さいしょの1杯
水曜日。そういえば、今年はまだ紅茶を淹れてない。
始まった途端、ばたばたとした日々が続いて、なかなか紅茶をゆっくりすすっている時間がないままに、1か月の半分くらいが過ぎてしまった。
思い返してみると、妹夫婦が来た時に、母が淹れてくれたカレルチャペックのフレーバーティーが最後かも。
天気のいい三が日の一日で、うそみたいに静かだった。銘々、駅伝の中継を見ながら、昔のアルバムをめくりながら、飲んだ一杯。
というわけで、この13日間のカフェインと言えば、だんぜんコーヒーである。家で、外で、なにかちょっとカンフル剤が欲しいな……と思ったら、すぐに香ばしい匂いに頼っていた。
元旦のコーヒーはじめは、昨年と同じく金比羅山のコーヒーショップで。
もはや、金比羅山参りに来ているのか、アカボシ珈琲店さん参りに来ているのかわからないほど、個人的には元旦のメインになりつつある。
行きにちらりとお店があるはずの場所を覗き、「ああ、今年もちゃんとここにある」とほっとした。今年も山から下りたら、ここで今年最初の一杯を飲もうと決めると、それからの785段に少し元気が湧いてくる。
それにしても!
あれからもう一年がするりと経ったなんて、ちょっと素直には信じられない。
2014年がおそろしくいろいろ起きた年だったのに対し、2015年はあまり大きな事件がなかった年だった分、なんだかあまり時が過ぎている感覚がないまま、大晦日を迎え、あっという間に次の年の元旦に滑り込んでしまった。
あの日から進んだこと、あの日からできたこと。
そういうことが何個あっただろう、と思うと、もちろん反省は売るほど湧いてくる。でも、あの日から壊れたものも、失くしたものもないということの方が大事で、年々難しくなってくることなんじゃないかとも思っている。
そういう観点から言えば、穏やかな2015年は、どう考えても上々な一年だった。
新年最初の一杯は、大好きなオレンジフレーバーのラテ。
カフェ・ハニーオレンジ。甘いコーヒーにあわせるオレンジは、オランジェのような味が口いっぱいに広がって、なんだか日なたの味がする。
冬になると、何度かオレンジフレーバーのラテをコーヒーチェーンがはじめていた気がして、毎年、「どこかでやってないかな」と探すのが習慣になっているのだけれど、今年は見つけられずにいた。
いっしょにテイクアウトのコーヒーを飲み旅に、冷えなくて便利なんだろうけど蓋をつけたまま飲むのが苦手なのよね……とこぼしていた母の横で、わたしもいそいそと蓋を外した。
ラテに関して言えば、たとえラテアートが施されていなかったとしても、最初の一口を飲む前にぜひとも、その姿を眺めておきたくて、ついつい蓋を取ってしまう。
本来は、熱いものは熱々のまま、冷たいものはキンキンに冷やしたままで、最後まで喉を滑り落ちるのが至福だと思っているので、そんなすぐに風にコーヒーが冷やされてしまいそうな暴挙に及ぶのは、理にかなっていないのだけれど。
「道理」という言葉に、「眼福」というため息がトリプルスコアで勝つ瞬間が、生きているとたくさんあるなあ、と思う。
ラテを見ていると、まだまだ些細なものにときめける! と言うことを再確認できて、わたしはちょっと安心してしまう。
東京に戻ってきてからも、たくさんコーヒーを飲んだ。
そのほとんどは、家のキッチンで淹れたものだ。粉をドリップして、そのままブラックで。なんだか物足りなくて、温めた牛乳を加えて。
豆が切れていたので、粉を使う分、あっという間に入れられたため、何かと言えばコーヒーを淹れていた。
こちらでの最初の一杯は、はじめて訪れたお店、"COFFEE VALLEY"*1さん。
今年はもうちょっとフットワーク軽く、いろんな行ったことのない場所に行こう、と思っていて、その1箇所目でもある。
ひとりだったら、確実に迷っていたような、ちょっと奥まった場所にあるにもかかわらず、休日とはいえ、中途半端な時間なのがまるで嘘のように、お店の外まで人が並んでいた。
頬を撫でる風はあるものの、外で待つのが苦痛なほどではなく、変なところで今年が暖冬だという事を思い出す。
お店は2階建てで、ドアが開け閉めされるたびに、いい匂いがふわりと漂ってくる。
こちらも今年行って見たい場所のひとつ、パーラー江古田さんのパンが食べられるという事を知り、もっとおなかを空かせてくるべきだと、新年早々、さっそくの後悔。
とはいえ、年末年始はお休みをしているようだったので少し気持ちがおさまる。
ところで、ちょうどこの日、行き先を決めていたリビングで、「江古田にひとつ行って見たいお店がありまして」と話していたのが、まさに江古田パーラーさんだった。
わたし個人に限っても、そういう偶然はままあるとはいえ、遭遇するたびになんだか期せずして、朝の占いが1位だったときのような気分になる。
閑話休題。こちらのお店は、面白くて、同じ豆を3種類の飲み方で飲ませてくれるセットがあるのだった。
その名も、"THREE PEAKS" 。
左から、エスプレッソ・マキアート・コーヒー。もちろん、その分それぞれのボリュームは控えめ。すべてがエスプレッソサイズ、というとわかりやすいかもしれない。
利き酒のようなシステムなので、ちびちびいただくと言うよりは、(特にエスプレッソは)さっと嗜むという方が正しい飲み物だと思う。なんだか、凛々しいコーヒーだ。
アメリカンサイズをこよなく愛する一方で、ちまちまと手のひらサイズのものをつつくと、妙なアドレナリンが出てくるタイプの人間としては、もうプレゼンのされ方からなにから、非常にツボな1品だった。
とはいえ、打ち合わせと相談をしながら、結局半分くらいもらってしまってカフェラテも、舌にしっくりと美味しくて。
家でもミルクを落として飲みたいな、と今年最初の豆を、こちらのお店で買って帰ることにした。
季節限定という単語に弱いので、New Year's ブレンドにも心ひかれたのだけれど、どっしりめのものがいいかな、とスタンダードなBrazilを。
コーヒーは好きなものの、いまいちこれ! というこだわりがないので、今年もふらふらといろんなお店のものを試してみようかと思っている。
昨日、唐突に「今ハイボールさえあれば!」という叫びが口からあふれ出て来た。
アルコールがあればなんとかなる、と思うことはほぼないので、個人的にはたいへん珍しい経験だった。
一方、同じ疲労と仲がいい飲み物でも、「コーヒーがあれば!」というのはおそろしく頻繁に考える。ああ、今コーヒーがあれば、もうひと踏ん張りきくのに、と。
家でがさつに淹れた一杯も、お店で丁寧におめかしさせられた出てくる一杯も、等しく心が凪ぐ効果は同じだというのが、コーヒーの素晴らしいところだと思う。
実用的でやさしい、というのがわたしのコーヒー評。
今年もストックは切らせそうにないなあ、という飛ばし具合で既に頼っていて、作り始めたばかりの行きたい場所リスト*2には、際限なくコーヒーショップが増えていきそうな気配を見せている。
*2:恋人は、なぜかこのリスト癖がおかしいらしくて、わたしがリストを作っていると「また!」「アメリカ人か!」と嬉々としてツッコんでくる。