秋のことはじめ
寒い。晴れているのに寒くて、ああもうだめだこれは秋だ、と白旗を上げたのは2日前のこと。
書斎の隅で眠らせていたヒーターを稼働させ、久しぶりにブレーカーのことを気にしながら、ドライヤーを使った。
8か月ぶりにつけたヒーターは、眠っていたのが嘘のようにすぐにきちんとあたたまってくれて、電化製品と言うのはほんとうにかしこい。今年の秋はじめて、ぬくぬくしながら歯磨きをした。
それにしても、寒い。
外を歩くとそうでもないのだけれど、この家は夏でもひんやりしている分、秋から冬にかけてはほんとによく冷える気がする。すぐにドアとカーテンを開け放つせいかもしれないけれど。
今は、昼間からキャンドルを灯し、最近淹れたコーヒーがすぐに冷めてしまうので、淹れたそばから慌てて胃に収めながら、久しぶりにダイニングテーブルでパソコンに向かっているところ。
子どもの頃、妹と2人で使う子ども部屋にちゃんと勉強机を持っていて、しかも子ども部屋はリビングの隣だったので、実を言うとあんまりダイニングテーブルで勉強をした覚えはない。
高校生の時にはリビングにコタツが導入されたので、そこでは受験勉強を朝方までやったものだけれども。
そして今に至るまで、家計簿と言うものをつける甲斐性もないまま大人になってしまったので、ダイニングテーブルで日常的に何か作業をするということから、とんと遠い人生だった。
にもかかわらず、こうして座ってパソコンを開いてみると、「何か作業をするにはここしかない」と思うから不思議だ。
キャンドルからはパチパチと薪がはぜるような音が聞こえていて、とてもあたたかな空気。
WoodWickというアメリカのブランドのようで、芯が木製(?)らしく、火を点けるとパチパチと音が鳴る。お店で見かけたときのひとめぼれは、こちらのリザーブジャーだったのだけれど、香りがもう少しやわらないものがよくて、普通のジャータイプに。
WoodWick(ウッドウィック) WoodWickリザーブジャー「 ドリフトウッド 」 キャンドル 85x85x115mm (W924051001)
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きれいなブルーにレザーのハングタグ! 写真を見ると改めてときめく。
ただ、テーマが「キャンプをしている大人の男の休日をイメージ」 されたものらしく、やはりちょっとかっこいい香りのラインナップみたい。
小さなジャーはベリー系の香りまで取り揃えられていて、かわいらしくやわらかな香りが多かった。
連れ帰ったのは、中ではユニセックスな部類であろう"Fireside"という香り。
アンバーとムスクというあたたかな香りで、灯している間の音と香りはもちろん、火を消した後に長く甘い残り香が続くことが気に入って、最近よく灯している。
キャンドルとせっけんに関しては、買うのも好きだし頂き物でもよく頂くしでどんどんたまっていく。
なのに、もったいなくてなかなか使えず、引越しのたびにしまいこみどこにやったか忘れる……というのをここ数年繰り返していたので、そろそろなんでも好きなものはどんどん使って楽しむ方向にシフトしようと。
夏のキャンドルもロマンチックだけれど、やっぱり寒い季節には炎のあたたかさがよく似合うし。
直接的にあたたかさを求めるために、先週の金曜日は、毛糸のくつしたも解禁した。
今年はパープルをベースに白が編み込まれたものを。こういうざっくりとした編地がわたしはほんとうに好きで、でも意外と風を通すので服で着るのは寒くて苦手。
さっそくこの週末は、風が吹かない室内で、ざっくりした肌触りを心行くまで楽しんでいる。毛糸にあたためられた足先はあまりに快適で、なぜ今までやせ我慢をしていたのか不思議になるくらい。
そうして少しずつ秋を楽しみ始めると俄然冬も待ち遠しくなり、玄関に置くスリッパも、クリスマスに焦がれたノルディック柄を引っ張り出してきた。
夏前から止まっていたかけ時計の電池も変え、リースを出す準備もはじめると、どんどん楽しくなってきたから、準備という行為は偉大だ。
