ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

おやすみサングラス

ずっと、サングラスがひとつ、欲しいと思っていた。

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東京だと、海へ行かなくたって、観光地に行かなくたって、そろそろこの季節になると、街のど真ん中で、たくさんのサングラスを品定めすることができる。

この数年、都会の交差点でばかりサングラスを見てきたせいか、頭にのっけているのはどちらかというと、少し日に焼けた貫録のある美人のお姉さま方、本来の用途どおりにきちんとかけているのは、カジュアルでそっけないお化粧に白肌のかわいい子、というイメージがある。

後者の場合は、だいたい2人以上で歩いていて、それぞれが少し違うディテールのものをかけていたりして、それがまた楽しげ。

どちらにせよ、街中でかけるサングラスには、ある種の思い切りがいるのは、ここ数年見ていてよくわかった。思い切りの良さというか、人生謳歌力というか、ともかくとてもプラスのなにかしらのエネルギーが。

 

サングラスというのは、街のど真ん中で出会ってなお、「バカンス」の風が吹く小物である。むしろ、「無理やり連れてくる」と言ってもいい。

ノースリーブのブランドもののワンピースでも、Forever21の切りっぱなしのごくごく短いデニムでも、そこにサングラスが合わされるだけで、途端にお休みの気配を色濃くする。

数ある小物の中でも、おそらくもっともストレートに休暇モードに舵が入る、「おやすみ小物」の筆頭格だろう。

 

振り返ってみると、家の中には、自分のものでないサングラスなら、何個かあった。父と母は運転をするので、サングラスをちょくちょくかけていたのを見るし、妹は街中でサングラスをかけるタイプ。

わたしはといえば、街中でサングラスをかけるようなキャラではないし、自分では運転もしないし、でサングラスとはずいぶん縁遠い人生を送ってきた。

太陽であふれる海外に旅行に行ったところで、普段かけていないものをかけて視界が暗くなるのが不安で、カリフォルニアに行ったときだって、ついぞかけた覚えがない。

 

それでも、だからこそと言うべきか、自分用のサングラスがひとつあるといいなあ、と思っていた。

結局なんだかそわそわして、少しかけてみては、胸元に差し込んでの繰り返しになるかもしれないけれど。

サングラスというのは、街でかけるにせよ、リゾートでかけるにせよ、人生を肯定する小物だな、という気がしていた。太陽の光と仲がいいものが、人生を悪くするわけがない。

 

そして実は、ひょんなことから、今年の夏はサングラスがある。

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何月だかのBOXで、専用のかわいいケースに、海に持っていくのが楽しみになる、さらっとした素材のぺらんとしたポーチとともに届いた。

意外な形で長年の夢が叶い、どうしようかなあと思っている。

せっかくサングラスが手元に来たのだから、今年の夏はちょっとお休みっぽいところに行くべきなんじゃないかしら、とか。今年こそ夏の間に、海を見に行くべきでは、とか。ホテルのプールに、ひたすらぷかぷかしに行くのも大人じゃないかなあ、とか。

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たった数本の指で持てるものが、それまで、暑いときにはできるだけ、クーラーの効いた部屋でごろごろ本を読んでいたいと思って生きてきた人間に、炎天下もいいかもと思わせてしまうのだから、びっくりする。

サングラスというのは、わたしが思っていたよりも更にひとつふたつ役者が上な、優秀な「浮かれさせ屋」なのかもしれない。