ひび、たまごいろ
この間の秋刀魚の晩以来、やたらと卵かけごはんを食している日々だ。
一年に一回くらい、「無性に卵ごはんが好きになる時期」というのがあるのだけれど、久しぶりに食べてみたら、やはりとてもシンプルなおいしさで、今日は晩ごはんに卵かけごはんが待っている、と思うと、少し間食も控えられる(気がする)。
卵とお醤油をまとっても、ちっともへたれない夢ぴりかのおかげで、卵かけごはんがとても楽しい。
マイナーチェンジというか、今年の個人的な流行りはといえば、黄身に少しだけ味の素を一振りすること、そして小鉢の釜揚げシラスを少しだけ残しておき、5口目くらいに満を持して投入すること。
少し塩気の強い味がおいしいので、今年の秋は自分で思っているよりも、汗をかいているのかもしれない。
卵かけごはんと言えば、地元に帰ったときに食べた卵かけごはんが、なんだか贅沢だった。
いくらやウニだけでも笑ってしまうおいしさなのに、その下にはぎっしりと鯛が敷かれている。
ゑびす丸丼、というお店の看板メニューで、日によって丼の中身はどうやら変わるらしい。わたしが行ったときには、たまたま、鯛めしっぽい内容で、それがうれしくて即決した。
お刺身と生卵という組み合わせは、東京でも、他の海鮮がおいしい地域でも、いまいちピンとこないのだけれど、ここでだけは妙にしっくりくる組み合わせ。
外はびゅうびゅうと風が吹いていて、車移動の帰省中でなければ、この季節にお刺身を食べたいという気分にもならないだろう。
どーんと大きなスーパーの敷地内に突然出現する食堂で、この町のことも、もう知っているつもりでほとんど知らないんだなあという気持ちになる。
空港の近くは、昔は食べる場所なんてあんまりなかったものだけれど。
先に、妹が頼んだ鰹のたたきが来たので、それをつまみながら待つ。
昔はちょっと鉄っぽい味がして、あまり得意でなかった料理のひとつ。
刻んだネギは青さが立ち、それも心底おいしいとは思えなくて、ネギがたっぷり乗っけられた姿を、遠巻きに見ていた。
たぶん、好きになったのは、お酒を飲み始めてからだと思う。そういえば、妹はお酒のつまみ系が子どものころから好物だったなあ。そのくせ、大人になってもほぼ飲めないままなのだから、面白い。
レモンを絞り、にんにくとタレとねぎでだくだくにしながら食べる鰹のたたきは、急激にお酒が飲みたくなるけれど、そこは真昼間なのでがまんがまん。第一、一番の呑兵衛の父が車を運転してくれているのに、そんな生殺しのようなことはできなかった。
少し遅れて、それぞれ丼ものがやってきたので、甘口の醤油を溶いてたれを作り、卵を溶き、それをぐわあああっと丼にかけて、大胆にかき混ぜて食べる。
こういうものの常で、ぐちゃぐちゃであればあるほどおいしいのだろうけれど、小心者らしくついついきれいにテリトリーごとにすくって食べてしまう。
たかが丼なのに、秩序を壊せない自分のみみっちさが悲しい……。今度行ったら、おいしさを混ぜ合わせてがっつこう! とは思っているものの、きっと何度食べてもわたしは区画整理をしてしまうのだろう。
それにしても、なかなか連続して自炊するのが難しく、決して食材が豊富とは言えない我が家の冷蔵庫にも、常備されているような日常の食材なのに、生卵と言うもののハレ感はすごいなあ、と思う。
最後に生卵を落として、というだけで、たとえば素っ気ない麺や、乗っけただけの丼だって俄然、ごちそうになる。
あまりにおいしくて、この間突然、「てんぷらを揚げたい」と恋人が、茄子やら大葉やらさつまいもやら海老やら舞茸やらを揚げてくれたときに、最後に一口だけごはんも食べたいなあと思って、卵かけごはんを食べてしまった。
てんぷらというのがわたしは苦手で、それはつまり、「食べることが」ではなく「作ることが」ということだけれど、何が苦手って、後片付けを思うといっそ、作る前からぐったりと気が重い。
油が跳ねるのはこわい、なんて乙女じみたことはいっさい思わないけれど、部屋中に充満する油の匂いが取れるまでの時間と、そしてたっぷり余る油の処理を考えると、てんぷらは外でいいかな……と二の足を踏むことになる。
後片付けすら楽しそうな様子で揚げてくれたてんぷらは、さくっと軽くて、とてもおいしかった。さつまいもを胃に収めながら、秋のごちそうだなあ、と思う。
外ではできない「大葉だけ5枚連続で食べる」なんて技を繰り出せるなら、おうちてんぷらもいいなあ、とこの歳になってまだまだ浮ついた感想を抱き、大満足をしたその後に食べる卵かけごはんは、なんだか悪い味がした。
不思議なことに、こちらは、ハレのごちそうを勢いよく口の中から一掃する、ジャンクな味がした。ちょっと特別な、日常のごはん。