ちなみに、暖房はとっくに解禁されている。
今年はヒーターを使ったのは11月に入ってからなので、だいぶがんばった…と思って昨年の日記を振り返ってみたら、むしろ昨年は12月半ばまで暖房をつけずにがんばっていた。
……ちょっと今付けている暖房、消そうかしらという気持ちになる。
そういう意味では、この日記はほんとうに備忘録としての意味合いが強くて、毎年そう思うからこそ、ずいぶん後からでも、クーラーをつけた日や暖房をつけた日は、何がなくとも記録しているんだと思うとちょっとおかしい。
来年のわたしのために、今年の秋は、11月4日から正式にはじめたことを記しておこうと思う。もう少し暖房は我慢してもいいよ。
桜に間に合った一年
過ぎ去っていく春の中で、そういえば、今年は数年越しの桜を見たのだった。夏に夏にと気持ちが急いているけれど、あの一日を思い返すと春もいいものだったなあ、と口元がほころぶ。
思い返してみると、東京に来てからプライベートでお花見をしなかったのは、昨年だけだ。
場所は色々だけれど、毎年どこかでお酒やお弁当片手に桜は見上げていて、なかなか公園まで辿り着けなかった年でも、一駅手前で降りて歩き、並木桜を眺めながら帰ったり。
それもあって、今年こそは、東京にやって来て最初に見た桜を、そろそろもう一度見に行きたいなあと思っていた。
実は、働き始めた翌年、電車に乗った。
ただ、意気揚々と向かった先で、しとしととまさかの雨に降られて以来、なんとなく足を延ばすのが億劫で、ずっと行けていなかった場所。
地元のお店がささやかな屋台を出し、たくさんのお花見客もいるのに、広い道路の両側に、桜があまりにもたっぷりと咲き誇っていて、なぜだか全体的にとても静かだ。
ここの桜の咲き方を見るたびに、わたしは「しゃあしゃあと咲く」という表現を思い出す。
とても立派なのに、なぜかあまり威風堂々という感じはなくて、どこまでも健やかにあけっぴろげに咲いている感じ。
着いたのはお昼過ぎで、おなかが空き過ぎて、静かながらもお祭りの匂いが漂う道に甘えて、駅前のマクドナルドでフライドポテトを買い、食べながら歩く。
すれ違う人も、だいたい何かしら手に持ったものを口に運んでいて、既にたっぷり空いたビールの缶を持って駅へ戻ってくるグループもいる。
ゆっくりゆっくり進んでいる間、見上げても見上げても広がる桜色の空に、それだけで満足してしまいそうになりながらも、せっかく来たので、お目当ての場所まで歩いた。
特等席は、太い道路の上に渡った歩道橋の上で、それを知っている人々でみっしりと賑わっている。
少し順番を待って上がると、見渡す限りの桜並木。階段を上がり下がりしているときには、手を伸ばせば触れられそうな距離にある桜をぱしゃぱしゃと写真に収める。
残念ながら、ほんの少し曇っていたので、もう一度近いうちに、ぴかぴかに晴れた日に、ここからこうしてこの景色を眺めたいなあ、と思う。もうちょっとゆっくり。もうちょっとぼうっと日常の風景として。
はたして有給を取って平日に来たところで、この混雑がないのかどうかは未知数だけれど。
少し歩けば小さな公園があって、そこであれば座ってゆっくり見られそうだなあと思いつつ、だいぶ桜には満足したので、反対側の通りに降りてそちらの空を見上げながら駅の方へ向かう。
通りには評判のケーキ屋さんがあって、もし空いていれば…と覗いてみると、そちらもしっかり混んでいた。
あの歩道橋で桜を眺めた人は、みんなここに吸い込まれているんじゃないかと言うくらい。
するすると列に吸収され、生菓子は頼めないままお会計の順番が来てしまい、焼き菓子と紅茶だけを買って外に出た。シュークリームとエクレアが美味しそうで、ちょっと心残り。
他の花を見てもおなかは空かないのに、桜を見ているとなぜかおそろしく食欲がわく。何か食べたいなあとふらふら歩いていて、お店を決める間も我慢できず、海苔巻きを買った。
河童巻きと迷って恋人が決めた、かんぴょう巻という渋いセレクトを齧りながら、駅からまた少し別方向に歩いて、最終的に最初からちらちら視界に入っていたお店に落ち着いた。
