桜に間に合った一年
過ぎ去っていく春の中で、そういえば、今年は数年越しの桜を見たのだった。夏に夏にと気持ちが急いているけれど、あの一日を思い返すと春もいいものだったなあ、と口元がほころぶ。
思い返してみると、東京に来てからプライベートでお花見をしなかったのは、昨年だけだ。
場所は色々だけれど、毎年どこかでお酒やお弁当片手に桜は見上げていて、なかなか公園まで辿り着けなかった年でも、一駅手前で降りて歩き、並木桜を眺めながら帰ったり。
それもあって、今年こそは、東京にやって来て最初に見た桜を、そろそろもう一度見に行きたいなあと思っていた。
実は、働き始めた翌年、電車に乗った。
ただ、意気揚々と向かった先で、しとしととまさかの雨に降られて以来、なんとなく足を延ばすのが億劫で、ずっと行けていなかった場所。
地元のお店がささやかな屋台を出し、たくさんのお花見客もいるのに、広い道路の両側に、桜があまりにもたっぷりと咲き誇っていて、なぜだか全体的にとても静かだ。
ここの桜の咲き方を見るたびに、わたしは「しゃあしゃあと咲く」という表現を思い出す。
とても立派なのに、なぜかあまり威風堂々という感じはなくて、どこまでも健やかにあけっぴろげに咲いている感じ。
着いたのはお昼過ぎで、おなかが空き過ぎて、静かながらもお祭りの匂いが漂う道に甘えて、駅前のマクドナルドでフライドポテトを買い、食べながら歩く。
すれ違う人も、だいたい何かしら手に持ったものを口に運んでいて、既にたっぷり空いたビールの缶を持って駅へ戻ってくるグループもいる。
ゆっくりゆっくり進んでいる間、見上げても見上げても広がる桜色の空に、それだけで満足してしまいそうになりながらも、せっかく来たので、お目当ての場所まで歩いた。
特等席は、太い道路の上に渡った歩道橋の上で、それを知っている人々でみっしりと賑わっている。
少し順番を待って上がると、見渡す限りの桜並木。階段を上がり下がりしているときには、手を伸ばせば触れられそうな距離にある桜をぱしゃぱしゃと写真に収める。
残念ながら、ほんの少し曇っていたので、もう一度近いうちに、ぴかぴかに晴れた日に、ここからこうしてこの景色を眺めたいなあ、と思う。もうちょっとゆっくり。もうちょっとぼうっと日常の風景として。
はたして有給を取って平日に来たところで、この混雑がないのかどうかは未知数だけれど。
少し歩けば小さな公園があって、そこであれば座ってゆっくり見られそうだなあと思いつつ、だいぶ桜には満足したので、反対側の通りに降りてそちらの空を見上げながら駅の方へ向かう。
通りには評判のケーキ屋さんがあって、もし空いていれば…と覗いてみると、そちらもしっかり混んでいた。
あの歩道橋で桜を眺めた人は、みんなここに吸い込まれているんじゃないかと言うくらい。
するすると列に吸収され、生菓子は頼めないままお会計の順番が来てしまい、焼き菓子と紅茶だけを買って外に出た。シュークリームとエクレアが美味しそうで、ちょっと心残り。
他の花を見てもおなかは空かないのに、桜を見ているとなぜかおそろしく食欲がわく。何か食べたいなあとふらふら歩いていて、お店を決める間も我慢できず、海苔巻きを買った。
河童巻きと迷って恋人が決めた、かんぴょう巻という渋いセレクトを齧りながら、駅からまた少し別方向に歩いて、最終的に最初からちらちら視界に入っていたお店に落ち着いた。
ホットサンド専門店、という看板が掲げられた小さなお店は、テイクアウトもやっているようで、チーズの溶けるいい匂いをふわふわと道まで漂わせている。
散々歩いた後だったので、お店に入ってゆっくりすることに。
前日似たようなものを食べたばかりだったので、ふだんであれば確実に頼んでいるローストビーフとマッシュポテトはやめ、厚切りベーコンとパルミジャーノとモッツァレラをオーダーし、奥の席へ。
結果的には「好きなものなら3食連続でもOK」と言う恋人が件のローストビーフのサンドイッチを頼んだので、気になっていたそちらも一口もらうことができた。
まだ少し肌寒くて、ジンジャーエールは飲みきれないくらい。でも、次の週末にはあらかた散ってしまったようなので、よかったかな。
季節のイベントはどんどん前倒しで街を賑やかすようになり、少々うっかりしてても大丈夫だけど、桜だけは週末の都合を待ってくれないままだ。
だから、桜に間に合った年はなんだかいい一年になりそうな気がする。
というようなことを、5月頃に書いていて、たしかに今のところ2016年は悪くない一年だ。
それにしても5か月があっという間だったなあ。来年は、桜に間に合う年になるのだろうか、なんて心配がもう遠い未来のことじゃないなんて。