金色の記憶と、2つの「おしまい」
ふたたび、週末。寒いけれど、きれいな秋晴れ。11月に入ってしばらくぐずついていた天気が嘘のように、風がなくてあたたかな土曜日。
ちょっと遠出をして、はじめて行く公園まで紅葉を観に行ってきた。
はじめて来るエリアで少し迷いながらだけれど、天気がいいので迷うのもたのしい。
公園は、駅のすぐ近くにあるので、標識さえ見つければすぐに着く。
小学4年生の音楽の授業で、「もみじ」をやった。二人組で歌のテストをします、テストまでは自主練、という潔いカリキュラムで、当時なかよくなったばかりの友だちとわたしは組むことになった。
四人組でなかよしだけれど、二人ではまだ特に何もしたことがない、という感じのまだ学年のはじめの方だった気がする。
音楽室は手前に小さな準備室がついていて、そこは先生の目が届かない人気スペースだった。そこに陣取って、まだあまりゆっくり話したことがなかった友だちと、歌の練習よりもたくさんのおしゃべりをした。
友だちはアルトで、わたしはソプラノだったので、歌自体は少し合わせてみるとなんなくハモれたせいもある。
あんまり私語をしているとおこられるかな、と、音楽の教科書をめくってこの後、このページは授業でやるかどうか占ったりした。
その記憶がとてものどかでしあわせで、だから、東京に来るまでは、「紅葉といえば、もみじがいちばん!」と思っていたのだけれど、今はイチョウも同じくらい好き。
東京に来ていちばん最初に観た紅葉が、目の覚めるようなイチョウ並木だったせいだ。
当時、どちらへ行くべきかわからない未来にほんの少し、わたしは呆然としていて、まあそれでも「せずに考えるより、してから考えよう」と流されるままに訪れた東京の片隅の街で、びっくりするくらい綺麗なイチョウ並木に迎えられた。
黄色というよりは、いっそ金色と呼びたくなるような。
圧倒的にきらきらと幸福そうな道を進みながら、「ここにしよう。ここで人生を始めよう」と強く思った。この金色に輝く街なら、きっと未来は悪いものにはならないだろう、どうなるかはさっぱりわからないけれど、と。
今思い返してみても、あの瞬間、あの金色のイチョウ並木を観た瞬間に、わたしはあの街に恋をしたんだと思う。
桜ではなく、紅葉の方が、見逃すと惜しい気持ちになるのも、桜並木は社会的な記憶と結びついているけれど、イチョウ並木はとても個人的な記憶と結びついているからだ。桜はオフィシャル、イチョウはとてもプライベート。
なので、秋になると桜の時期よりも熱心に、「休日何がしたい?」と訊かれると、「外に行きたい」と答えてしまう。
いろいろバタバタしていたのもあって、今日は当初したいと思っていたことを断念したのだけれど、その分、思いがけないほどたっぷりした紅葉に出会えて、いい秋の休日になった。
だだっ広い公園には、赤も黄色もどちらも過不足なくあふれていたけれど、今年は寒くなるのが早かったせいか、葉が落ちているところもちらほら。
東京の紅葉というと、まだ遠距離恋愛をしていたころに訪れた12月の大学で、もう街はすっかりクリスマスだというのに一面さふさふのイチョウの絨毯を踏みしめながら歩いた思い出が強くて、ついつい見どころは12月のはじめだと思ってしまう。
冬だからこその清々しさに満ちた、きらきらした午後の大学で、たっぷりと地面を覆っても尚、しっかりと枝を彩っている黄色を眺めながら歩いた。
疲れて腰掛けた切り株は、蜜が出ていて、立ち上がったときには当時お気に入りだったコートとパンツのおしりが汚れていて、慌てて洗いに走ったことを覚えている。
結局、意外にもきれいに樹の蜜は落とすことができて、もうあまり来ないけれど、どちらもまだ我が家のクローゼットに仕舞われている、遅い秋の思い出。
今日遊びに行った公園も、大きなイチョウの樹の下には、絵本のように見事な絨毯が広がっていた。
落ち葉を集めては飛び込んでいる子どもがいて、「なにかに似ている」とほほえましく見つめて帰ったのだけれど、あれはPEANUTSだな。
チャーリー・ブラウンとスヌーピー。大好きなアニメーションの中で、繰り返される秋の風物詩。
盛大なドッグランが行われていて、おそらくいつもよりも数割増しでお犬様がいたり、屋台が出ていたりとにぎやかさはありつつも、あんまり広いのでちっともがやがやした感じのしない、いい公園だった。
東京にはいい公園がたくさんあるなぁ。まだまだ行ったことのないところの方が多い。
日が落ちる前に帰路につき、いい日だったので、早めの晩ごはんは、ふんぱつしてステーキ。最高においしく焼けた。
つけあわせは、細かくつぶしたブロッコリーとゆでたまごの入ったポテトサラダと、バターじょうゆでかりっと焼いたエリンギ、それからコーンスープ。
ごはんを終えた後は、ひたすら本を読んでいる。
先週買った文庫で出ているGシリーズ・Xシリーズを全部読み終え、我慢できずにノベルスで出ているそれぞれの最新刊を電子書籍で購入。
そして、立て続けに『χの悲劇』と『ダマシ×ダマシ』を読み終えたのだけれど。だけれど……!
わー!!!これはもう、これはもう……!
ファンサービスという点では、ほんとうに森博嗣さんという作家は、ちょっと図抜けていると思う。そこが逆に、途中から入ると「これってミステリィ?」と思ってしまう作品が近年増えている理由でもあるとはわかりつつ……。
いやあ、最後にこれが待っているなら、Gシリーズのぐたぐだっぷりはすべて許したという気分になってしまう最終章の1作目だった。
これで終わりじゃないというのが、いちばんすごいところだな。もう残り2冊をたのしみに、まだしばらく生きていける、という気持ち。
そして、Xシリーズの最終巻は、とても清々しく綺麗な「完結」だった。
レトロで読みやすい一話完結型のミステリィだけど、その分、他のシリーズとはあまり接点がない感じがして。最終巻も、このシリーズのキャラの答えを読めるといいな、椙田さんの近辺でなにかしらちょっとくらいサービスがあるかしら、くらいで。
あまりドキドキせずに、さくさく読んでしまっていたのだけれど。
ラストのラストで、ただのXシリーズ最終巻とはぜんぜんちがう意味を持つお話にひっくり返されてしまって。びっくりした後、しみじみと泣けてきた。
うーん、お見事。
単純にあるシリーズの完結巻としても、たいへん気持ちよく綺麗で読了感がいい。もちろんすべてがクリアになるわけではないのだけれど、そこはほんとうにタイトルの妙、という感じで。
再読ばかりしていたけれど、やっぱり新しい本を読むのは面白いなあ。
まあ、『χの悲劇』を読んだ今、改めてS&MシリーズとVシリーズを順番に読み返したい気持ちでいっぱいだというのも事実なのだけど。