ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

風景をなぞりに

ばたばたと帰省。何をするわけでもなく、大掃除を少し手伝ったりしながら、年越しをしそうである。

恋人は恋人で北へ帰省しているので、数日間だけ、遠距離に戻ることになる。

http://instagram.com/p/gxsA-wr5QL/

パソコンのフォルダを眺めていたら、まだケータイだった2年前の写真が出てきた。

2月の半ばで、とても寒くて、もちろん北海道からスムーズに飛行機が飛ぶはずがなく、21時発の飛行機は遅れに遅れて、羽田には日付が変わるぎりぎりについた。

もう電車がなくて、まだ学生だったからタクシーに乗るなんて考えられず、さみしい空港はこれが最後だな、と思いながら、朝までひとりで数年前にできた国際ターミナルのカフェで始発を待った。

メールを何通も交わしたケータイは3時頃には充電がなくなり、ジンジャーエールをなめながら、本を読んだ。最後にはすることがなくなって、ウィルコムのゲームをした。

 

どちらもなかなか気軽に買える航空券ではないので、年末年始くらいは、と休みほぼフルくらいの日程でそれぞれ戻ることにしているのだけれど、来年からはこんなに長くなくていいかなあ……と思いつつある。

もちろん、この時期にしかゆっくり帰省もできない、というのはあるけれど、それ以上に、この時期にしかまとまった休みが取れない。来年は、大晦日と三が日くらいがちょうどいいかなあ。

 

上京してもはや8年(!)になったわけだけれど、実はまだ、東京でお正月を迎えたことがない。

わたしにとって、まだ、年末は大きな2段カートの上にも下にも食材のあふれる買い出しのイメージだし、年越しは女性陣で観る紅白からのジャニーズカウントダウンだし、年始は新しい洋服をおろしての親戚回りのイメージだ。

恋人にとっては、新年よりずっと盛大な大晦日の宴と、夜な夜なうつ麻雀、誰がどれくらい飲んでいるのかわからない大量のビール、みんなで行く車に戻るまでにタオルが凍る温泉、対照的に静かなお正月というのが年始のイメージらしい。

そういう子どもの頃から変わらない「年末年始の風景」の再現を、できるうちはした方がいい、と思っている。そう思うくらいには、わたしは年をとって、つまり待っている人々も年を取ってしまった。

 

でも一方で、「たまの長い休みをずっとふたりで」と思う程度には、去年一年間もまだまだ時間が足りなかったのも事実。来年は、年末年始くらいいいか、と思えるくらいには、プライベートが足りるような一年にしたい。

とりあえず、ぽかーんと暇になってしまったので、今年を振り返りつつ、ブログでも書いていこうかと思う。