とうふ記念日
子どもの頃には、大人になったら「はじめての記念日」なんてなくなるのだと思っていた。
そういうわけではなさそうだな、と思った二十歳から早十年近くが経とうとしているわけだけれど、「なさそうだな」どころか、「ぜんぜん減らない」というのが二十代最後の年に思うこと。
わたしがあまり冒険家ではなかったせいも、おおいにあるだろうけれど。
いったい平均的に、人は二十歳までにどれくらいの「はじめて」をこなすんだろう。たとえば「はじめて食べるもの」ひとつとっても、二十歳になってからの方がずっと多い。
というわけで、昨日は生まれてはじめて、おとうふやさんでおとうふを買った日。
はじめて降りる駅で、なんだかお正月みたいに静かに凪いだ街をゆっくり歩いて見つけた、こじんまりとしたお店で。
だいたい、おとうふというもの自体をしみじみおいしいと思うようになったのも、この一・二年のことだ。
暑い夏の日に、ねぎとしょうがとかつおぶしをたっぷりのせた冷奴、甘いフレーバーまで各種取り揃えられた豆乳、女性陣だけで旅をすると度々口にすることになる湯葉も、ぜんぶぜんぶそれほど積極的に欲することはなかったのに。
寒い日にすき焼きではなくお鍋が食べたいなあと思うようになってから半年ほど遅れて、ある日突然、ものすごくおとうふが食べたい! と思ったのをきっかけに、いつのまに好物のひとつになった。
今ではお鍋のときには、自分だけならごはんを炊かないくらい。おとうふというのは存外おなかにたまるものなので、たっぷり食べたいならボリューム的にお米は無理なのだ。
湯どうふはさすがにまだ積極的には作らないけれど、鱈ちりを覚えてからはときどき真っ白なお鍋も作る。
おとうふについて特に好みがなかったときにはもっぱら木綿だったのに、最近はすっかり絹派になったのも面白い。しかも、なかなかゆずれなくて、恋人は木綿好きだと知っているのに8割がた絹を買ってしまう。
とはいえ、絹でも木綿でも、もちろんスーパーでパックされたものだ。
はじめてのおとうふやさんは、ずいぶん前に新宿駅で待ち合わせをしたときに、やたらお洒落なポスターにひかれて始めたこちらのために買った1日乗車券を使った途中下車で出会った。
黄色に黒、イラストがぜんぶシルエットなのがかわいくて、その場でサイトを検索。
最近はPDFの冊子をプリントアウトして持ち歩き、一日乗車券を買い、ぽつぽつと謎を解いては、答えじゃない駅でも改札を出てみて、と寄り道をたのしみながらいくつかの休日を過ごしている。
1日乗車券というのは面白いもので、まずは毎回切符が使える改札を探すという行為が十年ぶりくらいでとても新鮮。
そして、元を取ろうと思って、特に目的がない駅でもぽんぽん降りてしまう。
休日の電車は焦っている人も少なくて、各停ばかり選んで乗るせいか席もゆったりと空いていて、とても快適。
そもそも移動が好きなので、謎解きは二の次でたのしんでいるから座るとすっかり旅行気分だ。
チョコレートの季節だからと最近、再読した『神様のボート』を思い出す。いろんな街を歩くのは単純に心愉しい。
実際、各停で停まる駅は名前を聞いたことがあっても、降り立ったことのないところが多くてついつい観光気分でぱしゃぱしゃ写真を撮ってしまった。
少し暖かい日が続いたせいか、そこかしこで花が咲き始めていてとてもきれい。
朝起きてつけたブランチのお天気コーナーで繰り返し言われていた通り、「風がなくて快適な一日」だ。この日はじめておろした真っ白のスニーカーもとても履き心地がよく、どこまででも歩いていけそうな土曜日。
たっぷり寄り道をして、夕暮れ時に降りた駅で、もう店じまいをはじめていたおとうふやさんを見つけた。
地元こそ、車でスーパーへという生活だったので、そもそもおとうふやさんというものを見ること自体、ほぼはじめて。ゆるゆるとした坂の途中にとつぜん現れたお店に、吸い込まれるように近づいてしまう。
晩ごはんの予定はお昼を食べながら既に相談していたけれど、それを反故にして、ガラスのドアをそっと開けた。
時間が時間だったので、残っていたのは木綿が少し。
絹・木綿戦争を繰り広げることなく、ぱっと決まった戦利品を手に、はじめてのおとうふやさんを後にした。
というわけで、晩ごはんは小さなお鍋を2つ使って、鱈ちりと豚しゃぶを。
まあるい容器に入れてもらったおとうふは、木の匙でそっとすくって静かにお鍋にしずめて、きっちり半分ずつそれぞれのお鍋に入れた。
これがおいしくて!
わたしはおとうふの良さは静けさだと思っているので、木綿のきゅっきゅっという歯触りが気になるのだけれど、これはどこまでもやさしかった。いやな歯ごたえがないというか。
まあるくてまあるくて、でもしっかりした食べでのある木綿。
これがはじめておとうふやさんで買ったおとうふ、と思いながら、たっぷりしたお鍋の中でもしっかりした存在感を放つ白を、せっせと口へと運んだ。
小学校で習って以来、何かと呟くフレーズを思い浮かべながら。
―2月25日は、とうふ記念日だ。
さあて、残り少ない二十代のうちに後いくつこのフレーズを呟けるだろう。