ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

蒼の乱と赤の女王

ざっくりとスプーンですくったチーズケーキと、久しぶりになんの限定ブレンドでもないスタンダードな豆を挽いたコーヒーに、リビングのTVから流れるのは、ピアノの弾き語りLIVE。

お風呂にも入っていないのに、体のすみずみまでゆるゆると解れていく夜に必要なものは過不足なくあって、ああこれこれ、と伸びをしながら思う。ふわふわと、体が軽くなる。

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しかしそれにしても、今回はここまで辿り着くのに、随分と時間がかかったなあ、と肩が凝っているのを意識しながらため息が出る。

毎年この時期は、なんだか忙しくないと調子が狂ってしまうのかというくらいに、例年まったく違うことで忙しくなるのだけれど、今年も例外にはならなかった。そんな例外なら、いつでも大歓迎なのになあ。

連休が明けてからは「怒涛」としか言いようがなくて、「この1ヵ月でしたこと」リストが多すぎて、ちょっと安易には振り返る気になれない。

 

やることリストが山ほどあったのはもちろん、やらなければならないことに合間を縫うように、ともかくよく遊んだ1ヵ月でもあった。

GWのことは追々振り返るとして、5月が始まってすぐの週末には、またしても(!)生天海祐希さんを拝見しに、通い慣れた気すらする新宿バルト9に。

『蒼の乱』ゲキ×シネ初日の舞台挨拶に当たったのだ。 

蒼の乱 (K.Nakashima Selection)

蒼の乱 (K.Nakashima Selection)

 

自慢じゃないけれど、わたしはともかく運が悪くて、こういうものはまず当たらないと決まっている。

にもかかわらず、夜中にダメ元で挑んだチケット合戦は、ほぼはじめての白星となった。気づいた時にはPCの中には、決済画面が踊っていて、「あれ? 行ける???」となんだか狐につままれたような気持ちで、当日を待っていたのである。

約1年ぶりに観る『蒼の乱』は、遊びがカットされてすっきりした分、とてもシンプルな話になっていた。あのしっちゃかめっちゃかな中で、それでも物語が前へ前へと進んでいく感じが好きだったので、少し残念。

ただ、わかりやすさはぐんと上がっていて、その分、感情移入できる人が増えたので何度も観たはずなのに、はじめてしんみりする場面があったりした。*1

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ひとつだけ! ひとつだけ難点を言うならば、早乙女太一さん演じる夜叉丸の殺陣と、天海祐希さん演じる将門御前のマントを翻すシーンに、それぞれスローモーションの効果を入れたこと。

前者は、ともかくものすごい速さで流れるのが美しくて、それが最後、あるシーンでの殺陣だけめちゃめちゃに荒れるのがまた美しくて。

わたしは特に早乙女氏のファンではなかったにもかかわらず、ほんとうにあの殺陣だけのために劇場に通える……と思ったくらいなのに、どこまでが生でつけられた緩急のすごさだったのかわからないのが、とても残念だった。

後者は、決めのシーンで翻すマントが、何をどうやっているのかわからないのだけれど、どう見てもスローモーションで、それがエフェクトでなく生身の役者さんがやっているからこその興奮だったのになあ、と。

そのままゆったりと流れるように、一歩一歩背中を見せてステージの奥へ歩いていくシーンも、どう見てもスローモーションで、そこがちょこっとだけつまんでカットされていたのも残念だった。あのマントの翻し方、あの歩き方。夢に見るほど鮮やかなシーンだっただけに、とても残念。

映画後の舞台挨拶はなんだかとてもまったりした感じで、寝起きのようなぽわんとした空気と、ちょっとしたきっかけでみなさんが連鎖式に反省し始めるネガティブな流れが新鮮だった。平さんがとてもお茶目で素敵だったなあ。

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『エイプリルフールズ』を観た渋谷の映画館で、展示がとても素敵だったので、そこでもう一度くらいは観たい、と思ったまま約1ヵ月が過ぎて、たぶんもう終わってしまったみたい。うーん、残念。

でも、なんだかゲキ×シネは新宿バルト9で観るもの、という刷り込みができつつあり、これはこれでよかったのかなという気もしている。今回、ものすごく久しぶりに会う気がする、4つも下の女の子(彼女が学生の時から知っている)と並んで観たゲキ×シネは、なんだか遠いところに来たなあと、感慨深いものがあった。

『薔薇とサムライ』のゲキ×シネの時にも、同じ子と、同じ場所で会った。その前にも、たしかこの映画館の近くで会った。5年経っても、まだ変わらずにここにいる。

そう思うとき、わたしはいつも『鏡の国のアリス』の「赤の女王の仮説」を思い出す。*2ああ、気付いていなかったけれど、全力で走っていたのだなあ、と。

映画館の上映スケジュールを調べながら、なんだかいつにも増してしみじみとそう思い、そうは言っても今週だって引き続き全力だと気づいたときの疲労感! 

「まあ、ひとつ甘いものでも食べて」と、もう一切れチーズケーキを食べるのを自分に許したくなるような、まだまだ肩もこわばった月曜日の夜に、コーヒーの香りとピアノの音色が染みて行く。簡単にまとめると、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」。

忙しくなると、日常を日常のまま掬い上げることが、ついつい疎かになるのがわたしの悪い癖で、ほんとうは何かを観て来たとか何をしたとか、そういうのでなくて、たとえば今年はじめてサンダルを履いた日のこと、はじめてカルピスを作った日のこと。

そういうことをひとつひとつ、忘れないように掴まえていきたいのになあ。

とはいえ、忙しくなると、やはりこういう“ハレの日”はカンフル剤で、今だって思い出しているだけで少し元気になるくらい。ほんとは、どちらも書き綴る時間が欲しい! というのは、それはそれで贅沢な要望だということを知っている。今週末こそは、ゆっくりしよう。ああほんとうに、今週末こそは。

*1:舞台で観たときよりなおさら、すべてがある人物の「ありがとうございまする」という、たったひとつの台詞へ向かって行っているカタルシスがあったのは、わたしがあのキャラが好きだからかもしれない。

*2:余談なのだけれど、何度正しく覚えてもなぜかイメージ映像として、『不思議の国のアリス』に出てくるハートの女王が、トランプの道を走り続けている画が脳内再生される。なんでだろう。そういう奇妙な条件反射というのが、ほんとうに多い。