秋のごはんは家ごはん
特に大きな予定はなかった週末だけれど、食事の予定だけは立てていて、今週末は、久々に家で食べようと決めていた。
その志の一因として、この2週間、とみに外食が多かったのもあるけれど、久しぶりに読んだ『木曜組曲』の中で、家の中にいい香りが充満しているようなごちそうの描写に喉が鳴ったせいもおおいにある。
恩田陸さんの著書の中で、いちばん好きな作品で、でもどちらかというとマイナーなため、一度図書館で借りて読んだっきり、なかなか手元に置けずにいた。
わたしはやっぱり紙の本を、装丁が好きとか、使っている紙が好き、とか言いながら集める方に寄っているけれど、そういう意味では、手軽に探してその場で何年も出会えずにいた本をぽちっと自分のものにできる仕組みを便利だと言わないのは、フェアじゃない気がする。
コーヒーをのみながら、BAGEL&BAGELのバナナチョコマフィンを食べ食べ読むのに、本を押さえていなくてもページがもどらないし。
土曜日。玄人はだしのえい子さんの料理は目指せないし、今年の秋は和食の気分なので、今年はじめての炊き込みごはん。
写真を見たらどうしても食べたくなったほっけを焼いて、舞茸のお味噌汁を作り、エビとブロッコリーのサラダは買ってきたものでずるをして、食後には、こちらも今年はじめての柿。
舞茸は大人になっておいしいと思えるようになったもののひとつで、子どもの頃、きのこの何がおいしいのか、ちっともわからなかった。
たとえばしめじの噛めばぬきゅぬきゅとする食感が苦手だったし、ミートソースに入っているマッシュールームのべちょっとした食感もあまり得意じゃなかった。味の方も、どんな種類であっても、なんだかちょっと苦いのがとても苦手だった。
舞茸はきのこの中でも癖が強い気がして、ずっと食わず嫌いだったけれど、ここ数年お鍋にさらっと入っているのをちょこちょこ食べて、いつのまにか克服していた。
食後の柿は、恋人が実家からもらってきたもの。柿がこの世でいちばん好きな果物、という恋人にとっては秋が至高で、桃がこの世でいちばんおいしい果物*1だと思っているわたしにとっては、秋は少し名残惜しい季節。
今年は実家に帰ったときくらいしか、桃を食べなかったなあ、と思う。皮をむかれて6等分だか8等分だかに切られ、ちんまりと行儀よくお皿の上に整列している桃もいいけれど、許されるのならば、断然まるままがいい。
ざっと冷たい水ですすぎ、指でやさしく産毛の生えた皮をむいて、流しの前に立ったまま、こぼれる果汁で腕までだらだらとぬらしながら食べる桃は、リビングの大きな窓から入ってくる風とともに、守られていた夏のしあわせを思い出す味である。
制服の上だけ脱いで、半そでのシャツとプリーツのきいたスカートにたらさないよう気を付けながら、水を飲むようにごくごくと、2個くらいならするするとたいらげられた。
でも柿も好きだし、やっぱり秋は果物のおいしい季節だなあ、と思う。
夏は食欲がなくなるので、冷たいものをと思うとアイスクリームに手が伸びる。それに対して、秋は急にごはんがおいしくなるので、食後のデザートは果物くらいの軽さの方がちょうどいい。
日曜の夜も、とろろに茄子味噌炒め、舞茸はお吸い物で、と食べたいものだけの晩ごはんを作って、旺盛な食欲でたいらげた。食後の柿はやっぱりぴったりの軽さで、秋は家ごはんがおいしい時期だなあとしみじみ。
『木曜組曲』の中に出てくる料理も、今年は何個か作ってみようかなあ。
4人の女性が食卓を囲み、ともかくおいしいものを端からたいらげながら、あっちやこっちに行く会話の中で謎を解いていく『木曜組曲』は、秋と言えば、食と謎と読書、というわたしにとっては、この季節に読むにはぴったりの1冊だった。
*1:果物で唯一主食にしてもいいのは桃。大学生の時には、本当に桃を1ダース買って、それで1週間