ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

夏の憧れ

文字通り、よく働きよく遊んでいるこの1か月。

夏休みらしい夏休みは、今年もまだまだ取れそうにないけれど、それでも夏の思い出は着々と増えつつある。5日くらいまとめて休みたいな、という野望もあるけれど、まだ少し先になりそう。

そんなわけで、黙々と泳ぐプールの合間合間で、ひゅっと素早く息継ぎをするみたいに、小刻みに夏を楽しんでいる。

先週末は、人生2度目の野外ライブを体験してきた。

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最近、平日の朝も少しだけ早く起きて、カーテンを開けたリビングで、メイクをしながらでもいいので、TVを流し見ることにしているのだけれど、週末という言葉と共に台風というワードが飛び交っていて、少し心配していた。

それが嘘のように、窓の外はいい天気。

これで野外ってどうかしている……と清々しく途方に暮れた気持ちで空を見上げ、おかしくなる。

その思考回路が、そもそも「野外」とか「アウトドア」というものと親しくないことは、重々承知。だからこそ、そう短くもない人生で、これが二度目なのだ。

夏と言えば、いかに涼しい場所で身軽な格好で過ごすかに全精力を注いできたタイプなので、こんな真正面に太陽の匂いのする夏の休日は、ものすごく久しぶりである。大学に入ってからは、夏と言えばアイスショー、という感じだったし。

それにしても、スタートが夕方でよかったなあ、と開始時刻の妙を噛みしめながら、心を決めて支度をする。

とても炎天下、肌にまとわりつくものを身に着ける気にはなれなくて、さらりとしたマキシを。3時間半立ちっぱなしなことを想定して、足元は久々のスニーカー。

メイクは日焼け止めをしっかり塗って、チークはクリーム系、アイシャドウはラメのみに。そして、ぬり直さなくても色もツヤもそう簡単には落ちない、エスプリークを最後に鏡の前で一塗り。

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ESPRIQUE ルージュ ステイマジック #836*1

今日は長時間、唇のことは忘れてしまいたいな! というとき、この半年でいちばん手が伸びているのはこのリップかもしれない。

実のところ、この形状はあんまり好きじゃないのだけれど、それを補ってあまりある発色と質感。ぷるっとビビッドなピンクがみたまんまの発色の良さに、なんとも言えない透け感を伴って唇に乗り、他のメイクがぼやっとしていても急に顔がくっきりとする。

そして、その継続力が群を抜いていて、ずぼらなわたしにはそれがいちばんうれしい。

 

外に出ると、思いのほかねっとりとした空気。昨日までの、朝の8時から、アスファルトの上で瞬時に目玉焼きができてしまいそうな、からっとした陽気とは少し様子が違って、よかったような、野外なので少し天気が不安なような、そんな曖昧な空が広がっている。

場所は日産スタジアム。サッカー中継なんかで、会場名として聞くばかりで、自分とは寸分の接点もなさそうだった場所に、お昼過ぎからのんびりと向かう。

あまりに接点がなかったので、横浜にあることも行きの電車を調べていて、はじめて知った。

休日の電車も、もう急いで出かける時刻でもないお昼すぎは、少し空いているみたい。運よく乗り込んだときから座れたので、先週買ったっきり、1週間ほったらかしていた文庫本をめくりながら、小机へ。 

リカーシブル (新潮文庫)

リカーシブル (新潮文庫)

 

10代の女の子が主人公の本は、最近めっきり読まなくなっていたので、新鮮な気持ちでページをめくる。するする読んで、気づいたら、早くも目的地だった。

そして、顔を上げると人・人・人!

