来年はてるてる坊主を
日なたの匂いのする電車に乗るが好きで、ときどき思い出したように遠出をする。
この間は、東京に来てから何回か夏ごろに「行きたいな」と思って、そのたびに終わるまですっかり忘れてしまっていた「もみじ市」*1にようやく行ってきた。
雑貨とごはんと、それから音楽と。大人の文化祭、というフレーズだけで既に心躍る響き。
一度、同じ駅に降り立って、多摩川河川敷を歩いたことがある。あのときは、9月のもう少し出だしの方で、卵と軽く焼き目を付けたベーコンを挟んだイングリッシュマフィンのサンドイッチを片手に。
きれいに晴れた9月の空の下、冷たくもぬくもない風に吹かれながら、少し遅いお昼ごはんを食べた。
粒マスタードがぴりりとしていて、われながら、おいしいサンドイッチだった。卵はスクランブルしながら、まんまるのオムレツにして挟む。ぽろぽろこぼれないけれど、食感はスクランブルエッグという、個人的にしあわせな焼き方。
ボトル型の水筒の中には、蜂蜜をたらした紅茶が入っていて、のどかだなあとわざわざ口に出して確認してしまうようなのんびり加減。
少し向こうに目をやると、まるで少年マンガの一節みたいに、お父さんが双子の息子たちに野球を教えていて、ここでは何もかもがちゃんと上手くいっている、という安心感があった。
だから、秋の初めに川辺でごはんというのは、ずいぶんと気持ちよさそうだなあと、それがいちばん心くすぐられていたところだったのだけれど、当日はどうやら雨模様ということで、今年の開催場所は東京オーヴァル京王閣に。
少々しゅんとしながら起きてみると、たしかに空模様は非常にあやしく、諦めがついた。
お昼過ぎに準備をはじめ、秋らしい装いに身を包み、がたんごとんと電車に揺られる。休日の電車は、のんきな擬音がよく似合って、それが平日に乗る電車とは決定的に違うところ。
降り立ってみると、たしかに2年前だかに一度降りた駅で、迷う様子はなさそう。
通り道、すでに陽気なお祭り気分が蔓延していて、昼間から軒先に出されたカウンター席で、罪深いほどおいしそうな匂いの焼き鳥がふるまわれているのを横目に、ひとまず会場へと向かう。
ひととおり熱心なお客さんの襲来を受けたらしいお店は、どちらも、既にぽつぽつと売り切れ表示が。
そんな中、何度も折り返した威勢のいい行列ができていて、まだまだどうぞ、と鷹揚な雰囲気の漂っているお店の最後尾に、並んでみる。いちばん最後に並んでいる人が、「こちらが最後尾!」という旗を持つ仕組みが効率的かつ面白い。
ひんやりと触れたら冷たそうなグレーと、くすんだ黄色がかわいい看板を眺めつつ、きょろきょろ周りも偵察しながら待つ。
だらだらとおしゃべりをし、それに飽きたらゲームをし、なんとなく遠出をするときや旅をするときには、不思議と読みたくなる、謎を持ち寄りながら島を歩く本を読みながら、15分ほど。
最後の3分はずらりと並んだドーナツと、どう見てもおいしそうなピーナッツバターの瓶を眺めながら過ごした。
七穀ベーカリー*2という大阪のパン屋さんらしい。
屋台の奥の方からは、じゅうじゅうといい音が。チーズの溶ける匂いに抗いきれず、ドーナツに加えて、ホットサンドも買うことにする。チーズとベーコンのしょっぱいものと、ピーナッツバターを挟んだあまじょっぱいものを両方とも。
いろいろと並んでいる間に見つけた駆け寄りたいお店もあったけれど、まずは腹ごしらえ。ドーナツは持ち帰ることにして、ホットサンドをもぐもぐ。
これが! ものすごくおいしい!!! ベーコンもチーズもおいしいのだけれど、何より挟んでいるパンがしみじみおいしかった。かりっとした食感は一瞬で、すぐにもちもちとした食感に移行する。
ベーグルがいくつか買えるといいなあ、なんて思って行ったのだけれど、それを食べる前に、もはや満足してしまいそうな粉のひきの強さ。
