ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

それはたとえばサンライズでもなく

そして、また日曜日。2月最初の週末が終わっていく。

朝ごはんは、薄く切った小ぶりのトーストとスクランブルエッグ。わたし用にかりっと焼かれたベーコン3枚と、薔薇のジャムをたらしたヨーグルト。それから珍しく飲み物はミルク。

10時半くらいには食べたのだけれど、ちっともおなかが空かず、お昼は昨日の晩ごはんで食べきれなかったケンタッキーを温め直したり、すごく久しぶりにメロンパンを食べたり。

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一時期、数字を扱う仕事をしながら食べるのはメロンパンと決めていたのだけれど、あの大きさをもそもそと食べ続けるのはけっこう覚悟が必要で、自然とまた食べなくなった。

チョコチップ入りを試したり、中にクリームが入ったにしてみたり、色々とやってはみたもののもの、するっと熱は過ぎ去った。

 

もっとも、そもそもメロンパンデビュー自体が遅い。

そのそも、子どものころはメロンパンではなく、サンライズで育った。全国チェーンのお店ではない地元のちいさなパン屋さんでは、同じものがその名前で売られていたから。

小学校低学年まで通っていたスイミングスクールの下に、ちいさなパン屋さんが入っていて、レッスンの帰りにはひとつ好きなパンを買ってもらえた。

わたしが選ぶのは、たいていスイートブールのような生地の細長いパンが縦に半分に切られ、そこに生クリームがしぼられた甘いパンで、妹が選ぶのがたいていサンライズだった。

クリームもチョコレートもついてないのに、なんでそんなシンプルなパンを選ぶのだろう、といつも思っていたなぁ。どちらかというと、妹のほうが子どもらしい子どもだったのに、その実、わたしの方が余分なものに目がない子どもだった。

でも、わたしたちは(今思えば)仲のいい姉妹だったので、必ず一口ずつ交換してそのレッスン後のごほうびを頬張った。その度に、「一口食べる分にはおいしいな」と思った。

パン屋さんの隅には、ミルクやら紙パックのジュースやらが冷えているスペースもあって、そこでいちご牛乳やオレンジジュースを買ってもらっていっしょに食べた。

母は紙パックに入った○○牛乳がとにかく好きで、自分の分のパンを買わないときでも、必ずその飲み物スペースには立ち寄っていたことを思い出す。

あのころの思い出のせいか、結局、自分ではほとんど食べずに育ったのに、メロンパンというと子どものころのことを思い出す。だから、この本の表紙がメロンパンなことにもすんなり納得した。

いとしいたべもの (文春文庫)

いとしいたべもの (文春文庫)

 

メロンパンには、ちょうどいい郷愁があると思う。うちの地元は、メロンパンじゃなかったけれど。

 

さて。というわけで、天気のいい日曜日の昼下がりに久しぶりに食べたメロンパン。見た目は正統派。なんだか正しくメロンパンナちゃんのフォルム。

でも、食感は正統派とは一線を画したもの。生地がともかくもちっとみずみずしくて、みっしりしているけれど、粉好きなら最後までしみじみ好きだなぁと食べ切れるおいしさ。

メロンパンは上のカリッとしたクッキー部分だけでいいと思っていたのは、下がどうしてもぱさっとするからだったんだなぁ。

これなら子どものときにも選んだかもしれない、と思いながら華やかな香りの紅茶といっしょに完食した。