黄色いしあわせ、ブランチの王様
夢ぴりかと砥部焼のお茶碗がいつもスタンバイしているようになって、最近、家で食べるごはんはもっぱら和食よりに。生まれて初めて冷蔵庫に、お新香を常備する生活で、自分でも驚いている。
ちょっと水加減を間違えてもおいしいお米って、こんなに偉大なのか、と。そして、使いたい食器があるということが、自炊のモチベーションを上げる自分と言う人間のわかりやすさにも。単純だということにも、いい面は確かにある。
なので、今週末は久しぶりに、2日間洋食が続いた土日となった。
この2週間ほど、寒くて暗い日が続いた後だったので、土曜日の朝、晴れているのを観た瞬間に、少し足を延ばして朝ごはんを食べに行くことに。
どう違うのかは具体的にはわからないのだけれど、朝の陽の入り方には、「ああこれはパンを焼くしかないですね」というからっとした明るさと、「そうだご飯を炊こう」というやわらかさの2パターンがあると思う。
晴れの奥に、ほんの少しくもりが隠れているようなほわんとした陽の光のときには、無性に正しい和食の朝ごはんが食べたくなって、たぶん、それは邦画の光の撮り方のせい。
あるいは、何度も何度も観たドラマ『すいか』の、朝のシーンのせいかもしれない。ぐったりとした徹夜明け、キッチンで何か食べるものがないかと探すシーン、あのふわりとした陽の光がとても好き。
実際に彼女たちが何を食べたかは、あんなに繰り返し観たのに覚えていないのだけれど、ごはんを炊いて食べなくちゃ、という気持ちになる。
というわけで、昨日は憂いがないほどくっきりと晴れていたので、久々に洋風の朝ごはんを求めて家を出た。
おなかが空いて8時に目覚めると言う事態が起き、コートを脱いでパーカーだけ羽織って飛び出た外は、家の中で想像していたよりも少しひんやりしている。でも、とてもいい天気。もう5月だと言われても信じられそう。
駅から伸びている動く歩道(毎回、何回かに1回、降り損ねる)で上を仰ぐと、まぶたがぽかぽかするほどの陽気。*1まだずいぶんと空いている道を左に折れて、地図を見ながら辿り着いた先は瀟洒なビル。
かなりシンプルなモノトーンで、メニューが出ていないと辿り着いたとわからないくらい。
吹き抜けの1Fは、入った方が開放感あるつくり。窓際の席に着くと、一転してブルーが溢れる明るい空間が広がる。テラス席が道沿いでないのは落ち着きそうで、これからの季節、素敵だなあという気がした。
今日は、フレンチ・トーストを食べるのだ。
フレンチ・トースト!外で食べるという言葉が、わたしの中で、こんなにも似合わないメニューは、この黄色いしあわせの右に出るものはいないのだけれど。
子どもの頃、フレンチ・トーストは休日のブランチの王様だった。
前の週末、家族総出で買いに行ったベーコンやらサラダ菜やらがすっかり切れてしまい、トマトももう全部かじってしまって、買い出しに行かないと朝ごはんは何も作れないね、という土曜日の少し遅い朝。
卵と牛乳さえ残っていれば、突如として、土曜日のブランチは1週間でいちばん贅沢なものになった。
我が家のフレンチ・トーストの材料は、しごくシンプル。卵と牛乳、お砂糖かあればはちみつ、それから少し古くなったパン。
そんないつでもキッチンにそれだけはある、というありきたりなものばかりで作る、苦し紛れの1品なのに、ひたして焼けば突然立派なお菓子になるのが不思議で、最初に食べたときは、魔法みたいだなあと思った。
何にもできないと思ったのに、普通のものばっかりでできてるのに。そのギャップが、その分しあわせを倍増させる。
子どもの頃、冷蔵庫の中に何もない夜の翌朝には、いつもよりしあわせな朝ごはんが待っていると知っていた。小さいときには母が、祖父母の家に泊まりに行くと祖母が、そして中学生になってからはわたしが、ときどきキッチンで小さな魔法を使った。
