数週間遅れのただの日記
ある週末。まだほんの少し、朝方は清潔に肌寒かったころ、帰省をする恋人を見送りに、朝早く、羽田空港へ向かった。
まだ日が昇る前に、アラームより先にばちっと目が覚め、そんな時間からストッキングを穿くのが嫌で、ものすごく久しぶりにプライベートでパンツを穿いた。すっきりとしたシルエットの、サックスカラーが夏らしいアンクルパンツ。
着流しのロングカーディガンに黒縁めがね、靴はメタリックのパンプスという、甘さはほとんどない素っ気ない格好で外に出ると、なんだか昔の自分に戻ったようでふしぎな気持ちがした。歩幅を気にしなくてもいい足さばきの良さが懐かしい。
大学生になるまで、私服でスカートを穿くことなんてほぼなかった。それなのに、いつのまにか、こちらの方が懐かしくなるなんて。
自分で服を選ぶようになったのは、たぶん8歳くらいのころだったと思う。考えてみれば、人生において、パンツを選び続けた期間と、スカートを選び続けた期間が、そろそろ同じ長さになりつつあるわけだ。
パソコンまで持ち帰るせいで、やたらと大荷物な恋人の荷物を手伝いながら、駅までの道を歩く。わたしはと言えば、ほぼ手ぶら。その身軽さも心地よく、人の荷物を持つと言う普段あまりないシチュエーションも面白くて、寝不足のはずなのに、ずいぶんと足取りは軽い。
土曜の早朝は、意外に賑やか。まだ金曜日の夜を続けているような人々が、まわりにもあくびをうつすので、駅のホームはなんだか気だるげである。
そうは言っても、やはり空いてはいて、難なく並んで座席に腰を降ろすことができた。
電車と言うのは、昼間の方がよっぽど眠たげに走る。乗り換えのときにアルフォートを1つずつ口に放り込み、その直截的な甘みを堪能しながら、だんだん明けていく空を眺めている間に、しゅるしゅると空港のホームに滑り込んだ。
チェックインしてまだ少し時間があったので、はじめて、空港で朝ごはんを食べることに。
ひとりだとだいたい空弁を買ってしまうし、ふたりのときには飛び降りた先で朝ごはんを食べる目論見があったりするので、朝ごはんを食べるべき時間帯に空港に来たことは何度もあるのに、なんやかんやで初である。
休日だけは朝からおなかが空くので、わたしもおつきあい。
暖簾をくぐるとふわりとお蕎麦の匂いが漂ってきて、ああこれはお蕎麦にするべきかも……と心が乱されたけれど、表でメニューを見たときの決意を初志貫徹して、旅の朝ごはんと言えば、な鮭定食に。
朝から魚なんて、焼くのも面倒なら後始末はいっそう面倒だし、そもそも食指が動かないしで、家ではぜったいに食べないメニューなのに、一歩外に出ると、無性に食べたくなるのだから不思議だ。ふだん大好きなパンなど目じゃないほどの熱烈さで。
御御御付けもお新香も。ほわりと心が解けるやわらかな味。何よりも、茄子の揚げ浸しがおいしかったー。
恋人も恋人で、初志貫徹。体に良さそうなねばねば系を詰め込んだ、とろりと冷たいお蕎麦を食べていた。
しみじみと、外で食べる和食の朝ごはんは正義だなあ、と思う。するすると食べ終わり、ちっとも混む気配のない手荷物検査場の前で手を振ると、完全にひとりの休日が始まった。
まっすぐ帰ってもよかったのだけれど、コーヒーを飲みたくなって、目についたお店へ。はじめて見るチェーンだった。
ジンジャーラテを、アイスで。もりもりのホイップクリームはほぼ甘さを感じさせず、その分、ラテ部分はかなり甘いので、しっかり混ぜて飲んだ方が美味しい。
朝からもりもり食べて飲んで、ふだんならまだベッドにいる時間なのに、もう一日を半分くらいやった気分。本を持って来ればよかったな、と思いながら、ぴかぴかの窓の外を眺めながら、再び電車に揺られ、家路についた。
活動的な気持ちはそのまま、一眠りして渋谷へ。ネットで気になっていたZARAのセールを冷やかす。
ぱっきりとした潔いイエローのスカートに、白のジャケットが気になっていたのだけれど、スカートは丈の長さでちょっと迫力が出過ぎ、ジャケットは肩パッドが入っていて断念。
どちらもそれぞれ、似合うようなスタイルと雰囲気があればなあ、という潔さ。
いいなあと思っていたショルダーバッグも、配色はどんぴしゃで好みだったのに、サイズが大き過ぎた。どれも少しずつ思っていたのとちょっと違って、残念ながら戦利品なしでお店を後にした。
ネットショッピングの誘惑に負けなくてよかったのかも! とむりやりポジティブなまとめをしつつ、PARCOへ。セールの延長戦ではなく、お芝居を観るのだ。
『紫式部ダイアリー』もそう言えばここだった、と思い出しながら席に着いた『メアリー・スチュアート』。
女優二人が火花を散らす、がっぷり四つの二人芝居。この劇場では、こういうものを観る運命になっているのかなあ。
コメディタッチだった『紫式部』とは打って変わってシリアスなお芝居で、題材としては、不真面目なわたしは、実のところ少し疲れてしまったのだけれど、女優さんお二人の演技と、それから演出は文句なしに素晴らしかった。
青と赤のドレスでずっと演じられるのだと思っていたら、ポスタービジュアルのドレスをお召しなのは、実はカーテンコールだけ。
というのも、このお芝居、二人五役なのである。演技と布のあしらいだけで、王族になり、使用人になり。それぞれ年代も性格も別人になるためには、派手なドレスは不都合なのだった。
くるくると場面と登場人物が入れ替わるにもかかかわらず、完全に別人なので、お話を理解するのに少しの混乱も生じないという凄さ。
せつせつと歌い上げるシーンでは、中谷さんの歌唱力にびっくりするわで、すごいお芝居を観ているなあという感じがした。いろいろと凝り過ぎていて、「凄いなあ」という感想になってしまったのが、ちょっと残念だけれど。
それにしても、あるシーンのお二人の演技のすさまじさとそれを彩る演出は、とても劇場で、何の処理も編集もないものを観ているとは思えない美しさだった。
お芝居体験としては面白かったなあ、と思いながら再び家路に着く道すがら、遊んだなあと思う。
わたしはひとりになると、遊び過ぎる。お財布の紐も極端に緩くなるし。
ひとりの週末は愉しいけれど、破産しない程度でいいや……と晩ごはんも外で食べながらしみじみ思い、ずいぶんと夜更かしをしてこてんと眠りに落ち、気づかない内に遊び足りた一日を終えていた。