どこまでも茶色いつつましやかな見た目のピーナッツバターサンドと、「これおいしいから食べて!!!」と興奮しながら交換し合い、ものの5分くらいで完食した。
少し趣向は違って、上には天井があるけれど、風は十分通る半屋外は並んでいる間、少しずつ顔を出し始めた太陽に照りつけられうこともなく、これはこれでしあわせである。
小腹が満たされたところで、いよいよおなかをいっぱいにすべく、向かいにあったベーグルも買い食い。
もちっとしたチョコレートベーグルは、中からとろとろとソースが出てきて、慌てて大きな口で頬張る。
ドーナツとかベーグルとか、わっかを見かけるとついつい買ってしまうのだけれど、たぶん、あの真ん中の穴分、ひとはわくわくせずにはいられないのだと思う。現に、おいしいけれど完全な円形のあんドーナツには、無性に惹かれはしないもの。
人心地ついたところで、1Fに降りてみると、そこには、細々としたしあわせがぎゅうぎゅう詰めになっていた。
何に使うと言うわけでもない、もうひたすらオブジェとしてかわいらしい雑貨がてんこもりで、節度をなくしてしまいそうな広場が広がっている。
お皿が欲しいなあと思っていくつか覗いてみたのだけれど、あまりに散財という値段で、すごすごと諦める。30歳になったら、器にちゃんとお金を出せるような大人になろう……。
もうこれはローストビーフを載せるしかない! というくすんだかっこいいお皿があって、非常に後ろ髪をひかれながら、次のスペースに向かった。
こちらはこちらで、もう片端から買い占めてしまいそうになる、惑星みたいなキャンドルが並ぶお店*3。
淡い色合いがとてもきれい。いつまででも眺めていられそうである。
散々迷い、こっちの方がきれいかも、いやあっちの方が更にきれいかも、を10分くらい繰り返している相手に、ひとつプレゼントして。
今更だけれど、わたしも買えばよかったなあ。
たとえば、寝る前にアロマキャンドルを灯すような優雅な生活には程遠いのだけれど、いつかそういう日が来ると信じて、こつこつこつこつ、ここ4~5年キャンドルを集めている。
いまのところ、家でろうそくが溶ける匂いがするのは何かのお祝いのときだけで、それはそれでいいかな、と思っているところもある。
その後も、りんごにひかれてふらふらとパンケーキとクッキーのお店に並んだり、もう残り数個だという謳い文句につられて、ドーナツを追加してしまったり。
並んでいる間に、横からふわふわと午睡のような音楽が聞こえてきて、ああ、お祭りだなあと思う。
コーヒー屋さんを発見し、もう少しできれそうなコーヒー豆を買い足し、アンティーク家具を流し見て、かわいらしさにくらくらしそうになりながら、ペーパー小物の並べられたお店で立ち止まる。
少しずつとろりと甘そうな色に変わっていく空を眺めながら、もう一度ゆっくり会場内を練り歩いて、最後の最後にぎりぎりで、もともとのいちばん気になっていたせっけん屋さんを発見した。
どれもこれもかわいらしくて、迷ったときの常で、限定のものと完全なるパケ買いに走る。
わたしに関して言えば、結局そういう買い方が、いちばん満足度が高い。
保湿クリームと同じく、せっけんも、ここ最近ストックが渋滞しつつあるので、しばらくは飾ってたのしむつもり。
4時過ぎには、「たのしかったー」と大満足で駅へ向かい始めており、最後まで無理をしないスケジュール。のんびりとそこにあるものをそこにあるように楽しんだ、いい文化祭だった。
疲れたらまっすぐ帰ろう、と思っていたのに、川辺でなくてもいい風が吹く中遊んだら、すっかり元気になってしまって、そこから更に、ちがう街に移動して、おいしく焼き鳥を食べてようやく帰路に。
なんだか何もしていないのに、打ち上げ気分。
ハイボール2杯で心地よく酔っぱらい、ふわふわとした足取りで駅へ向かいながら、今年もよかったけれど、来年は晴れるといいなあと、心の中でひとつ、てるてる坊主をつるした帰り道だった。