ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

つつましやかなミルフィーユ

3連休。まるで年末年始のように、「食っちゃ寝」を繰り返している。好きな時に起き、好きな時に眠り、そして久々に連続で自炊。

しみじみと背中のこわばりが取れるような、一段呼吸が自然と深くなるような、こんなお休みの過ごし方が、祝日なしの6月から7月中旬までを完走した体にはよく染みる。

どこか遊びに行きたいなあという気持ちは、金曜日の夜に予想外に満たされて、ひたすら穏やかな連休となった。

 

連休初日は、my little boxの到着で覚醒。びっくりするくらい早い時間に届いて、思いのほか早い時刻から、久々の3連休が始まった。

今回のテーマは"my little road trip"ということで、旅に出たくなるアイテムが、ごちゃごちゃと。最後にパスポートを使ったのが、一年以上前になってしまったので、そろそろどこかパスポートが必要な場所に旅出ちたいなあ、なんて涼しい部屋の中で妄想を膨らませる。

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そうは言っても、涼しい部屋の中は至極快適で、ぺたりとおなかをつけて床に寝転んだが最後、隣の部屋まで行くのすら、なんだか信じがたい暴挙に思える。

レースカーテンの向こう、うっすらと透ける窓の外を見上げながら、初日は「とても外に出る気になれないひどい空模様」と思っている内に、2日目の3日目は「表はきっと炎天下」と思っている内に、ゆっくりゆっくりと日が暮れて行った。

立ったのは料理をするときくらい、というのは大げさだけれど、存分に自堕落な3日間だった。

 

ところで、先日、笑ってしまうほどたくさんのトマトを恋人がもらってきたので、3連休の食卓はトマトだらけ。

一度の料理で大瓶をまるまま一瓶使うので、思ったよりも消化のペースは速い。

まずはラタトゥユを作ったり、パスタのソースにしたり、スープを煮込んだり……と、精力的にトマト料理らしいトマト料理で堪能した後は、ちょっと変わり種でトマト鍋にした。

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これがおいしくて! 昨夜はコンソメをうっかり切らしていて、出汁醤油と塩コショウだけで味付けをした和風出汁だったのだけれど、どうしても洋風も食べたくなって、今夜はコンソメで味付けをし、チーズをのっけてほぼ同じメニューを食べた。

先週の初め、酔っぱらって帰った恋人がお酒の力に任せて解禁したのをきっかけに、我が家もついに今年もクーラー生活をスタートさせたので、数か月ぶりに「温かいものが食べたいな」という気持ちになっていたのも、大きいかもしれない。

先週末食べたラーメンは、あれは、だいぶ修行のようだったものなあ……。おいしかったのだけれど。

ここ何年か、毎年冬になると某CMで流れる「白菜と豚肉のミルフィーユ鍋」が、去年からずっと気になっていて、ついに作ってみたのが冬の終わりだったので、思いがけず一年待たずに食べられて得をした気分である。

 

子どもの頃、ほぼ同じメニューが「白菜と豚肉のミルフィーユ蒸し」として、よく食卓に上がった。

この料理が食卓の中央に鎮座するのは、たいてい母が忙しいときで、そのせいか、付け合せも納豆とか冷奴とか、全体的に食べ盛りの10代には今一歩物足りないメニューだった。

母がまるままの白菜を丸洗いし、豚バラを解凍しはじめると、わたしはこっそり思ったものだ。「あーあ、今日の晩ごはんはつまんない」と。

母の作るミルフィーユは豪快だ。縦半分に切った白菜を一枚一枚はがして洗い、その間にカットしないまま長い豚バラを挟んでいく。そのあとはラップをかけてレンジでチンするだけ。

食卓に出す前にざくざくと食べやすい大きさに切れ目を入れ、そのまま食卓で、どぼどぼとポン酢かお醤油をかけて食べる。

見た目だけは野性味あふれるそのメニューは、その淡白な味から、油大好きがっつり命の父にも、その味覚を受け継いだ当時のわたしにもあまり人気がなく、強いて言えば妹が好きな味なのだけれど、さすがに大食漢の妹でも、他のおかずも食べながらでは、白菜まるまる半分は食べきれなかったようだった。

そういうわけで、母が仕事から帰ってきてもメインのおかずが残っている、数少ない日がミルフィーユの日だった。

帰りにコンビニで甘いものを買ってきた母が、「また残してる」と言いながら、温め直したごはんといっしょに、こちらはすっかり冷えた白菜と豚肉をつつく。

わたしは中学生のころからずっと宵っ張りで、家族の中では、犬といっしょに起きていることが多かったので、なんとなくいっしょに残りをつついたりした。

「こんなにおいしいのに」という不満そうな言葉には、結局最後まで心から頷くことはできなかったし、我が家の食卓からこのやっつけメニューが消えることも結局なかったけれど、夜11時を回ったころに、ダイニングのテーブルでつつくお皿は、たしかに少しだけお箸が進む味だった。

夕食時にかけたお醤油やポン酢がしっかり染みて、ほんの少し、味の輪郭がくっきりしていたせいかもしれないし、いつも「わたしはダイエットしてるから、みんなで食べなさい」とメイン料理を残さなくてもいいと言っていた母が、お漬物だけで夜食を食べていないのが、どこかでうれしかったせいかもしれない。

 

時が経って、今の恋人の食生活にもだいぶ影響されて*1、薄い味や野菜がほぼメインのおかずでも心からおいしいと思えるようになった。

にも関わらず、白菜と豚肉と言うコンビは、たとえ中華でこってりとした餡がかかっていても、なんだかさみしい感じがして、外ではぜったいに頼まないメニューのままだ。

でも、家で食べる分には、なんだかとてもしあわせだなあ、と思った。つつましやかで、もちろん体にも良さそうで、お鍋いっぱいの背伸びをしない豊かさがある。

これからもこのメニューを、わたしはきっと家でしか食べないし、コンタクトも外してしまった後のメガネをかけた姿で、いやだなあとか恥ずかしいなあとも思わず、ただ当たり前のように隣りに座ることができる人としか食べないだろう。

ごはんを食べるのは、ほんとうにおもしろい。食いしん坊なせいか、記憶のほとんどが食べ物に結び付けられているので、同じ人とごはんを食べれば食べるほど、わたしは少しずついろいろなことを思い出す。

今年の海の日は、笑ってしまうほどたくさんトマトを食べたという記憶と共に、我が家のキッチンに、新しい定番メニューが増えた一日になった。

*1:お漬物どころか、気を抜けばサラダでごはんを食べ始める。信じられない!