コーヒ、クリームソーダ、そしてレモンパイ
この間、京都まで鯛茶漬けを食べに出かけた。
もうちょっと他に書きようがある気がするのだけれど、実際のところ、もともと決まっていた予定は「京都で鯛茶漬けを食べる」だけだったので、それ以外にあの旅行の正確な記録のしようがない。
もともとは、大阪旅行の予定で、でも3連休ずっと大阪というのももったいないかなぁという理由で、京都までふらりと遊びに行くことになったのだ。
しかも、マイルで飛行機を取った後にバタバタと決まったので、大阪から京都に入るというちょっとした無駄手間までかけて。移動に関していうと、それが長距離であればあるほど苦にならないというのは、あってよかったと思う共通点のひとつかもしれない。
マイルで取った上に、クラスJだったので、今更新幹線に変えるという選択肢はなく。
そもそもせっかくなら、と行きはかなり早い便を取っていたので、いっそのこといちばん元気な(たぶん)初日に大移動をしようということに。
夏休みだ! と浮かれて大きな予定を立てるのは久しぶりで、その時点で既に心愉しい。
もっとも、当日の朝は大わらわだった。
働きづめの金曜日の夜、ぐったりと泥のように眠って翌朝、早起きする作戦がこんなときの常でまったく眠れず。だいたい、わたしは遠足の前の日にはぐずぐずと眠れずに起きている子どもだったのだ。
それならいっそ起きていて飛行機の中で寝よう、と思った3時過ぎに結局すっと眠ってしまい、数時間で起きてあわてて空港へ向かった。
久しぶりにターミナルに着いて走ったなあ。あとちょっと躊躇していれば乗り過ごしていたので、席に着いたときにはぐったりしていた。
とはいえ、窓際を譲ってもらった効果もあり、いよいよ旅行気分が高まってくる。楽しい用事で飛行機に乗るのは、ずいぶん久しぶりだと気付く。
すっかり汗が引いたあたりで、あたたかいコンソメスープをもらい、ブランケットを顎までかぶって、しばし爆睡。音楽も聞かず、本も読まず。でも、そもそもこの空の旅はあっという間なのだった。
ふだん飛行機で大阪に行くことなんてほぼないので、なんだか別の場所に行くみたいで面白い。
伊丹空港に降り立っても、まだ9時前。空はピカピカで、人のいない空港は田舎の夏休みの匂いがする。
色々ルートはあったけれどここは楽ちん移動を徹底すべく、空港から京都駅までのリムジンバスのチケットを買った。電車より少し時間はかかるようだけれど、眠っていけるし、バスの窓から見る風景が懐かしくて悪くない。
このあたりで、「これってしかし、ほぼ水曜どうでしょうでは」という感想がお互いの口をついて出る。
ラッキーなことに並んで座れたので、またしばしまったりと窓を眺めるタイムに突入。車窓からは、すぐに太陽の塔が見えた。はじめて見る気がする本物が、のんびりとしたスピードで見切れていく。
この像を見たことで、ほんとうに特に予定のなかった京都旅行は、少し性格を変えることに。「森見さん作品の聖地巡礼っぽいことをしたいです」と、わたしが突如思いついたのだった。
どう考えても、木屋町や鴨川のあたりをめぐるべきなのはわかりつつ、今日めざす鯛茶漬け屋さんが嵐山だと聞いて、すぐに計画を変更する。
「竹林を見に行きます」
あのエッセイ(?)が、とても好きなのだ。歯ごたえのあるケーキと、机上の竹林と、なかなか出てこない美女。それに、うだるような暑さを思うと、竹林というのはこの季節の京都で唯一の目指すべき場所に思えた。
合意を得られたところでまた少し睡眠。うたたねをして目覚めたら、もう京都駅だった。
この駅! 妙に近代的なこの駅がなんだかファンタジックで、ここに来る度に、「外国人が期待する日本」が京都には凝縮されているなあ、と思う。
京都駅の向かい側でバスからは降ろされるので、とりあえず大通りを渡って、駅へ。10時を少し過ぎたところで、お店はどれもしっかり開いている。
