ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

連想珈琲

相変わらず、コーヒー生活が続いている。

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休日の朝、ねぼけたまま淹れるのは、バニラとマカダミアフレーバーのコナコーヒー。

コーヒーを淹れただけなのに、朝からパンケーキを焼いたような香りが部屋中に広がって、お手軽に休日気分を味わえるところが気に入っている。

酸味さえ強くなければ、コーヒーは濃いめに淹れるのが好きだけれど、これはこれでとても好き。

現実には、重たい曇天の広がる窓から、7月とは思えないひんやりとした空気が流れ込んできているのに、朝から、まるでお昼のような日差しの差し込む日向くさいドライブインで、新聞やペーパーバックをぱらぱらめくりながら、だらだらしているような錯覚に陥る。

アメリカとコーヒーという単語が組み合わされるとなぜか、わたしは一度行っただけの、アメリカ郊外のファミリーレストランを思い出す。

何もかも平たい町の中で、その建物は一際平たくて、日に焼けたピンク色の壁がかわいかった。

母と二人で、それぞれ語学研修を終えた後だった。英語疲れというよりは、人疲れでくたくたで、なんだか夢現だったせいかもしれない。

実際には、わたしはそこで、ごはんのお供にするにはヘビーすぎる量のコカコーラを飲んだのだけれど、なぜか薄いコーヒーを飲むと必ず、あの店を思い出す。

店内にあふれる、まるで回想シーンみたいな色合いの陽の光、シロップでびしゃびしゃにして食べる薄いパンケーキ、お店に漂う淡いコーヒーの香り。

体験したような、あるいはほんとうはしていないような光景が、毎度毎度、律儀に脳内に広がる。

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こういうとき、いつも誰かに訊いてみたくなる。

わたしには、コーヒーに限らず、何かを見ると都度都度必ず他の何かを思いださずにはいられない、ということがままあって、それが例えば、薄いコーヒーとドライブインの朝であったり、あるいは五反田駅とある小説の登場人物だったりする。

他にも、トマトを丸かじりする度にトトロのテーマソングが流れたり、重たく汗をかいたジョッキでビールを飲む度にある小説の影響で、一面の麦畑が脳内いっぱいに広がったり。

面白いのは、かなり細かく限定された形で、連想が紐付けされていることだ。

たとえば濃いコーヒーを飲んでもドライブインは浮かんでこないし、タクシーで乗り付けた五反田はただの賑やかな大人の街だし、ミニトマトは単なる好物だし、グラスで飲むビールは会食の味がしてあまり健康的な気分にはならない。

連想ゲームというよりは、もはや脊髄反射の域で、他の人も、こんなに律儀な連想を日々繰り広げているのかなあ、と思わずあたりを見渡してしまう。

叶うものならば、こっそり頭の中を覗いてみたい衝動に駆られる。


このコーヒーを飲むときだけ、たっぷりしたマグで飲みたくなるのもたぶん、そんな連想のせいだ。

今朝使ったミッキーのマグも、こうして単体だといまいち伝わりにくいけれど、優に普通のマグの2倍はある。

最初にコーヒーに憧れたのが、海外ドラマの『F・R・I・E・N・D・S』だったからだというのも大きいのかな。 

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両手で抱えるような大きな大きなマグに入った、(たぶん)薄い(のであろう)たっぷりしたコーヒーを手に、何かと言えば近所のコーヒーショップに集まる姿に、「いいなあ」と目を輝かせたことを覚えている。

集団行動は苦手なのに、そして画面の中の6人は実際、些細なことから重大なことまで、いつもケンカばかりしてたいへんそうだったのに、あの生活は楽しそうだった。

いまだにルームシェアという言葉に抗いがたい魅力があるのも、おおむね、あの6人のせいだと思う。

基本的はシットコム×ラブコメなので、ほとんどの回が、最後みんなでコーヒーショップのソファに集まり、コーヒーを啜るところで終わる。

どんなに些細な事件が起きても、ほんとうに生活が変わってしまうような一大事が起きても、銘々大きなマグを両手に抱えて、同じ場所に集まってくる。

うれしいことがあった時にはそのマグでゆるむ口元を隠して、やりきれないことがあったときには下がった口角を隠して。

気まずい沈黙に陥ったときには、それぞれ黙って啜っていることも多々あった。そんなとき、何度も口に運んでも、そう簡単にはなくならない大きさが画面越しにも頼もしかった。

飲んでも飲んでもなくならいマグに観念し、どちらかが歩み寄ってしまうくらいの時間を作り出す名小道具だったと思う。

その刷り込みだろう。薄いコーヒーを大きなマグで飲むと、たいていのことは「まあなんてことはないこと」にしてしまえる気がしている。


そういうわけで、コーヒー党の恋人には首を傾げられるようなさらりと薄い粉も、うちのキッチンには常備してある。

落ち着いたら、また紅茶を淹れようと思いながら啜るブラックなのに薄いコーヒーは、現実を、しょうもないままふわりと身軽なフィクションに変えてしまう、不思議な効用があるみたいだ。