もともとどんなものでも、グッズを買うために並ぶという性質ではないので、時間までに席に着くことができればいいや、という心持ちで向かったとはいえ、既にぱんぱんのホームに降り立ったときには「ちょっとそれも無理かも……」という考えが頭をよぎったくらいである。

まあ、急いでも人波にもまれて苦しいだけか……とゆったり人の流れを見送り、駅に出ていた売店で、万世のカツサンドとチップスターを購入して、15分前にようやく空いてきた小机駅を後にする。

誘導係として立っている、どう考えてもフル稼働の駅員さんたちに頭を下げながら、からりと乾いた明るさの大きな駅から出ると、すぐに視線の先に、会場であるスタジアムが目に飛び込んできた。迷いようがない明確さ。

わたしは、いっぺんでこのスタジアムが気に入った。迷わない会場が好きなのだ。それだけで既に、いい現場だなあとしあわせになってしまう。

 

そこから続く、そう長くはないスタジアムまでの道は、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。焼きそばやからあげ、フランクフルトに焼き鳥。時間があったら、端から散財してしまいそうなベタなラインナップの屋台をやり過ごし、一目散に目的地へ。

道なりに歩くと、5分ほどで、大きな大きな楕円形の建物が、通りを一本挟んだ向こうにぼんっと現れる。そのまま続く、やたらと折り返したがる歩道橋からつながる道を進んでいくと、大きな白い看板が見えてきた。

空に向かってiPhoneやらなんやらを構える人の横で、わたしも感慨深い気持ちでカメラアプリの起動をする。

地元にいたころ、東京のイメージらしいイメージは、いろいろあった。でも、その中でもなぜだかかなりの比重を占めていたのは、「東京といえば、この人のライブが観られたりするところ」というイメージ。

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福山雅治氏のライブにやってきたのだった。題して、『夏の大創業祭2015』。記念すべき25thらしい。

 

面白いのが、実際には四国にだって福山氏はやってきてくれているし、それ以外にも全国ツアーの実績は盛りだくさんだということ。決して「東京限定」の活動をされているわけではない。

そもそも、この日、いそいそ出向いたのだって、正確には東京ではないのだった。

にもかかわらず、すっきりとした看板を見上げながら、「ようやく東京に来た気がするなあ」とわたしは、ずいぶんしみじみとしてしまった。

失礼な話、地元にいたときに、ものすごいファンというわけではなかったし、今だってファンと名乗るのもおこがましいほどなのだけれど、たぶん、わたしにとってチケット入手困難なスターのLIVE≒福山氏のLIVEだったのだろう。

そういうのに、ふらっと行けるのがきっと「東京」なんだな、という変な憧れと刷り込みが8/9の感慨を作っていたと思う。

数えてみると、東京に来てもう早10年が経ってしまったわけで、なんだかほんとうに、遠くまで来たなあという気がした。ペースがそう早いとは言えないけれど、たしかにわたしは、ひとつひとつ、あの頃の「夏の憧れ」に辿り着いている。

 

ライブ自体も、なんだかすごかった(ここからはネタバレなので気を付けてください)。

スタンド席だったのに、あの大きさなのに、まさかあんなに満足して帰路に着くとは……正直、思ってもなかったくらい。

意外にも、17時ぴったり、まだ十二分に空が明るい中、爽快感あふれる『HELLO』から始まり、びっくりするほど爽快な音に乗り、透けるような水色の空に、赤・青・白・黄の風船が一斉にアリーナから放たれる。

7万人の見上げる空を埋める量の風船は、ただただ壮観で、「解放感」という言葉が、あの瞬間以降、その光景の写真を背景にして浮かんでくるようになった。

ポカリスエットのCMの記憶で、途端に夏気分になる、大好きな『それがすべてさ』や『WATER BOYS』のせいで、鼻の奥がつんとする消毒剤の匂いごとプールを思い出す『虹』と、好きなナツ歌が目白押しで、呼吸困難になりそうな多幸感。

そして、畳み掛けるように始まった『Beautiful Day』。

うちの実家のカーステレオは、なぜか一時期フクヤマに占拠されていた時期があって、繰り返し繰り返し同じCDがかかっていた。 

5年モノ (通常盤)