ホットサンド専門店、という看板が掲げられた小さなお店は、テイクアウトもやっているようで、チーズの溶けるいい匂いをふわふわと道まで漂わせている。
散々歩いた後だったので、お店に入ってゆっくりすることに。
前日似たようなものを食べたばかりだったので、ふだんであれば確実に頼んでいるローストビーフとマッシュポテトはやめ、厚切りベーコンとパルミジャーノとモッツァレラをオーダーし、奥の席へ。
結果的には「好きなものなら3食連続でもOK」と言う恋人が件のローストビーフのサンドイッチを頼んだので、気になっていたそちらも一口もらうことができた。
まだ少し肌寒くて、ジンジャーエールは飲みきれないくらい。でも、次の週末にはあらかた散ってしまったようなので、よかったかな。
季節のイベントはどんどん前倒しで街を賑やかすようになり、少々うっかりしてても大丈夫だけど、桜だけは週末の都合を待ってくれないままだ。
だから、桜に間に合った年はなんだかいい一年になりそうな気がする。
というようなことを、5月頃に書いていて、たしかに今のところ2016年は悪くない一年だ。
それにしても5か月があっという間だったなあ。来年は、桜に間に合う年になるのだろうか、なんて心配がもう遠い未来のことじゃないなんて。
Autumn in the Room
もはや寒い。10月もちょうど半分。
そろそろヒーターの季節かしらとこの日記を振り返ってみたら、去年はもう既にヒーターを付けていた*1。そう考えれば、今年はまだ少しあたたかいのかもしれない。
昼間はとてもとてもいい天気で、今年はもう少しねばろうと思い、部屋着にパーカートレーナーをかぶってやり過ごすことにした。重いカーテンを開け放った窓辺にいると、きらきらとあたたかい。
9時過ぎには目が覚めて、朝ごはん。二度寝しようかと思ったけれど、それには少し寝覚めがよすぎた。寝たのは3時過ぎだったのに、ふしぎ。
たまごとチーズとソーセージが焼かれている間に横で、ブルーベリーがたっぷり巻き込まれたパンを焼き戻して、あたたかい紅茶を淹れる。
Janatのアールグレイはびっくりするくらい華やかなベルガモットの匂いがして、ティーバッグなのに贅沢な気分。寝ぼけていても起きてすぐにあたたかい飲み物が安全においしく飲めるので、ティーバッグもウォーターサーバーもすばらしい発明だと思う。
ミニトマトとマスカットとぶどうも、ガラスのお皿に盛られてスタンバイし、すこやかな朝。
スクランブルエッグを食べ、カチョカヴァロを食べ、あまりにたっぷりした大きさに食べながらもう一度あたため直して最後まであたたかく食べたソーセージと、追加でもう1枚焼いたパンまで胃に収める。
スピーカーからは珍しくiTunesが全シャッフルで流れていて、少しぬるくなった紅茶をすすったときには数か月ぶりに聞くアンジェラ・アキが流れていた。
アルバム『BLUE』の中に入っている「You and I」で、わたしはこの曲のベートーベンのくだりがとても好き。
嫌なことがあるとこの歌のその部分を頭の中で流してみて、「たいしてそれほど今嫌な気持ちじゃないな」と確認する。
歌詞とはちがい、あくびをしたのはわたしの方で、恋人はすっかり覚醒した顔でつめたいミルクを飲んでいた。
キッチンをまかせて洗濯物を干していると、いつのまにかスピーカーからは、ここ半年ほど休日の午前中によくかかっているLittle Glee Monsterがかかっていた。伸びやかでするりと秋の空を割って天に届くような、気持ちのいい歌声。
梅雨の時期から聴いているけれど、秋になってからの方が耳に気持ちいい気がする。にぎやかで明るくて、青空がよく似合って、なんだか運動会みたいな音楽だ。
蜂蜜を落としたカフェオレを手に、伸びやかな音楽の中でごろごろ。
恋人が買ったという新しい靴を見せてもらったら、俄然わたしも買い物熱が湧いてきて、ネットショッピングを。
靴を買うつもりが、既に(!)セールになっていたシンプルなニットを買ったり、それにすっかり満足して『ネクロポリス』を読み返したりしていたら、いつのまにか少し日が落ちていたので、靴下を履きブランケットをかぶってソファーに寝転がって過ごした。
