2年半目の、こんなバレンタイン
バレンタインデーは、ずっと好きな行事のひとつである。理由は、チョコレートが好きだから、という身もふたもないものなのだけれど。
わたしが中高生の頃は、ちょうど”友チョコ”が流行り始めた最初の最初で、いちばんバレンタインデーに心揺れる時期を、どちらかというと「もらう日」として過ごした。*1それでなくても、あまり女子女子した女子中学生や女子高生ではなかったので、好きな人にチョコレートを「わたす日」としてのバレンタインはあまり記憶にない。
それでも何かあったはず……と、ぐっと遡ってみると、そのとき「本命」だと思ってわたしたチョコレートは、なんと小学4年生(!)にさかのぼる。
当時、わたしはクラスでいちばん人気のあった子を「好きだと思って」いて、*2、そして、学生時代にはありがちなことに、同じグループにはもうひとり、その子のことを好きな子がいた。その子も含めた5人で、グループのひとりの家に集まって、せっせとチョコレートをこねくり回した。
当日は学校があって、小四ともいえば男子はもうそわそわしていた気がする。寒い日で、図書館と校舎の間の渡り廊下で、件の子とふたりで一斉に渡した。わたしの故郷に雪が降ったのは、生まれ育った18年間の中で、たった3日程度なのに、思い浮かべるあの日の景色が雪景色というのが面白い。実際には、雪なんてちっとも降っていなかったはず。
その後、友達が「どっちがうれしかった?」という子どもらしくもストレートな確認をしていたことを、後々知った。それに対する答えは、もうすっかり忘れてしまったけれど。
その後はというと、小学5年生のときに、やはり(!)友達と同じ人に渡そうとして、その時は、先に友達が渡してしまい、渡される側の当の本人から、「チョコレートとか重いよな!」と言われ、「そうだよねー」とにへらにへら笑って、帰ってわたすはずだったチョコレートを父にあげたのが、ほんとうに最後な気がする。
まあ、たしか自宅まで押しかけて*3のバレンタインだったので、先方としては親の目の手前なんかもあって、恥ずかしかったのだろう。それにしても、がんばって思い返してみても、なかなかしょっぱい思い出でしかないものである。
その後は、中高生を友チョコの日として過ごし、大学生になって上京すると、いつもは買えない高級チョコを自分用に購入する日、にいつの間にかすり替わってしまった。
6年間の大学&院生活を通じて、わたしはGODIVAの味を覚え、ピエール・マルコリーニの味を覚え、デメルの味を覚え、テオブロマの味を覚えた。一瞬だけ付き合っていた人に、21歳の時にチョコレートをあげたけれど、好きな人のためにバレンタインデーの準備をする、ということから縁遠い人生だったことは間違いない。
だから、初めてバレンタインのためにそわそわしたのは、わずか3年前だ。恋人と付き合い始めて、それはちょうど半年の記念日で*4、わたしは翌日の始発で、必ずホワイトバレンタインが約束されている恋人の街まで、行くことになっていた。
2月12日の午後2時で、まだ当時いっしょに住んでいた妹が、会社へのばらまき用にと、既にたくさんのチョコレートをリビングに積んでいた気がする。
自分のものではないチョコレートに囲まれながら、そうだブラウニーを焼こう、と思いついたときのわくわく感は、くっきりと覚えている。やっぱり、何かおいしいチョコを買っていこうかどうしようかと散々悩み、それでも「手作り」ということにこだわりたい、と決めた時のこそばゆい気持ち。ああ、バレンタインとはこういう日なのか、と遅まきながら理解した瞬間だった気がする。
急いで街に買い出しに行き、柚子ピールの入ったブラウニーを、一度練習用に焼き、それがきちんと美味しいことを確認して、夜中にかけて大量の本番用を焼いた。甘い匂いが充満する部屋を、朝の4時に目をこすりつつ後にしたときのそわそわする足取りが、わたしの中での”バレンタイン”に変わった。
のはずだったのだけれど、その1年目を最後に、バレンタインは再び「もらう日」になりつつある。というもの、圧倒的にわたしの方がチョコレートが好きで、そして比べ物にならないくらい、恋人の方がまめなせいだ。
くれるのは、毎年決まって、わたしがいちばん好きな、ラムレーズンの入ったトリュフ。1年目は固めたときに、お皿にくっついてしまった(!)と、そのお皿ごと抱えてはるばる函館まで行ったのも、今ではいい笑い話である。
わたしからのバレンタインは、いつもより豪華なごはんとプレゼント攻撃。またお休みとバレンタインがかぶったら、わたしもまた、甘い匂いを部屋に満たしてみようかと思っている。