おやすみごはん
今年の連休は珍しくよく休めたので、よく自炊をした。お休みだから外で食べる、というのも好きだけれど、お休みだから家で食べるというのも、それが晩ごはんの場合はかなりうれしいなあ、と改めて思う。
わたしの場合、お休みだから外で食べるとしあわせ! なのは圧倒的に朝ごはん。
10時や11時に、たっぷり寝たりた子どものような気持ちでベッドから抜け出し、顔を洗ってリップクリームだけ塗って、帽子かめがねをなんとなく身に着け、近くのパンのおいしいお店にお財布だけ持って出かけたりすると、それがたとえ雨の降っている冬の朝でも、ああ夏休みのようだなあとうれしくなる。
大学生のときは夏休み以外でもきちんと朝ごはんを食べていたし、高校生までは夏休みであろうと、朝ごはんは対して好きなごはんではなかったしで、なぜここで夏休みだと思うのかは謎なのだけれど。
たぶん、わたしの中で、この世のすべての良いもの・すばらしいものは、「夏休み」という単語に集約されているのだと思う。
今の恋人に対しても、付き合い始める少し前に、漠然と「この人は夏休みみたいな人だなあ」と思った。それはたぶん、人に対してはあまり適切でない形容の仕方なので本人に言ったことはないけれど、わたしの中では最大級の賛辞である。
もっとも、ただ単に、最初に会ったのが夏だったせいかもしれない。明日から7月、という蒸し暑い6月最後の晩で、夏休みにはまだ1か月ほど早かったけれど。
というわけで、連休初日に買い込んだ食材をきっちり使い切って、連日、いつもは作らないものを作ったりした。主に煮込んだり、そしてガーリックを使ったりと、なかなか時間と明日の予定が心配じゃないときにしか作れないもの。
和食以外を作るのが久々で、何よりまだ明るい時間から仕込むという作業自体に、わかりやすくテンションが上がった。
色々と初めてする料理もあったけれど、中でもトマト抜きで作ったブイヤベースがとてもおいしかったので、秋になったらまた作るつもり。これからしばらくは、温かいスープが飲みたくなる季節ではないのがとても残念。
そのお礼に、と連休最終日は、少し仕事が落ち着いてきたらしい恋人が、久々に料理をしてくれた。「なぜか突然食べたい」と、どう考えてもわたしがするよりうまく包まれたロールキャベツは、残りのタネはハンバーグになり、残ったスープはチーズを浮かべたスープになり、という無駄のないおいしさ。
その次は、平日、買って焼いておいてくれれば、とリクエストした餃子が、これもどう考えてもわたしがするより、ずっとずっとうまく包まれた自家製餃子に化けて待っていた。
だいたい、わたしは餃子という食べ物が好きで、子どもの頃、ラーメン屋さんに行くとラーメンよりもいっしょに注文する餃子の方が楽しみだった。
醤油とお酢、それからラー油を自分の裁量で調整してタレを作る、というのがおままごとじみていて楽しかったというのもあるし、もちっかりっとした皮が当時からの粉もの好きとしては、たまらなかったというのも大きい。
だから、タネの方はわりとなんでも良くて、たとえば明太子とチーズ、なんてものでも餃子としておいしくいただける。エビとアボカド、とかもはや餃子の皮に包まれた餃子ではないものでも、しあわせ。
最近食べた変わり種でおいしかったのは、ラーメン屋さんで食べたシソ餃子。皮にもシソがねりこまれていて、シソ好きとしては大満足だった。梅と大葉とか、香りのあるものが刻んで入っているのも好き。
ところで、餃子というのは、家で作るとなぜか笑ってしまうほどたくさんできるらしい。わたしにもひとり、いつも餃子を作っては冷凍するはめに陥っている友人がいるのだけれど、なるほどなあと冷蔵庫の中を覗いて思った。ちょっとしたパーティーができそうなくらいの量である。
ぎゅぎゅっと大きなフライパンに詰め込んで、綺麗な丸に焼き上げた残りは、金曜日の夜に、お寿司とサラダと共にもう一度食卓へ。なんとか冷凍せずにやっつけ、たぶんきっと、次に作るときにはまた作りすぎるんだろうなと、満幅のおなかをさすった。
今度、と思い、しあわせな気持ちになる。今度はわたしも手伝って、お休みに作ろう。お休みらしく昼間からビールを飲み飲み、餃子を包もう。最近はラーメンのついでにと、外で食べてばかりいたけれど、餃子というのも立派なお休みごはんかもしれない。