焼き菓子にまみれている休日なので、紅茶を淹れたくなり、紅茶を淹れるとこの本が読みたくなる。
そして、この本を読むといつもなぜか『ハリー・ポッター』が観たくなるんだよなあ。
と思いつつ、夕方、突如として『Re: ゼロから始める異世界生活』を観始める。リアルタイムで1話を観ていたのだけれど、当時はノリに乗り切れず離脱してしまっていた。
この間、ひっそり推しているAKB48の岡田奈々ちゃんが、じゃんけん大会でコスプレをしていたので、ここらでもう一度観てみようかな、と。
3話までは、やはりなかなかノリに付いていけずに「うーむ」と思っていたのだけれど、4話からは怒涛! 今はするすると12話まで観て、まだ半分という事に安堵しているところ。
でも、熱が醒めるまでに見終えられるかなあ……。
観ている間にすっかり日が暮れて、今更晩ごはんの買い物に行くのも億劫になり、冷蔵庫と冷凍庫の中を一掃して、簡単でめちゃくちゃな献立の晩ごはんを作って食べる。
菜っ葉のお味噌汁にチーズ入りの餃子、舞茸とベーコンの炒めもの、きゅうりの浅漬けというあっさりしているのかいないのかわからないメニュー。
食後、そういえばもうクリスマスコフレの時期じゃないの、と思いながら美容誌をぱらぱらめくり、そこかしこに踊る2017年という数字をしみじみと眺めた。
もう一年経つのか……。一年って、月並みな言葉だけれどほんとうに早い。ヒーターを買ってからもうすぐ二度目の冬が来るなんて、うそみたいだ。
サンダルをしまい、オープントウのパンプスをしまい、ぱっきりとしたイエローやパープルのスカートをしまい、爪先を彩る赤が少しずつくすんだものになる。そのたびに、少しずつ秋が深まっていく。
数か月ぶりにストッキングを履くようになり、それでも少し寒くて、もはやタイツを新調しなきゃと考えている。
クローゼットの奥にしまっていたふかふかのバスローブを出し、そろそろもこもこのルームシューズも出すべきかしらと悩む日は、今年も思っていたより早く来てしまった。
秋を惜しむように、空を眺めに出ていたここ1か月強だけど、部屋の中で感じる秋もたくさんあるみたいだ。
そろそろ、壁に貼った夏を探すポストカードも、貼り換えないと。
夏の公園
雨をやり過ごすたびに、クーラーを必要としない気温になって、今日はもう日が暮れてから外を歩くと、少し肌寒いくらい。まだ近場の外出にはサンダルを履いてしまいそうになるけれど、それもだいぶ不自然になってきた。
というようなことを、9月24日に書くだけ書いていた。まさか夏のぶり返しが10月のはじめにあるとは思っていなかったようだ。
今年の夏にやり残したことが、まだたくさんあるのに、と思うと気が遠くなる。
たとえばビーチサンダルを履くこと、かき氷を食べること、ビアガーデンに行くこと、遠出をして涼みに行くこと……。あんまり独創的な願いじゃないけれど、次から次にそういうベタなことは湧いてくる。
かき氷もビアガーデンも、そんなに熱烈に好きと言うわけではないのに。
そうしてきっと、この休みにやり損ねたことは、「今年の秋にやり残したこと」としてリストに連なっていくのだろうなあ、と思いながら週末の始まりをだらだらと過ごしている。
その季節が始まる前も過ぎ去った後も、「らしいこと」をたくさんしたいなあと思っているのに、いざ始まってしまうとなんだかのんびりしてしまうところは、昔から変わらない。
ビアガーデンではないけれど、今年の夏も緑の中でおいしいビールはちゃんと飲んだ。
毎年、夏の盛りには必ず遊びに行く公園で。
そういえばこの公園も、今年は様変わりをしていた。何って、立ち止まってスマートフォンをかざしている人ばかりだったのだ。すごいなー。
そんな中、実際に虫取り網とかごを持って遊んでいる子どもたちもいて、なんだか例年以上ににぎやかだ。
でも、がちゃがちゃとはしていない。
