ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

不意打ちのダークグレー

雨の土曜日。がちゃりと玄関で鍵の開く音がして起き上がると、朝ごはんを手にした恋人が、リビングをぱたぱたと片付けていた。朝の9時。

昨夜は遅かったせいで、なんだかまだまだ寝たりない気持ちのわたしとは違い、忙しく立ち働く手足からは、既に外の匂いがする。

低く音を絞ったステレオからは、「日曜日の朝、雨が降っている」というMaroon5が歌っている。

一日早い、と思いながら、ソファーに腰かけて、半分寝ぼけたまま、朝ごはん。

雨の日のお休みというのは、何時に起きても、明け方4時の気分になる。寝ている間に、夜の底にぽこんと閉じ込められてしまったような。

カーテンをめくって外の世界を覗いてみても、とてもまだ、電車が動き出しているような気配は感じられなくて、時計の針を眺めると、なにかに騙されているような気持になる。

寝ぼけた口に、もそもそとおめざ代わりのチョコレートを放り込んで、わたしも一日をスタートさせることに。

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お使い物にしようとしていたのを、自分用に流用したル・コンドン・ブルーのチョコレート。だいぶ少なくなってきた、今年のバレンタインの名残である。

 

朝ごはんは、1合分くらいありそうな大きなおにぎり、ほうれん草のおひたしに、エビの入ったサラダ、そしてもやしのナムル。

胡麻の香りの香ばしいわかめスープが、宿酔の体をじわじわと温めていく。

すぐにパンを焼きたがるわたしが担当では、なかなか朝からは摂れない野菜満載の、休日の朝ごはん。

おなかがいっぱいになった後は、平日に買っておいた江國香織さんの『はだかんぼうたち』を読み始める。 

はだかんぼうたち (角川文庫)

はだかんぼうたち (角川文庫)

 

『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』の続編です、と言われてもしっくり来るくらい世界観が似ていて、人のいやなところを嫌味なく読ませられてしまうなあ、と思う。

みんなどこか変わっていて、とてつもなくドライで、そのリアルな思考に思わずひやひや。

でも、それぞれ、自分のやり方にしっかり満足して生きていて、ちっとも他人にやさしくなくて、一方でちゃんと自分と自分の大切な人にはやさしくて、のびのびとわがままでほっとする。

くるくる視点の変わる小説を読んでいるときの常で、視点が切り替わるたびに、何度も何度も眠りの誘惑に負けながら、夕方近くまでかかった読了。

雨の日の読書は、日常に薄いヴェールがかかったようにふわふわと夢現で、どこか眠たげな速度になってしまう。

薄めに珈琲を淹れてもらったり、濃いめに紅茶を淹れたりと、何度も温かい飲み物を補給しながら読み進めた。

紅茶は、Mon cherのローズティー。

https://www.instagram.com/p/BBtvakZr5Qu/

#no.11 Sweet Rose

華麗なまん丸の缶に、ティーバッグが詰まっているタイプで、その手軽さに既に残りは2つしかないくらいするすると消化中。

明日は、最後の1杯を淹れて、こちらも最近タイトル買いした『人生はアイスクリーム』を読む予定である。

 

ところで、今日、本をめくりながら、何度何度も睡魔に身をゆだねてしまったのは、もちろん小説の視点が切り替わるせいだけではなくて。

ついに、念願のソファーが、我が家にやってきたからである。

ソファーなら、昔、ひとつ持っていた。ころんとした二人掛けサイズのチョコレート色の、きゃしゃな脚がついたやつ。

でも、4~5年使って、ずいぶんとスプリングが馬鹿になってしまったこと、最終的にどこかにお裁縫の針を飲み込んでしまったことをきっかけに、さよならをしてしまった。

かわいくて、それはそれは気に入っていたのだけれど。座り心地の悪いソファーというのは、カフェならいいけれど、家にはやはり少し残念な存在。

そういうわけで、次に買うならともかく寛げるものがいいなあ、と思っていた。

それでも、あまり大きなものを置くふんぎりは付いていなかったわたしの心を、ぐにゃぐにゃと軟弱に折ったのは、旅先で寝転んだコーナーソファーの素晴らしさに他ならない。

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そのお宿はほんとうに素敵で、堪能すべき場所が、部屋の中だけでも何か所もあった。

