ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

物語を手に入れる瓶

高校生の頃、わたしは偏執狂的に、香水のクチコミを読むのが好きだった。

当時はまだ、家族共用のパソコンを使っていて、熱心にクチコミを読み漁る娘を、母や妹は、ひどい香水好きだと思っていた。

でも、当時のわたしは、香水そのものよりも、いっそ香水について書かれた文を読むことの方が、ずっとずっと好きだったのだと思う。

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香水には、他のコスメの感想と違って、人に物語を語らせる力があった。あのとき、あの場面で、ああやって香らせた/まとった/もらった/購入した香水。
 
そういうディテールが書き込まれたクチコミは、もはやクチコミではなくて、誰かの日記を読んでいるようだった。誰かの特別な、あるいは日常の記録を盗み見ているような。
 
そのせいで、わたしの好きな香水は、ゲランのものが多い。
 
ゲランの香水の感想は、ひとつひとつ、ものすごく個人的で、いっそあまり香り自体の感想ではないものが、他のブランドのものより圧倒的に多かったからである。
 
だから、今でも、ゲランの香水を手に入れると、香りを手に入れたというより、物語を手に入れたような気持ちになる。
 
 
二十歳のときには、シャンゼリゼを自分への誕生日プレゼントとした。
 
軽やかな金木犀の香りは、子どもの頃、小学校からの帰り道を連れ立って歩いていた母が、「いちばん好きな香り」と言っていた秋の夕方を思い出す。
 
葉っぱを流して競争した小川、じゃり道と人懐こい犬がいた家。どこにも行けない小さな橋。
 
つられて、小学生の間、たった6年間通っただけの通学路のいちいちが、フラッシュバックする。もう十年近く、歩いていない道なのに。
 
一方で、しあわせな外出にしかつけていないと決めているせいで、つけた瞬間に、今日は外で楽しいことがある日だと体が準備を始める香りでもある。
 
ピンク色の外箱は、うきうきとゲランにしては若い喜びに満ち溢れていて、わたしにとって、シャンゼリゼは「おでかけ」の匂いだ。
 
楽しい、ただ少し、背伸びして出かける場所へのおでかけ。あのまったくウエットなところがない、からっと明るいかわいいキラキラさ加減は、他のどんな香水にもないと思う。
 
 
そして、この間、もうひとつ、大人になったら手に入れようと決めていた香りを、手元に取り寄せた。
 
こちらはずっとずっと内向きな、ランスタン。つけると、二度と外には出たくなくなる。
 
淡いとろりとしたオレンジ色とピンクの間のような色をした、液体そのままの香り。甘くて、とろりとして、ぐにゃりと体の芯が骨抜きにされる。
 
金曜日の晩、お酒くさくない体に、しゅっとこの香りを吹き付けて始められる週末は、途方もなくしあわせ。今日は久々に、そんな始め方をできそうだ。