日比谷公園が好きな理由はいくつかあって、いちばんの理由はたぶんこれからも永遠に変わることはない。ただ、それ以外の理由は年によってわりところころ変わり、今年は「ああこの大人っぽさが好きなのだな」と思った。
去年はたしか「花屋さんのある公園って完璧」だった気がする。
いつもある程度混んでいるし、何かしらのイベントをやっているはずなのに、にぎやかではあってもがちゃがちゃとはしない。
それがとても風通しがよくて、ただしく「公園」らしい清々しさと都会の観光地らしい華やかさと兼ね備えているのが、大人っぽくて好きだなあと思った。
ちなみに、なぜだかわたしはこの公園に行くために有楽町駅で降りると、必ず律儀に道に迷うのだけれど、今年は駅から既に一人ではなかったので、はじめて迷わずに無事到着。
ランチには遅く、ディナーには早い時間だったので、すぐに席に着けた。
おなかがぺこぺこだったので、座るなりピザまで頼む。
ここにくると、まずはソーセージを食べなくては帰れないので、ソーセージの盛り合わせも。まだぎりぎりランチが頼める時刻だったので、東京ガパオにも惹かれたけれど、ここは初志貫徹でビールとソーセージとピザを。
全席テラスなのに、公園の中という立地のせいか、大きなオレンジ色のパラソルが優秀なのか、毎年真夏に訪れているのに、暑くて困ったという記憶がない。
今年もぐびりと飲んだビールで頬を熱くしたくらいで、吹き抜けて行く風に、のんびりと髪を任せていた。
去年ポテトが太くなった……と悲しんでいたのだけれど、今年頼んだフィッシュ&チップスのポテトは、一昨年感激したカリカリの細いものでなお満足!
フィッシュの方もすごくおいしかった。
もともと、10代のときにイギリス贔屓になった数年があって、そのときに好きになったこの料理は、大人になったらもっと頻繁に食べるようになるのだろうなと思っていた。
白身魚のフライというのは、フィッシュ&チップスだとほんとうにくさみがなくて、夢のようにおいしい。てんぷらはどうしても海老に手が出てしまうので、だんぜんフライ派だ。
でも、あまりビール党には育たなかったせいで、実際には、二十歳を超えてからこのメニューを頼む機会というのは、そうそうないまま過ぎていた。
この日思いついて数年ぶりに頼み、そのからっとした揚がり具合と、一切くさみのないさらっとふくよかな味に再び開眼して、あれ以来、むしろてんぷらでも白身魚をちょくちょく頼んでしまっている。
こちらは毎回変わらぬおいしさの生ハムのピザも、きっちり二等分して、するりと完食。
去年は日比谷の映画館で『ミニオンズ』を観た帰りだったなあ、と思いながら、最後に去年ここで頼んで以来、ちょくちょくいろんなお店で見つけると飲んでしまうスミノフのレモネードを追加注文して口の中を改めた。
毎年夏休みらしい夏休みなんて、なかなか取れないけれど、この公園でこうして明るいうちからビールが飲めたら、それはもう「いい夏だった」と思える公園をひとつ持っていると、人生が快適だと思う。
今年の夏も、とてもいい夏だった。
"Do you still love me?"
少しずつ思い出しながら、夏の話。
夏休みというと、「テーマパーク」という言葉がぱっと浮かぶのは、わたしが浮かれた子ども時代を過ごしたからで、あれが夏だったかは最早いまいちあやしいのだけれど、父が運転する車で、地元からはるばるディズニーランドに遊びに行ったことを思い出す。
腹ごしらえをしなくちゃと言って、車の中でおにぎりを食べた。
今年の夏は遠出はしなかったのだけれど、SNOOPY MUSEUM TOKYO*1へ遊びに行った一日は、だからとても夏っぽいおでかけになった。
六本木駅から少しだけ歩くけれど、大通りから一本入ると都会のど真ん中とは思えない緑があふれる道になり、それだけでもうウキウキする。
いっしょに行く人が事前にチケットを取ってくれていたので、のんびりと向かった。当日券もあるようだけれど、言ったのは学生さんの夏休みがスタートする時期だったので、たぶん早起きして行かないと無理だったはず。
こういう段取りのよさをわたしは無条件に尊敬してしまう。ありがたく、午後2時過ぎにぽやぽやと向かう。
