読んでいたのだけれど、21歳で考えていたことと今考えていることがぜんぜん変わっていなくて、人の中身というのは、だいたい10代の内に出来上がってしまうんだなあと思う。
最近、「これわたしのことじゃん」と思って買ったノートに当時と同じ形式で紙の日記をつけていたところなので、なおさら懐かしさよりも地続き感を感じる。
今日は久しぶりにきちんと土日とあわせて3日分の3年日記も付けた。
晩ごはんは自炊。奮発していいお肉を買ったのでうきうき。ごはんを少し多めに炊いてその間にお味噌汁やらおかずやらをつくる。
どうしても甘いたまねぎのソテーともやしのソテー両方を食べたかったので、どちらも炒め、ついでに舞茸も炒めてもりだくさんに。塩とわさび醤油とニンニク醤油を用意して、お好みで食べる。
晩ごはんが終わって、iPhoneで2005年のサンマリノを見ていたら、いつのまにかキッチンも含めて、水回りの片付けをすべて恋人がやってくれた。ありがたい。
そして、鬼の衣替えの最後にまで手を付けているのを横目に見ながら、わたしはすっかりきれいに片付いた書斎でごろごろしている。
衣替えは、何週か前の土日に、わたしが8割方やって、ぱたりと飽きて放置していたもの。やらなきゃいけないことの一番めんどくさい部分を残すのが悪い癖なのは、もうずっと前からわかってるんだけどなー。今更変われない。
カビキラーの匂いがするお風呂をちら見して、バスルームでメイクを落としているとなんだかプールの時間みたい。プールにメイクをして行ったことなんてないのに、人の記憶は都合よくねじ曲がるものだ。
そういえば、このカードを壁から剥がそう剥がそうと思っている間に、またこの季節がきてしまった。
夏は疲れるし、生きてるだけでぐったりするし、ちっとも得意なシーズンじゃないのに、「夏の」という言葉だけは涙が出るくらいまぶしい。
君に読む物語
日曜日の夜。眠るまでは日曜日だと思って、今週も少し休日を延長している。
雨が上がった夜は窓を閉め切ってPCを使っていると、もうだいぶ暑くて、アイスが食べたくなるけどそれはがまん。
昨日は土曜日なので、アイスクリームを食べた。わたしはこの数年ですっかり好きになったチョコミント。そして一口もらった今年最初の白くま。練乳の甘さってほんとうに罪。
録っていた『水曜どうでしょう』を見て、『久保みねヒャダ』を見て、『マツコの知らない世界』を見ていたら、そろそろTVを消す? ということになって今は音楽を流している。
雨の匂いがする日はついついかけてしまうノラ・ジョーンズ。
アルバム1枚分聞いたので、ツタプレでリストを選んで流していたら、「かわいい声だなあ」と思う曲がヒラリー・ダフのもので、懐かしくなって昔のはてなダイアリーを開く。
元来、ものすごく自己肯定感が強いので、久しぶりに読み返していたらすごくたのしくなってしまった。
2006年の日曜日にも、「休みに飽きるというのがわからない。一生休んでられる」と綴っていて、ちっとも変っていなくてほっとする。
最初のダイアリーは、ミハエルのF1引退を受けての記事。2006年の10月。もう10年以上前のことだ。
引退までの残り数レースを祈るように、それでいておそろしくハイに見届けているダイアリーが続いて、それと並行してだんだんとジェフリー・バトルにはまっていっているのがわかる。
実際には、ミハエル・シューマッハというレーサーを好きになったのは、2005年のサン・マリノ。ラスト24周。ジェフリー・バトルというフィギュアスケーターを好きになったのは、2005年GPFのEXで彼がポジションについた瞬間。
それを振り返っている記述があって、一気にその瞬間に引き戻される。
そしてちょっとびっくりしたんだけれど、はてなダイアリーのときには1日1記事と自分の中で決めていなかったから、日に何回もカテゴリーを区切って投稿していた。その分、誰かや何かを好きになっていく過程もライブ感があっておもしろい。
わたしはだいたい誰かを好きになる場合、「後から思えばあれば転機だった」というのではなく、「これがきっかけになる」と強く意識しながらその瞬間を見届けるタイプなのだけれど、このふたりを好きになった瞬間のことがリアルに綴られていて、そうそうそうだったよなあと。
忘れていたわけではないのに、びっくりするくらい気持ちがライブに胸の中に戻ってきて、ちょっと新鮮。
気持ちを冷凍保存するには、やっぱりリアルタイムのメモ書きがいちばんだと思う。
