ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

赤いカップと白いひつじ

街に赤いカップがあふれ始め、帰り道が夜でも明るく光るようになると、今年もそろそろ店じまいだなあ、と大きく伸びをしたくなる。

日に日に年の瀬感が増していて、12月も早7日目が終わろうとしているけれど、もはや焦るというよりは、そこらへんで遠慮してなくていいから、早くこちらへいらっしゃいという気持ち。

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やり残したことは、と考えだすといろいろあるけれど、それはそれとして、今年はなかなか、いろいろあった。

望んでいたことも望んでいなかったことも、元旦に想像していたことも、想像していなかったことも、それはもう見境なくいろんなことが起きた。

だからもう、これ以上何かしたいというよりは、今以上にしっちゃかめっちゃかな(?)お祭り騒ぎになる前に、頼むから平穏無事に終わってください、という心持ちである。

ここらへんでいったんお開き! と高らかに宣言して、そろそろエンドロールに入りたい。2014年は、もう十二分に盛りだくさんだった。

 

コーヒーショップのto goカップも、1年ぶりに真っ赤なホリデイ仕様になり、今週末、今年はじめてのジンジャーブレッドラテを飲んだ。

毎年タリーズアイリッシュラテを飲むと「年末だなあ」と思うけれど、このラテを飲むと更に一仕事終わった感があり、年によっては、「これでもうクリスマスが来てもいい」とすら思う。

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子どものころ、クリスマスは他のどんなものとも違い、きちんと準備をしないとやって来てくれないホリデイだった。

カトリック系の幼稚園だったこともあり、物ごころついた頃には、クリスマスとは、「その日まで」がとても長いイベントだなあ、と思ったことを覚えている。 

幼稚園のころのクリスマスは、毎年11月の終わり、サンタさんにお願い事を考える前に、まずは紙粘土でひつじをこしらえることから始まった。

出来上がった小さなひつじを、毎日毎日、「何かよいこと」をして、一歩ずつ厩に歩かせる。

なおかつ、悪いことをした日には一歩下がるという、なかなかシビアな決まりごとがあり、厩に羊を辿り着かせることができた子だけが、サンタさんにお願いをすることができるのだとみんな真剣な瞳で信じていた。

 

それ以外にも、オーナメントがつりさげられたクリスマスツリー、フォークで模様をつけるブッシュドノエル、それから、サンタさんへの手紙とそれに添えるクッキーも必要で、ともかくきちんと準備をしないと、クリスマスは近づいてこない。

イブの夜にミサまでしてはじめて、ああクリスマスがやってきた、とようやくもろ手を挙げて歓迎することができた。

ほんとうにあのころのクリスマスはやることが多かったなあ、と今思い返すと、少し感心する。

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だからこそ、というか、繰り返しめくった翻訳絵本や、何度も見た洋画の中に出てくるクリスマスをあらかた再現して、わたしはクリスマスを過ごしてきた。

その中で唯一、いまだに再現できずにきているのが、ジンジャーブレッドマンのいるクリスマスである。 

 

ジンジャーやナツメグ、他にもスパイスを練りこんだジンジャーブレッドマンクッキーというのが、わたしにとって特別だったのは、毎年この時期になると繰り返し読んだ絵本のせいだと思う。

もうタイトルも忘れてしまったけれど、クリスマスの準備にとクッキーを焼き始めたおばあさんが困る話だった。

毎年焼いているクッキーなのに、なぜかその年だけ、うっかりジンジャーブレッドマンが生きて動き始めてしまい、あれよあれよという間にオーブンから抜け出してしまう。

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それが、「たいへんだ食べられちゃう」という感じではなく、ひょいっと置きあがってみたら実は動けてしまいまして、そして動けるならわーいわーいという、とてものどかな抜け出し方で、それが新鮮だった。

もっとも、あんなに読み返したのにもかかわらず、くわしいことはよく覚えていない。

ともかく、ひょいひょいといろんな場所へ逃げては食べられそうになるクッキーの姿が面白くてかわいくて、クリスマスが近づくと、繰り返し繰り返しその絵本をめくった。

最後はどうなったのか覚えていないものの、わたしの記憶の中では、無事に逃げられたということになっている。

無事に逃げ切り、おばあさんの家まで帰ってきたジンジャーブレッドマンは、素知らぬ顔をしてツリーに吊り下げられているのだけれど、その子の肩にだけ雪がつもっているのでした、めでたしめでたし!

ほんとうか嘘かわからないハッピーエンドを思い浮かべながら、そう頭の中で呟いて飲むジンジャーブレッドラテは、子どものころの憧れとわくわくが大人の味に落とし込まれていて、なんとも言い難いしあわせな味がする。

わたしにとって、このラテは、その年のエンドロールを始めてくれる一杯で、できればずっとずっと出し続けてほしいメニューのひとつである。

 

去年ヨーロッパに旅をしたときに、クリスマスマーケットを横目に入った本屋さんで、こんなものを買った。

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ドイツ語がよくわからないのでなんとなく、ではあるのだけれど、どうやらクリスマスに贈る「チケット」らしい。

何種類かあったのだけれど、その中にはおかあさん宛のものがあり、それはおそらく、子どものころよく作った「肩たたき券」とか、「お手伝いします券」などの豪華版のようなものだった。

クリスマスまでにすること、クリスマスにすること、が20枚つづりのチケットになったこの小さな本は、“支度をすること”こそがクリスマスの醍醐味だということをシンプルに体現した、ささやかだけれどとても美しい本だ。

大人になってからは、もうさすがに粘土でひつじはこねないし、プレゼントとケーキの準備以外に、特に支度らしい支度もしない。

毎年同じラテを飲んで、ああ今年も心の中にひつじを一匹飼わなくちゃ、とぼんやり思い出すことが唯一、今の私がする準備らしい準備で、ホリデイシーズンはだからいつも、その日から始まる。