もちろん併設されているカフェにも行きたかったのだけれど、待てば入れると言うわけではなく、土日祝日は抽選制らしい。
朝ごはんは家でチーズをたっぷり塗ったトーストと、ビネガードレッシングのルッコラのサラダ、コーンスープを食べて、飛行機の中くらいでしか飲まないアップルジュースを飲んでしっかり腹ごしらえしてきた。
後でゆっくり写真を撮ろうと思いながら、館内へ。少しだけ並ぶところも、ものすごくかわいいディスプレイの本棚があって、進むのがちょっと惜しいくらいだった。
ミュージアム自体は、じっくりと原画を眺めるだいぶん大人っぽいつくりで、たぶん子どもよりも大人の方がたのしいと思う。
原画ゾーンは撮影禁止だったのだけれど、その掲示がとてもかわいくて、ともかく隅々までおしゃれで素敵。
子どもの頃、何冊かコミックスを持っていたので、持っていた巻に収録されていたものの原画を見つけるとそれだけで心躍った。
それにしても、展示されていた原画は、なにもかもがおそろしくかわいかった……。フリーハンド(?)でただ引かれている枠線がかわいいとはどういうことだろう。
お金なんてなくてもいいんだというチャーリー・ブラウンに、なくてもいいけど少しあればチョコレートチップクッキーが買えるよねとつぶやくスヌーピーがかわいかったなあ。
スヌーピーのこういうところが好き。そして、やっぱりサリーの口癖の数々は傑作だなと思いながら展示を眺めた。
2時間ほどかけて回り、最後にストアで散財!
キャラクターグッズという響きから感じる幼さがほぼないラインナップで、これはまたほんとうに大人がたのしい空間だった……。
ミントタブレットの缶も、大人っぽくてかわいい。
他にも文房具やらおかしやらをたくさん買ってしまった。スヌーピー雑貨に関しては、かんたんに節度を失う。
たっぷりとおみやげのつまった袋を片手に、既にだいぶん満足して、一応カフェの抽選に行ってみたら、案の定はずれて。あっさり諦め、次の場所に移動した。
ちなみに、チケットまで心にくい仕様になっている。
日によって変わるらしく、おまけにその当日にもらえるものですら何パターンかあるみたいで、これだけで思い出になりそうな1枚。
しおりにしよう、と思ってまだ使えずに本棚の一角に飾ってある。
今週末からは展示内容が変わるみたいなので、もう一度どこかで行ってみたいなあ。
スヌーピーといえば、中目黒にできたらしいPEANUTS Cafe*2の方もずっと気になっている。そして、こちらも事前予約が必要らしく……もう少ししたら空くかしらとのんびり待っている状態。
白いスヌーピーと、真っ赤な壁、それからミュージアムを出たときの、六本木の鮮やかな緑。
ぜんぶが合わさって、とてもまぶしい夏の思い出である。誘ってくれてありがとうございました!
数か月早い今年のみかん
起きたら、雨どころかぴかぴかのいい天気。あまりに暑くて、久しぶりにクーラーをつけた。
昨晩表題作だけ読んだ『オーブランの少女』の余韻を一掃するようなきれいな朝だ。短編集なので、起き抜けに次の収録作品をぱらぱらと読んだら、そちらもそちらでなかなかにおもしろくもブラックなお話で読書は一時中断。
今日も8時に目が覚めたので、そのままキッチンに立って朝ごはん。
最近、近くのパン屋さんのパンが当たりでうれしい。昨日と同じ要領でスクランブルエッグを作り、昨日とは違いぺろんと長いベーコンを焼く。
お湯で溶かすだけのカップスープは、コーンじゃなくてじゃがいものポタージュで。
なんだか寝起きがよくて、ブロッコリーを茹でて、冷蔵庫で冷やしていたみかんも半分に切った。運動会のおべんとうに入っているみたいな、ごきげんなみかん。
数年前には12月の下旬*1に買って、「数日早い」と驚いていたけれど、今年はすごく早い。
くだものでいちばん好きな桃を2回しか食べないまま、夏が終わってしまったので、その反動でみかんは待てずにさっさと買ってしまった。まだ9月の内だったと思う。
めずらしく(!)すももを食べたり、1/4カットのすいかを深夜のバーで食べたのが悔しくて休日にたっぷりとほおばったりと、くだもの自体はよく食べた夏だったのだけれど。
