年末年始の、ただの赤
今年の年末年始は、赤を身に着けて過ごした。
服は、むしろ、落ち着いた色のものばかりで、たとえば母親に「もっと若い色を着たらいいのに」と言われるような色。
仕事だから、と着ているつもりだったベージュやモノトーンだけれど、休みになっても、結局ついつい腕を通したのはそういう色ばかりで、なんだ、好きだったのかと思った。
たしかに一時期、あまりにベージュと淡いブルーの洋服が増えるので、その2色のものを買うことを自分で自分に禁じていた時期があった。
9日間もお休みがあると、そんなことも思い出す。
それでは、何で赤を入れていたかというと、唇と爪である。
以前も書いた*1けれど、唇に関しては、長年、それはもう絶対的に赤いのが好きだ。
色つきリップを塗ったような、あるいはグロスだけのせたような、つやつやと小生意気な赤い唇の学生を見ると、それでこそ! と思うし、こっくりとマットな大人の女性の口紅然とした唇は、「いつか似合うようになりたい」という憧れを再確認する。
ただ、どちらかというと、今のわたしはまだ”成熟”よりは”小生意気さ”の象徴としての赤い唇を好む傾向がある。こっくりよりはとろっと、滴り落ちてきそうな透ける赤が好き。
そういう意味では、このDiorの#999は、譲っていただかなければたぶん手を延ばさなかったであろう口紅。
広告でナタリー・ポートマンが使用している、ということもあって、美容雑誌ではひっぱりだこだった色、というのは後付けの情報で知った。
#999 時を越えて輝くパーフェクトなトゥルー レッド。
ディオールが最初につくったリップスティック「9」へのオマージュ。その後「99」という番号で再登場し、そしてちょうど10年前「999」に。
この赤が、朱色、でも、赤味ピンク、でもなくひたすら「赤」。わたしの好きなあどけない赤というのにはもちろんほど遠く、でも色っぽいかというとむしろ”女”という色香は色自体にはほとんどなく、それならいっそマダムっぽいかというと、そういうわけでもない。
なんというか、ただ「赤い」のだ。事実として、赤い。それがとても潔い。別に赤が持つ何かのイメージをまといたくて身に着けているわけでなく、赤が好きだから赤をまとっている、という気持ち良さがある。
毎回、キャップをとると、本当に笑ってしまうほど純粋に赤くて、口紅をひくのが楽しくなる。
時を同じくして譲っていただいたネイルの#999も、同じようにシンプル。
もっぱらペディキュアにしているのだけれど、赤いペディキュアで、ここまで色っぽさがないのは初めてである。ただ肌が白く見え、冴え冴えとしている。
”少女っぽい赤”とか”女っぽい赤”とか、そういう何かのための赤はきっとずっと好きだけれど、ただ赤いという身軽さがとても心地よくて、年末年始はずっとこの赤で過ごした。