ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

空色の、湯呑みじゃないもの

夏はじめと言えば、今年最初に食卓におそうめんが登場したのは、例年に比べてずいぶんと早い3月21日だったらしい。写真フォルダを遡っても遡っても現れないので、びっくりした。

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先ほどの話ではないけれど、子どもの頃、おそうめんはお蕎麦よりももっと美味しさがわからなかった麺類で、実は未だに積極的に食べたいとは思えずにいる。

一方で恋人は、パスタの代わりにおそうめんばかり茹でていたという、わたしにとっては奇特なひとり暮らし生活を送っていた人なので、ここ数年、ようやく家でおそうめんを食べるという習慣が復活した。

まあその、おいしいかどうかは置いておいて、涼やかではある。

というわけで、少しだけ日差しの温かさが増した春先に、既に今年はおそうめんはじめを済ませてしまった。

もっとも、それだけ日程が繰り上がったのには、わたしの方もいつになく積極的に「そんな昼食もいいですね」と今年は早々と思えたからでもあり、その理由はといえば、味や喉越しではなかったりする。

湯呑みと間違えて買った、空色の蕎麦猪口。これが使いたくて、わたしはわたしでいそいそとお湯を沸かした。

中川政七商店(中川政七商店公式通販サイト)でふらりと手に取った蕎麦猪口がどうして湯呑みに見えたのか、今となってはさっぱりわからないのだけれど、思い返してみると、たしか、急須といっしょにディスプレイされていたのだ。

それからたぶん、わたしはそこそこ疲れていたのだろう。こういう滋養のある器でゆっくりお茶が飲めるといいなあ、と思った。

これでお水を飲んでもおいしいだろうなあ、とも考えた。この夏は、たとえなかなか青空の下で過ごせなくても、せめて毎日、空色の器でごくごく水を飲もう、と。

そういうわけで衝動的に購入し、家で箱を開けてみたときにはじめて「あっ」と勘違いに気付いたわけだけれど、そのおかげで、今年はおそうめんが例年よりも少し美味しい。

 

もっとも今のところは俄然、お猪口というよりは使い勝手のいい小鉢としての使用方法の方が多くて、あながち間違って買っても悪くなかった気がしている。

ぜったいに綺麗だな、と思ってすき焼きの晩には、卵を割って。

https://www.instagram.com/p/BExPRb-r5ZL/

溶いた後も綺麗だけれど、割り入れた直後は、ほんとうに食卓に青空が切り取られたよう。この使い方は気に入って、既に何度かやっている。

他には、たっぷりしらすを盛ってみたり、小さな冷奴をそっと作ってみたり。

なんとなく白っぽいものを入れたくなるのだけれど、ネギをたっぷりのっけた納豆なんかを入れてもいい。

これまで持っていた小鉢が、写真の右上にあるように、きゅっと丸みを帯びたものだったので、すっきりした形が珍しくてついつい手が伸びる。とはいえ、気に入ったものほどすぐ割る性質なので、ほんとうは戸棚の奥にしまっておきたいくらい。

ただ、食器に関しては使ってなんぼと割り切って、がんがんお気に入りのものから使うことにしている。

そういえば、あの冬の朝割って以来、すごく気に入るものがないので、お茶碗を新調しそびれているけれど、それもまた一興。

どちらかというと、同じものを買い直したいという気持ちが強くて、次に帰省したときにもう一度お店を覗いてみようと思っている。

これも割れたら悲しいなあとか、今の時点でどこのものかわからないので、同じものを買い直すのは難しそうだなあと考えを巡らせながらも、じゃんじゃん登板させていて、最近ではポテトサラダまでこちらに盛る始末。

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結局、これでお茶を飲むことはなさそうだけれど、勘違いして買ったことを僥倖だと思うくらいには重宝している日々だ。

一品料理でどかん、と食事を済ませがちなわたしが、細々とほうれん草を茹でたり、にんじんを千切りにしてみたりと、余分なひと手間をかけて野菜を摂っているのは、ひとえにこの器を使いたいからで、自分の単純さに笑ってしまう。

野菜と麺好きの恋人は、特に不満はないようだけれど。

もうひとつ、すりガラスのものも、こちらはきちんと蕎麦猪口だとわかって手に入れていて、それはもっと本格的に夏になってからかな、とまだ棚の中で眠らせている。

どうやら今年は、クーラーではなく扇風機をかけて、空色のお猪口でつるつると麺を啜るという、なんだか子どもの頃に時を戻したような夏になりそうだ。 それはそれで、とても楽しみである。