そういえば、終わってみると、思ったよりもおそうめんを食べない夏でもあった。
せっかくそれ用の器を2つも買ったのに、こうしてくだものを入れたり、サラダを盛ったり、なんならヨーグルトを食べたりするのに使う回数の方がずっと多かった。
思えば今年は夏らしいことの多くを、GWごろに前倒してやってしまった気がする。
フルーツをたっぷり放り込んだサイダーを飲んだり、お風呂上りに扇風機の風にあたったり。
模様替えをしてますます寝転びやすくなったソファーと、先日シーツを新調したベッド両方があまりに快適で、とろとろとろとろと、文庫本をソファーで読みながら何度も寝落ちた日曜日。
あまりにひだまりが幸福なので、本は『オーブラン』を諦めて、平松洋子さんの『なつかしいひと』をぱらぱらとめくり、最終的にはようやく買ったこちらの第2部・第3部を。
10代のとき、地元の図書館で分厚い全集を借りて読んだ。当時は10冊しか借りられないから、いかに1冊でたくさん読めるかというのが死活問題で、そういえば、昨日のよしもとばななさんもほとんどの作品を自選選集で読んだ気がする。
お昼は昨晩のハンバーグの余りと野菜をオーブンで焼いて、かんたんに。
なんだかとても清々しくて、めずらしく家でビールを1缶分けて飲んだら、またするりとソファーでうたたねをしてしまった。
夕方時分に午睡から目覚めて、晩ごはんの買い物へ。
昨日から日曜日の晩ごはんはタコにしようと思っていたのに、歩いている内に無性にお蕎麦が食べたくなり、そのままお蕎麦さんへ向かうことに。
おなかがいっぱいになり、アイスを買って帰宅。なんだか何がどうというわけではないけれど、大人になったなあとしみじみ思う帰り道だった。
いつぶりの秋
朝8時に起きた休日。10月最初の日。
案の定! 特に何も記録できないまま、新しい月になってしまった。でも、今日はさくっと早い時刻に目が覚めて、手つかずの週末を確認してだいぶいい気分。
天気はあまりよくないけれど、昨日買っておいたパンもあるし、心躍る土曜日の朝だ。コーヒーを淹れよう、音楽をかけよう。
リビングにも冷蔵庫にも、シルバーウィークに買って食べきれなかったお菓子がたくさんある。
今朝のおめざはカルディで見つけたアップルチョコレートケーキ。りんごとチョコ、オレンジとチョコという組み合わせは、問答無用で好き。
かぼちゃや栗のおかしがあまり得意ではないので、りんごのおかしが出回ると秋だなあと思う。
喉が渇いてコップ1杯、水も飲む。
いくら日中が暑くなっても、さすがに夜は冷えるようになってきてクーラーをつけて眠ることはなくなってきた。クーラーをつけてもぐったりと汗びっしょりで起きていたのが、もうだいぶ前のことみたいだ。
昨日も夜の街を歩いたら、素足だともう少し寒かった。あまり好きじゃないストッキングを穿き始めたのも先週から。いっそのこと、早くタイツを履きたいなー。
こんなにのんびりしたお休みなら、雨が降っていてもいいなと思いながら枕元のランプを点ける。
このランプは、大学生のときに妹が誕生日プレゼントとしてくれたもので、白くてとてもシンプルなもの。灯り自体はあたたかみのある色なのも、深夜に手元を照らすためだけのランプという感じがして気に入っている。
今年に入ってベッドサイドテーブルを置くようになって、久しぶりに頻繁に使うようになった。
雨が降ってもいいな、なんて思ったのは、10年ぶりくらいにこの本を読んでいたから。
中学1年生のときに、現文の問題集で最初に『TUGUMI』の「幽霊ポスト」の話を読んだのがたぶんきっかけで、15歳くらいまでの間に、あらかた吉本ばななさんの小説は読んだ。
だから私にとっては「制服で読む本」という印象が強くて、東京まで持って来たのは『アムリタ』(上・下)と『白河夜船』の3冊だけ。
そして、この3冊は大学生のときに飽きるほど読み返したので、働き始めてからはこちらもこちらで気恥ずかしくて読み返せずにいた。