日焼け止めだけ買ってすぐに嵐山に向かおうかなと思ったけれど、あまりにも空腹でとりあえずこちらで何か食べていくことにした。
ごはんを食べに行くのに腹ごしらえというのも妙な話なものの、並ぶかもしれないことを考えると丸腰で行くのも不安かな、と。お昼時分には、ずいぶんと並ぶみたいなので。
いろいろと京都らしいお店があるので迷いつつ、最近、喫茶店が気になっているので、朝ごはんはイノダコーヒでとることに。
まわりはモーニングを頼んでいる人ばかりの中、ショーケースで一目ぼれしたレモンパイと、朝とはいえもう暑いくらいだったのでアイスコーヒー、そして喫茶店の花形、クリームソーダ! という欲望のままのラインナップをオーダー。
朝から完全に喫茶メニューで、むしろ喫茶店の中で浮いている。
隣には新聞を読む年配の女性が座っていたり、がやがやした京都駅の中で、明るいけれどどこか落ち着いた雰囲気だ。
まずは、アイスコーヒーが到着。
汗をかき始めた背の高いグラスにたっぷり入っている。オーダーの際に、「ミルクとシロップはこちらでお入れしてもいいですか?」と訊かれて、ミルクだけ断ったのだけれど、飲んでいるうちに冷えてきたので、入れてもらってもよかったかなあ。
給食の副作用で、わたしは暑いときに牛乳が飲めない体になってしまったので、少しでも汗をかいているとコーヒーに入っている牛乳さえ嫌になってしまう。
ほんとうはミルクとシロップを両方入れた方がおいしいらしい、というのは今調べて知った。次はもう少し涼しい季節に行って、ミルクも断らないで飲んでみよう。
氷が入っているのにぜんぜん味が薄まらず、でも飲み始めがぐっと濃いわけでもなく……なんだかふしぎなアイスコーヒーだった。とてもおいしかったのに、旅の始めなのでコーヒー豆を買えなかったのがちょっと残念。
それでなくても、ふだんからできるだけ少ない荷物で生きていきたいと思っているわたしにしては、法外な大荷物で移動していたのだ。
しばらく待っていると、クリームソーダとレモンパイがいっしょにやってきた。
レモンパイはたっぷりとしたサイズなので、2人で分けるくらいがちょうどいいかもしれない。
とても端正でクラシックなレモンパイ。こんもりしたメレンゲの下に、レモン風味のカスタードクリームがふんわりとつまっている。
しっかり酸味はあるのに、尖ったところの一切ない味で、メレンゲの上につけられた焼き目もぎゅっと味が詰まっていておいしい。しゅわしゅわと一口食べるたびに口の中で溶けるのに、満足感がある。
そしてクリームソーダも、とてもとてもクラシックな佇まい。いろんな色のソーダに浮かべたフロートの方が甘すぎなくて好きだけれど、やっぱりこの配色がいちばんテンションが上がる。
イノダコーヒのロゴが赤なのも、そこに花を添えている感じ。
数年ぶりのクリームソーダは、ノスタルジィをそのまま飲み込んでいるような味がする。バニラアイスが溶けていくたびに、ゆるりとやわらかい味にソーダが変わっていくのが面白い。
思っていたよりも甘さは抑え目で、その毒々しい色とのギャップに首を捻りながら、わたしは何度も「ひとくちちょうだい」を繰り返した。
ゆっくり時間をかけて腹ごしらえをして、JR山陰本線を目指し、広い京都駅の中を練り歩く。
あたりには我々と同じように、今日、夏休みを始めたような人々があふれていて、人ごみはそう得意ではないなりに、その浮かれた空気に気分が高揚してきた。
ホームに積み上げられた大きな荷物も、子どもを呼ぶお母さんの高い声も、自分も夏休みだととてもたのしい。
ホームに着いた時には、11時までもう少しという頃合いだった。電車に乗っている時間は15分もないらしいので、着いたらすぐにお昼ごはんということになる。これなら少し並んでもいいな、と思いながら短い電車に乗り込む。
というわけで、さて、いざ嵐山へ。