あの何もないところから、きらきらしたものが出来上がる感じがよくて、だから、わたしはフレンチ・トーストというのは、家で食べてこそのしあわせだと思っていたのだけれど、すこしおしゃまなver. もやっぱりそれはそれでとても幸福。
分厚いブリオッシュが、中心までひたひたに液につかるほど、じっくりつけこまえたフレンチ・トースト。自宅で作るときは不安でついつい薄切りでやってしまうので、この分厚さは外でいただくならでは。
2cmはあろうかというブリオッシュなのだけれど、1mmもぱさっとしたところがなくて、上品な甘さでするすると2枚たいらげられてしまう。
せっかくだからと、外で朝ごはんを食べるからこそのしあわせとして、しょっぱいメニューもセットで頼んでみた。わたしの記憶の中にあるフレンチ・トーストの日は、いつも1皿だけだったので、とても新鮮。
普通のセット+¥200で、大山鶏のグリルを。昨日もおいしい鶏を食べたしなあ、と日和っていたら、「休日の朝にそのとき食べたいものを食べなくて、何が大人なのだ!」という声に後を押され、2食連続でぱりっと焼いた鶏をいただくことに。
わたしはなんでも好きなものを好きなときにできるのが大人の特権、と思って生きている割には、食だけは妙にバランスを気にしてしまう。
これは昔からの癖で、たとえば妹は気に入るとそれだけ食べておなかをいっぱいにしたいタイプなのに対し、わたしはどんなに好きなものでも、昨日食べたら今日は食べてはいけないという謎ルールを守って生きてきた。
一時期は、一日のうちに炭水化物がかぶるのすら、気になったくらい。朝がパンならお昼は麺で、それなら夜は必ずごはんを、と言う風に。
不思議なものである。
というわけで、えいやっと鶏を選んだあとは、焼き方を選べる卵を、とろとろのスクランブルで。目玉焼きはつぶした黄身をトーストですくいたくなってしまうから我慢。
お皿を汚さないように黄身をきれいに食べる人や、そもそも固焼きを好む人もいるけれど、わたしはどうしたって半熟が好きだし、とろりと黄身をつぶして食べたい。
プレートには、こっそりとごろごろカットされた野菜がトマト味に染められたカポナータも添えられていて、これだけで満足してしまいそうな量。
シェアしながら食べたもう1品、サーモンとアボカドのタルタルも、あっさりした味で美味しかった。頂上に鎮座しているポーチドエッグは、もちろん割って黄身をからめて。
通常のセットでも¥1,600と、朝ごはんにしてはかなりいいお値段だけれど、ブランチと思えば出せない金額じゃないかな。セレブ朝ごはん、楽しかった。
久々に食べて懐かしくなったので、復習がてら今日も、フレンチ・トーストに。
たまたま昨日の晩ごはんを準備しているときに、卵を割ってしまったのと、カスピ海ヨーグルトを育てるためにストックしている牛乳が余っていたのでえいやっと仕込みに入る。
一晩じっくり浸すのが大事、という中学生の時にどこかで読み齧った知識を、いまだにわたしは後生大事に守っている。
あの当時のように、薄切りのトーストをしみやすいように4等分して、最後に焼きながら、お砂糖を少し追加でまぶして。
出来上がったフレンチ・トーストは相変わらず、堅実な材料から出来上がったとは思えない、きらきらした休日の味がした。
黄色がしあわせの色だと最初に刷り込まれたのは、たぶんこの焼き色を見たときだと思う。
これからの季節、どんどん洋食が似合うぱきっとした晴れた朝も増えるだろうし、冷蔵庫の中身が週末でなくてもさみしいのはおそらく変わらないだろうし。
ときどき外でほんとうにご褒美じみたブランチもしつつ、それ以外の週末は、たとえば家のキッチンで、久々に小さな魔法を使うのも、いいかもしれない。