夏の終わり
9月になった。名実ともに、秋である。風が涼しくなってきたので、俄然、お酒がおいしい。
今日の晩ごはんには、今年はじめての秋刀魚を焼いた。魚焼き器の中で秋刀魚はいい音を立てて皮をはじけさせ、「生クリームのような」というお父さんのそれをめざして、恋人が丁寧におろした大根おろしは、ちっとも辛くなく、もやしのお味噌汁もやわらかい味がした。
昨日はお刺身にほうれん草のおひたしを食べて、大好物のホタテはもちろん、おひたしがしみじみおいしくて、秋だなあという気がした。わたしの場合、途端に野菜がおいしく感じられたら、それは秋になった証拠である。
洗い物をしながら、今年も夏が終わってしまったなあ、と思う。まだときどき日中は暑いけれど、気づいたら日が暮れている日が多くなって、先週は一度薄手のタイツをおろすことも試みた。
他のどの季節が終わってもそんなことは思わないにもかかわらず、毎年、夏が終わると律儀に悲しくなってしまうのはなぜだろう。
実際、ちょっと動けば汗はかくし、油断するとすぐ日には焼けるし、なんならいっそ本格的にバテるしで、夏というのはそんなに快適な季節ではない。
秋が来ると食べ物はおいしくなるし、いちばん好きな7分丈の服1枚で快適に過ごせるし、メイクもぐっと崩れにくくなるし、紅茶も急においしくなるし、読書は捗るしで、途端に快適になる。
いっそ寒いまま初夏に突入してしまう春や、こちらは寒がりなので論外な冬より、ずっとずっと快適で、たぶん季節としてはいちばん秋が好きだ。
にもかかわらず、最初に「ああほんとうに夏が終わってしまった」と思った9月の第何日には、毎年ぞっとするくらいさみしくなる。
今年の夏は、あまり遊びに出かけなかったけれど、それでも2回お芝居を観に行った。
ひとつは大きな箱で、もうひとつはパイプ椅子がきゅっと何席か詰められたとても小さな箱だった。どちらもちょっと切ない終わり方で、夏の盛りに観たのに、とてもセンチメンタルな思い出として残っている。
今年の夏にしたこと。平日にLIVEに行った、プラネタリウムを観に行った、重い本を抱えながら中学生に混ざってかき氷を食べた。
他にも特筆すべきは、金曜日に何度か友達と飲んだこと。何年間か、金曜の夜は、会社か恋人かの2択しかなかったわたしにとっては、少し新鮮な展開だった。
金曜の夜は最後まで疲れることをしているか、疲れ切った状態でも会えて、会いたい人と会うかしかなかったのだけれど、さすがに少し、余裕が出てきたのかもしれない。何事も3年は続けなさいというのは、それなりに理のあるお説教なのかも。
昨年行けなくてうわごとのようにつぶやいていた海には、結局今年は2回行けた。
最初は南の島へ、それから二度目は故郷の海へ。どちらもおだやかな海で、ハワイでは数年ぶりに海で泳ぎ、ふるさとではもうくらげが出始めているかもということで、サンダルを脱ぎ、脚だけひたして波打ち際を歩いた。
それから、それから。今年の夏にしたこと。
たぶんはじめて、ちゃんと父の誕生日を祝った。はじめて一夏に二度以上、帰省をした。久々に電車で数駅のところに住んでいる妹と会った。
何もしてないと思っていたけれど、思い返してみれば、実家方面では、だいぶ濃厚な夏だった。お互いばたばとしていて、恋人とはあまり遊べなかったけれど、おかげでなんだか大人としてはじめて“家族の行事”を一通りやってみた気がする。
来年の夏は半々くらいでいいかな、と思いながら、今年の夏も楽しかったと結論付けるとはじめて、夏を終わりにできて、ようやくいそいそと気持ちの秋支度が始まる。