年に一度の、まいにちのパン
ささやかなしあわせと言えば、この間、ようやく念願のパーラー江古田に。
行った、とすぱっと書けないのは、本店さんの方ではなく、2号店「まちのパーラー」さんの方に行ったからである。
こちらの方が、少しお店が広いと知って、せっかく訪れたのに、入れなかったり、メニューが終わっていたりするよりは! と。
なので、最寄駅も江古田ではなく、小竹向原というところ。東京に来てだいぶ長くなったけれど、生まれてはじめて降りた。
もっとも、パンのためだけに、はじめての町にやってくるというのも、生まれてはじめての経験である。
お昼と夕方のちょうど真ん中の時刻、小さな駅は、とても静か。
2番出口を出ると、ここでほんとうに合ってるのだろうか……地図通りに歩いて、ほんとうにお店があるのかしらん、と気持ち不安になるくらいに、のどかに静かな空気で満ちている。
出口を背にしながら、右に進み、そのまま道なりに進む。
低い壁の隙間から見える、タオルばかりがずらっと並んだ洗濯竿や、大・中・小の並ぶ自転車。
どうやら下校時刻らしい小学生が、バイバイを繰り返しながら、曲がり角ごとに少しずつ少しずつ減っていく。
5分くらいその集団と付かず離れずの距離で歩き、わたしもそろそろ、この列を見守るポジションから離脱したいなあ、と思ったころにぽんっとレンガ造りの保育園が現れた。
まちのパーラーは、まちの保育園に併設されているカフェだとは聞いていたけれど、まさかほんとうに入口まで同じだとは!
「部外者なのにいいのかしら……」と、躊躇しながら、おそるおそる扉を開くと、右上に「まちのパーラーへようこそ」と書かれた黒板がお出迎え。
そのままふらふら前に進みたくなるのをこらえて、左を向くと、カフェの入口が見える。
どこから入ればいいのかわからず、そのドアをとりあえず開けてみたら、どうやら正解だったようで、ほっとして周りを見渡した。
小さなスペースに、所狭しとパンが並ぶのに気を取られながら、奥へ。今日は時間があるので、ちゃっかりイートインを利用して帰る予定なのだった。
頼むものは、『孤独のグルメ」にも出てくるらしい、ローストポークのサンドイッチにしようと思って来たものの、実際にメニューや、周りのお客さんが食べているのを見てしまうと、あれもおいしそう、あっちもいいかも……! と目移りしてしまう。
でも、次に来られるのかわからないし、と気持ちを奮い立たせて、なんとか初志貫徹。
小さなお店なので、待っている間も、ずっとパンが焼けるいい匂いがして、自分の体まで、日なたに溶けていくみたいな気持ちになる。
後は散々、パンで迷って、限定のカンパーニュがあったので、それにしてもらうことに。
やってきたサンドイッチは、思っていたよりコンパクトサイズ。
最初から半分に切り分けられているので、食べやすくていいなあ、と手に取ったら、その重みにびっくりする。
ずっしりと重い原因は、何重にも折り返して挟まれたローストポーク。
バルサミコソースと塩コショウだけのさっぱりとした味付けに、ぷちっと甘い温められたトマトの酸味が、心地よい。
そして、何よりも何よりも! 具材を挟んでいるカンパーニュがおいしい……!
ハードパンが好きだったことを、一口ごとに思い出すような、口の中でぎゅっと一度抵抗したあと、思いのほか軽やかに、もちっと噛み切れ、思わず頬がにんまりとゆるむ食感だけでもおいしいのに、味が……もう味が…………。
かりっと焼いてあるはずなのに、どんなやわらかなパンよりも、みずみずしくて、ふしぎ。
たぶん、幼稚園がカトリック系だったせいだと思うのだけれど、わたしにはなぜか、おいしいパンを食べると、「いのちのパンだ」としみじみ手を合わせたくなる癖がある。
それを心の中じゃなくて、思わず実際にしてしまいたくなるような、たいへん健やかにおいしいパンだった。
華やかなわけでは決してないのに、ぱああっと心に火が灯る、あたたかなパン。
セットで付いてくる飲み物は、あまりにぽかぽかとした陽気が気持ちよくて、そのあたたかさにもっと溶け込むように、あつあつのチョコラテを頼んだ。
きれいなラテアートの底に沈んだ、板チョコレートの欠片を溶かしながらいただく。
こういうパンを、毎朝食べられるというのは、至福だろうなあと思いながら、次こられるのはいつかなあ、と皮算用をする。なんやかんやで年に1回くらいになってしまいそうな気がするけれど。
それを言い訳に、たくさんお土産も買い込んで、両脇から漂ってくる夕食の匂いを嗅ぎながら、いつもよりだいぶ早い帰路に着いた。