ただ、このシルバーウィーク、なんとなく「またもう一度読み返してみてもいいかな」と思ったのだ。ぐずついた天気が続いて、でも家にいるのはつまらなくて散歩に出た午後、傘を差しながら歩き、雨が木を濡らすのを眺めていたら、ほんとうになんとなく。
あのときと同じような気持ちではもちろん読めなかったけれど、ちくちくと痛いところも含めて、改めてよかった。
10代のときに出逢った物語というのは不思議だ。なぜかどんな本でも、昔の日記を読んでいる気分になる。
読んでいても残念ながら雨は降ってこなかったので、ぐずぐずとそのままベッドで二度寝をして、ちょうどお昼ごろに起きた。
起きてもすっきりとしない天気のまま。久しぶりにお湯を沸かす以外にキッチンを使う。
フライパンをあたためバターを落として、たまご2つ分のスクランブルエッグを作り、そのわきでベーコンを焼いて、朝ごはんらしい朝ごはん。食後にはこちらもシルバーウィークに買ったコーヒー豆を挽き、ミルクをあたためてカフェオレを作った。
今週「そういえば契約しているしなにか観るか」とつけたhuluで見つけた『パンとスープとネコ日和』の最終話を見ながら食べる。
原作を読んだときから、いつか映像化されるのかしらと思っていたのに、ドラマ化されたのを忘れていた。のんびりとした休日に似合う映像だらけ。
ストーリー的にはほぼ何も起こらないのだけれど、全編通してとてもしずかで流していると気持ちよかった。
どんなにかんたんなものでも、自分で火を使って食事を作ると、ほんとうにほっとする。片づけを後にひっぱるとまた億劫になるのはわかっていたので、えいやっとがんばってそのまま洗い物に立つ。
もっとも、そこでちょうど洗濯器が終了のお知らせを鳴らし、洗濯ものが好きじゃない恋人と家事を交換することになった。
すっきりと片付いた部屋で、土曜日が正式にスタート。
カフェオレにしきれなかったコーヒーをブラックで飲んで、しばらくぶりに恋人ともぐだぐだ話して、なんだかとてものどかな休日。
晩ごはんも、切る焼く煮るだけじゃなくて、久々にハンバーグを作る元気が。
ハンバーグの何がめんどくさいって、最初のたまねぎの工程だと思う。
みじん切りにするのも、焦がさないように炒めるのも、その粗熱が取れるのを待つのも、ぜんぶ時間も手間もかかってめんどくさい。だからか、年に数回も作らないメニューのひとつである。
中にチーズを仕込んで、上にはローズマリーをのせて。6つもできたので、2つずつ焼いて半分には上にもチーズをのせて欲張りに。
作り出すと楽しくなり、余ったたまねぎでスープをつくり、秋らしく付け合せにきのこを炒め、外で食べると毎回「こんなにおいしかったっけ……」と唸る野菜、ズッキーニも焼いていただきます。
ソースはハンバーグを焼いたときに出た肉汁に、にんにくを落として、醤油を垂らして黒こしょうを散らしたかんたんなもの。
子どもの頃、ハンバーグというと「特製ソース」で食べるものだった。
たぶん父がやっていたのを真似したのだけれど、お好みソースにケチャップとマヨネーズを混ぜ、少し醤油をたらして作るかなり悪い味のするソース。
ホットプレートいっぱいに焼かれた巨大なハンバーグを、銘々勝手に取ってそのソースにつけて食べるのが、我が家の定番で父が作るそれは、たっぷりたまねぎが入っているせいで、なんだかちょっとやさしい味がした。
それをひたすら悪い味にして食べる。飽きたらお好みソースだけで食べてみたりして。土曜日のお昼ご飯には、度々登場するメニューだった。
いつからか、母がつくるハンバーグ的な料理は、ピーマンの肉詰めだけになったのを覚えている。ハンバーグが食べたいときには、母も含めて父にリクエストした。
今日、わたしが作ったハンバーグは、母のレシピと同じくたまねぎは適量で、すとんと手のひらに乗るサイズ。
2つずつ飽きずに食べ、残りの2つは食事が終わったあとに、きちんと焼いて上にチーズもセットして、アルミホイルに包んで冷蔵庫へ。
1.5合炊いたお米も少し余ったので、ちいさなおにぎりを2つ握って。明日また食べよう、と思うとなんだかものすごくしあわせになって、一気に洗い物までした。
まだパソコンを使うとちょっと暑い10月最初の夜。