5年モノ (通常盤)

 

そのとき、自分のiPodにも入れたのだろう、紅いiPod miniからぽってりとしたiPod Touchに変わっても、1枚だけずっと福山雅治氏のアルバムが入っていた。

実家に帰ったときに飽きるほど流れているというのもあって、ほんとのところ、東京で暮らしているときに聴くことはほとんどなく、シャッフルで流れてきても、なんならスキップしてしまうくらいだった。

そんな中、学生の間、1曲だけ必ず東京で毎年聴く曲があって、それが『Beautiful Day』だった。

10代の終わりから20代の初め、毎年、夏休みはこの曲を聴くところから始まった。高速バスの車窓や、一番の飛行機の窓を眺めて、長い旅の始まりに胸を躍らせ、イヤホンから流れてくるお気楽なメロディーライン。

当時のわたしをふわりと開放的な気持ちにしてくれたのは、もっぱら歌い出しのところだった。

君が知らずに失くしかけていたもの それを取り戻そうぜ

波の音が聞こえる 東京が遠ざかる

まだ地元への道を「帰路」と呼んでいたころのことだ。

それがいつの間にか、東京へ向かうことを「帰る」と呼ぶようになり、夏休みらしい夏休みというものが取れなくなり、気付いたら、働き始めてから一切再生したことのない曲になっていた。

今年の夏は、たとえ特売コーナーに置かれているお肉の細切れみたいなお休みでも、「夏休み」だと思ってちゃんと遊ぼう。

そう決めた矢先のLIVEで、この曲が不意に流れてきたときには、だから、普通ならバラードでしか起きないような現象が、両眼に起きてしまった。

でも、数年前とは違って、なんだかいろいろと堪えられなかったのは、10代の頃にはぴんとこなったもっと後ろの歌詞。

君が大人になって守り続けたこと それを忘れようぜ

たとえ束の間でも 本当の自由だぜ

別に「何」と言う心当たりがあるわけでもないのだけれど、ただただ、憑き物が落ちたような気持ちで、ぽろぽろといろんなものがこぼれた。

ああ、ついにこの歌詞が200%身に染みる立場になってしまったなあ、と。

でもそれは悲しいわけでは決してなくて、むしろ自分が選んだからこそそうなっているわけで、なんだかもうやっぱりこの人のLIVEに来て、この曲をこちらで聴くまではわたしの「東京」は完成してなかったのかも、という気がした。

 

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それにしても、2日目だったのに、ほぼ4時間、座ることもなく歌いっぱなし、ギター弾きっぱなし、動きっぱなし、どう考えても長すぎる花道まで2周。

そんな真夏の一人運動会みたいことを、平然とやってのける46歳というのがこの世に何人いるんだろう……。

何よりも、せり上がって登場した最初の瞬間から、Wアンコールが終わってはけていく最後の瞬間まで常に、まるでレタッチを施したかのように爽やかで、かっこよくて、おまけに面白くて。

ようやく生で観た感想が「ほんとうにこの人3次元なんだろうか……」という、なんというか、だいぶ後退した認識だったことを報告しておきます。

 

それにしても、「爽やかに熱い」としか言いようのないご本人の佇まいに、演出で上がったたくさんの花火とその匂いに、繰り返し繰り返し歌われる「夏休み」に。ともかく、そこかしこに夏があふれた4時間弱だった。

今日が夏休みじゃないなら、もうこの世のどこにも夏休みなんてない、という説得力。

日頃のもやもやをすべて置きざりにして、「夏休み」を満喫した日曜日になった。今年の夏休みもやっぱり『Beautiful Day』から始まって、その贅沢さと眩しさに、わたしは少し目を細めたまま、折り返しが近くなってきた8月を眺めている。

お盆休みという言葉ともなかなか仲良くできないけれど、週末はまた「夏休み」を始めよう。