11年目の青い海
てくてく歩いて、泊海水浴場に。
あとで知らべたら、最初についた野伏港から歩いて5分くらいの近さだったらしい。最後にもうひとつ海を見たいというときにはぴったり。
今回3つ訪れた海の中で、わたしはこちらの海がいちばん好きだったかも。
あまり人がいない季節に海に行くのが好きなので、がらんとした海水浴場は何度も歩いたことがある。
季節外れの海水浴場というのは時間帯によってはほんとうに誰もいなくて、それがともすれば、物悲しい静けさを醸し出すものだけれど、ここはただぽかんとひたすら明るくて。
砂浜といいつつも、けっこう大き目な小石も転がっているので、歩くのなら裸足よりはビーチサンダルがあるといいと思う。
箱庭のようにしずかできれいな砂浜を見渡しながら、わたしはずっと、小学生のときに国語の教科書で読んだ話を思い出していた。
お父さんだかおじさんだかがソーミンチャンプルー(あの話ではじめてチャンプルーという料理をわたしは覚えた)を作ってくれるシーンで、なんだかこんな海が挿絵として入っていた気がするのだけれど。
記憶はふしぎだ。
緑がけぶる人っ子ひとり通らない道を、「このみちーはー いつかきたみーちー」と歌いながら港へ向かって歩く。
港には、乗船時刻の15分前に着いた。
今回は島の右半分をぐるりと回っておしまいという弾丸日帰りトラベルだったけれど、次はもっとのんびり来たいなあ…と思っていたら、帰りの船が30分遅れるとのアナウンスが。
日帰りの旅だと、まだぜんぜん疲れていないのでこういうハプニングもうれしい。
どこかに行って戻ってくるほどの時間はないかなということで、港のまわりをぶらぶら。
まわりのどこを見ても海なので、それだけで心たのしい。ほんとうに海がきれい。
屋外だけれど、屋根のある待合場所があるので、まださほど暑くない5月のはじめであれば、30分待つのはまったく苦ではなかったなあ。
後で食べようと思って、お昼ごはんといっしょに買っていたたまごサンドをひとつずつつまみながら、海を眺める。
たまごサンドは三角に切られたクラシックなやつで、茹でたたまごをつぶしたシンプルなもの。
ちいさいころ、家で母が作ってくれたような懐かしいやつだ。
少しひんやりしてきて買った、あたたかい紅茶花伝も、子どものころとても好きだった飲み物。
そうこうして、とりとめのない話をしているうちに、遅れていた船が到着した。
行きよりもだいぶ大きな船に、待っていた人々といっしょに乗り込んで、ここから3時間で日常だ。
今度は温泉の方にも行ってみよう、と喋りながら、涼しい船内で今日撮った写真を眺めている間に、いつのまにか眠りこけてしまった。
なにか厚ぼったいミステリーでも持って行って、日がな一日、海のそばでだらだらお酒を飲みながら過ごすのもいいなあ。
GW中、結局たいそうな遠出をしたのはこの日だけだったのに、ものすごく休んだ気分になる都心から3時間の楽園だった。
上京してきてからずっと、きれいな海に飢えていたけれど、十年を超えてようやく東京で海を見つけた。ずいぶんと慣れてきたのは気のせいではない。
でも、見つけてないきれいなものも、きっとまだまだここにはある。