夢のような寝心地のベッドとか、思わず寝転びたくなる畳とか、いっそずっと浸かっていたくなる露天風呂だとか。

にもかかわらず、結局いちばん長く時間を過ごしたのは、コの字型に設置されたチョコレート色のソファーの上だった。

寝転ぶもよし、座るもよし、というその使い勝手の良さと快適さに、どうせ一度置くのをやめたソファーを置くなら、大きいものしかない! とあっさり宗旨替えして、旅行から帰ってきた。

 

さすがにコの字型は置くと部屋が狭くなるので、L字型に。

チョコレート色も可愛かったけれど、部屋が狭く見えるのが嫌で、アイボリーにすることにした。

今週末が、はじめて大きなソファーのある週末で、この5日間、ずっと土曜日が心待ちにしていた……のはいいのだけれど。

いざ届いてみると、その大きさにわたしはひとり、絶句した。

とてもひとりでダンボールから出せないーという気持ちと、そうは言っても1分1秒でも早くソファーのある生活に移行したいと! いう気持ちとを天秤にかける。

結局、楽しみの方が勝って、重いダンボールをリビングまで運び込み、ダンボールにカッターを滑らせた瞬間、わたしは今度こそ軽く絶望してしまった。

 

白くないのである。

 

どう見ても、ソファーが白ではないのだ。ああ、そうか、とわたしは納得しようとした。たぶん、これにアイボリーのカバーをつけるのだ、と。

でももちろん、箱の中身を全部出してみても、それらしいカバーは出てこない。

いやいやダンボールに貼られた伝票を観ると、そこにはにべもなく解答が書かれていて、まあなんのことはない、注文を間違えたのだった。

悲しくなって、とりあえず、箱をそっと閉じ、書斎へ向かう。

家の中でいちばん涼しい(今は冷たいとも言う)書斎は、簡易的にチョコレート保管場所になっていて、わたしは後生大事にしまっていたDEMELのボンボンのリボンを、ほとんど無感情に解いてしまった。

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瀟洒なむらさき色の箱。その中に、きっちと隙間なく並ぶ、たっぷりした大きさのホンボンが3粒。

どんな疲れもどんな悲しみも、チョコレートを一欠け齧れば、だいたいどこかへ行ってしまう性質なのを、このときほど感謝したことはない。

DEMELのバレンタイン限定ボンボンは、この世でいちばん好きな、オレンジリキュールと、ラム酒漬けのレーズンの味がした。

指でつまむと、思ったよりも薄いと感じるのに、ぷちんとコーティングされたチョコレートに歯を立てると、見た目通りの満足感が下の中になだれ込んでくる。

https://www.instagram.com/p/BCASWafL5ff/

こんな特別なチョコレートを一気に2粒頬張っておいて、とてもいつまでも沈んだ気持ちでいるわけにはいかない。

「しかたないなあ」と口に出して呟いてみると、くさくさした気分もするりと体の外に出て行く。

ぶるっと震えたiPhoneの画面には、報告を見たらしい恋人からの提案が踊っている。いらないなら買い取るから云々。

もうすぐ帰るともそこには書かれていて、まあいいや、と肩から力を抜く。たぶん、話してさえしまえば、笑い話になるだろう。

よっぽどのことも含めて、そうやって、この4年半やってきた。

「しょうがないなあ」と自分のうっかり加減にしっかり呆れてみると、もうがっかりしている気にもなれなくて、とりあえずコーヒーを淹れ、間違って我が家にやってきたやたら存在感のある家具と向き合うことにした。

汚れなくていいじゃないのこれも、と自分に刷り込むように、呟きながら。

 

結論から言うと、思いのほか、部屋は狭くならなかった。

ソファーがちんまりと頑張ったというよりは、単純にこのリビングには、家具が足りていなかったみたい。

裸足でぺたぺた上るのに躊躇もしないし、寝転んでコーヒーを飲むのも怖くないし、悪くない。

ただ、やっぱり色が強すぎて、ホテルだったり事務所だったりというオフィシャルな感じがするのは否めず。

まさか自分が暗い色の家具を家に置く日が来るとは、思わなかった。

とりあえず、クッションを山ほど置いて、ブランケットをかけて、お茶を濁しているけれど、日に日にさほど気にならなくなってきているので、もう少し、この違和感と親しくしてみる予定。

ほんとうに気になるままだったら、これは書斎用にして、リビングにはホワイトのものを買い足そうかと思っている。はたらこうー。

つまりそれくらいにはもう、もはやなくてはならない存在になっていて、ソファーのない生活が、すでに上手く思い出せない。

日常の中にやってきた初めてのダークグレーは、鮮烈なくらいの不意打ちで、圧倒的な快適さを連れて来た。