子どものときに読んだこの本の、「箇条書きのメモさえ取っておけば、そのとき何があったかはすぐに思い出せる」という一節を、わたしは小学生のときから後生大事に守っているのだけれど、実際人生でいちばん役に立っている学びかもしれない。
すらすら作文が書ける (ドラえもんの学習シリーズ―ドラえもんの国語おもしろ攻略)
- 作者: 方倉陽二
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1994/08/01
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何かあれば、メモ。それだけで、通り過ぎていく時間が、思い出に変わる。
今ここでぜんぶを急いでまとめなくてもいい、反芻すればいいんだというのは、すごく新鮮な気づきだった。
それにしても、ミハエルがまさかこんなことになるなんて、1mmも思っていないころの日記。
もしかしたら、郷愁を誘われるのかななんて思ったら、そんな生易しい感傷ではなく、「ともかく今すぐあのレースをもう一度観たい」という強烈なわくわくが湧き上がってきた。
2006年のレースは何個かDVDに焼いてある。地上波から撤退してしまって以来、すっかりF1を見る習慣がなくなったけれど、今週は棚をひっくり返して、あのDVDをもう一度探して見てみようかなあ。
My SHIBUYA
この間の日曜日、渋谷とは思えないゆったりした時間を、B1Fで過ごした。
天気が悪いわけでもなく、朝早いわけでもないのに、ぽかんとまるでそこだけ違う時空の中に存在するように静かだったFrancfrancカフェ。
お店なのに誰かのおうちにいるような感覚で、それはつまり、わたしたちの年代の「自分の部屋」がそれだけFrancfrancでできているということなんだろう。わたしもひとり暮らしすると決まった時にはうきうきしてFrancfrancを覗いたなあ。
趣味の違う妹と、さあふたり暮らしをするぞというときに覗いたのも、ここだった。
そうやって見つけたもので、今の家までずっといっしょに引越しをしてきているものも、たくさんある。つい最近もちょこちょこと小物を買ったし。
この日も、数年前に買ったシャンプーやコンディショナーのディスペンサーがダメになってしまったので、新調しに行ったのだった。結局、まったく同じものはもう売っていなくて、今度は中身が見えるタイプのやつにした。
詰め替えるという行為がこんなにも親しくなったのは、ここ数年の話だし、こわれてしまったディスペンサーはまさにそのきっかけでもあったので、ちょっとさみしかったのだけれど、やっぱり新しいものはうれしい。
いくつになっても単純なわたし。
そうそう、そして、お会計の際にこのカフェのクーポンをもらい、行こうと思っていたランチのお店が開くのを待つ間、こちらで過ごすことに。
ちょっとだけの滞在だったのがもったいないくらい、快適な空間。カフェラテはもちろんオリジナルのマグで出してくれる。
wi-fiがあり、席によってはコンセントがありというかなり至れり尽くせりな環境で、本を読んだり作業をするにはもってこいの場所。ほんと、なんであんなに空いていたんだろう……?
慌ただしく出て向かったランチのお店が満員で入れなかったので、もっとゆっくりしていけばよかったと思ったくらい。
都会というのは、ふいにそのど真ん中に、こうやってふしぎな静寂スポットがあるからおもしろい。
お昼は何かは食べられるでしょう、ということであっさり方針を変えてヒカリエへ。
ちょうどお昼時だったので、お店に寄ってはおそろしい列ができていたけれど、するりと入れた肉バルで。
お昼からステーキを食べて大満足。パンもおいしかったし、つけあわせのマカロニチーズがなんだか妙にツボだった。
さくっとランチをした後、そのままぷらぷらとショッピング。ウィンドウのつもりだったのだけれど、存外真剣にリュックを探し始めた恋人につきあっている内に、だんだん本気のショッピングに。
おやつの時間くらいまでヒカリエを堪能して、あまり遅くならない内に帰宅した。
18のときの方が渋谷はこわかったなあ、と思う。今は派手なあの街とずいぶん親しくなり、自分が快適に過ごせる場所をすっといくつも思い浮かべることができる。ヒカリエができて大人が増えたことも大きな理由だと思うけれど。
あの春、『蒼の乱』で通って以来、ヒカリエはずっと渋谷でいちばん好きな場所だ。
そろそろ何か舞台も観に行きたいなあと思った、静かな渋谷の一日だった。