朝ごはんは白い湯気
休日。二度寝するのと同じくらい、休日に朝早く起きるのはしあわせ。
お休みが早く始まって、早起きしたからといって早寝をしてしまうわけではないので、結果的にお休みの一日一日が、とても長くなる。
先週は二日とも、二度寝して起きたらお昼前だったので、今週は早く起きられそうだったら起きよう、と決めていた。金曜の夜に、日付が変わる前後にこてっと寝てしまったこともあって、目覚めたら9時だった。完璧である。
9時、というのが重要なところで、たとえばこれが8時半だと、たぶん、わたしはがっかりする。それだと、なんとか会社に行くことができる時間だからだ。
早いけれど、平日ほどは早くない、というぎりぎりの線が9時で、だから、今朝は起きた途端、とてもしあわせな気分になった。
ごろごろとネットサーフィンして*1、平日と違ってゆっくりとお風呂に入り、マスカラとアイブロウだけのせる。朝ごはんを食べに行くのだ。
働き人になってから、平日はほぼ朝ごはんをとらないので、*2朝ごはんというのは、わたしにとって休日だけの喜びになっている。
今日は、朝からたっぷりの野菜とお肉、それからポタージュ、たくさんの焼きたてのパン、それらの合間に、ミルクと半々でつくるカフェラテを何杯も楽しんだ。サラダのドレッシングががつんとしたビネガーで、恋人もわたしも、昔はあまり得意ではなかった味なのに、いつのまにか食べられるようになっていることを発見する。
だいたいにおいて苦手な食材や味というものは、”いつのまにか”食べられるようになっており、そのきっかけが、いつどんな時の何だったか、覚えていることの方が少ない。
でも、ひとつだけはっきりしている”その瞬間”があって、わたしが心から明太子が好き! と言えるようになったのは、これもまた、ある日の幸福な朝食を機会に、だった。そして、それはそのまま、旅先での一番しあわせだった朝食、に当てはまる。
旅先の朝食、というのは、それが、出張先のうっかりすると先輩と顔を合わせてしまうホテルのビュッフェであっても、得てして、存在自体がしあわせなものだ。それがその朝は、初めて恋人と同じ飛行機に乗って、隣同士の席に座った朝だった。
福岡につくと、まだブランチより少し前の時間帯で、始発に乗ったわれわれは出る前に朝ごはんをとることもできず、飛行機に乗る前に買おうにも、空港の売店は空いていなくて、おなかをぺこぺこに空かせてレンタカー屋さんにたどり着いたのである。
九州たちに住む友人の、「別に見るとこないよ」「買い物するところだよ福岡は」という謎の謙遜の合間に引き出した回答を基に、まずは大宰府に向かう。
時期は七夕で、朝10時半頃とはいえ、観光客は早起きで、緑が気持ちのいい大宰府には、ちょうどよく寂しくない量の人ごみと、それからひらひらなびく短冊が待っていた。
そして、ぐるりと歩いて回り、きちんと観光らしきものをひとつ済ませた後で入った、『ふくや』*3で食べたのが、明太子茶漬け。
これがもう! これがもう、本当に、今まで食べた朝ご飯の中で、一番おいしかった。大人になって少しずつ食べられるようにはなったけれど、それまで、実は「おいしい」と思ったことのなかった明太子が、おいしかった。ふわんと出汁で広がるピンクが、目に嬉しく、とても綺麗だった。
明太子も、出汁で食べるお茶漬けも、ほんとうを言うと、その朝までどちらかというと苦手だった。
でも明るい店内で食べた、ちっとも臭みといやみのないその組み合わせは、ふわふわと光をはらんでとてもとても明るい味がした。あんまりおいしくて、ごはんをおかわりして、お茶漬けにせず明太子でいただき、更にもう一度他の薬味も加えたお茶漬けをしてさらさらと食べた。
ふわりとお出汁をかけると、何度でも明太子は白い湯気と共にピンク色をお茶碗の中に散らして、すすると思わず「ほうっ」っと息がもれる、それはそれはしあわせな朝ごはんだった。
あの日以来、朝ごはんという言葉を聞くと、わたしはあの朝の白い湯気を思い浮かべる。