ていねいに、こつこつと
2016年。
移動して、ごはんを食べて、嗜む程度にお酒を飲んで、たっぷり眠って。それが終わったら、急にねじを巻かれたみたいにきりきり働いて、早9日。
改めまして、あけましておめでとうございます。
今年こそは*1、といろいろ心に誓ってスタートした新年。既に、できていることと、できていないことが半々である。
なんとかできているのは、「綴る」こと。
冬の匂いがし始めたころに、来年こそは! と買い求めておいた新しい日記帳。5年日記と迷って、まずは3年日記にしてみた。
扉と鍵をモチーフにした、帯を外すと、ごくごくシンプルなデザインの赤い日記帳。
どうしても、日記帳と言うと赤に手が伸びてしまうのは、わたしがどんぴしゃモー娘。世代だからで、当時の声が高い女の子の常で、10代の真ん中はずっと、この曲がカラオケの十八番だった。
当時は「キーが合ってる曲だから好き」だと思っていたけれど、今思えば、明らかにアイドルとして、ごっちんが好きだったのだなあ。
後の発声がしっかりしたアーティストっぽい歌い方より、この頃の、まだまだアイドルじみた甘い歌い方が好き。
それにしても、この歌ひとつで、赤い日記帳には恋のにおいがするのだから、面白いものだなあと思う。
カバーが赤いのに、日記本体自体は、ちょっとくすんだ淡いブルーというのも気に入った。 この世でいちばん好きな色。
中身もちょうとよく、もともと字が小さいほうで、ゆったりした行間だと、なんだかどうもすかすかしてさみしいので、行の幅が細めなのもうれしい。
書き始めるともっと書ける、と思うのだけれど、続けるためにはこれくらいが限度だろうなあという気もする。何があったか、何を食べたか、それぞれに対するちょっとした感想。
「でも」も「だって」も書く余裕がないスペースなので、必然的に、いやなことはさらさらと行間に零れ落ちていく。
実は、3年日記自体は、以前にも何度か3買ったことがある。
ただ、どれも中途半端に書き入れて、なんとなくそれが「書いてある」というよりも、「汚してある」という気がして、いつのまにか面白くなくなり、開かないようになってしまった。
それに、働き始めてすぐは、平日は常に真っ白だった。今振り返ってみても、ほとんど記憶にないくらい。週末のことだけ、このブログに残せば、ほかに綴るべきことがなかったというのがほんとうのところ。
ここ数年は、さすがにそんなことはなくなった。
この後の3年もきっとそうだろう…と思えてはじめて買うことができた数年またぎの日記で、だから、このちょっとした辞書のような重みのある紙の束は、わたしの「日々」への自信の証である。
さっそく、この間のクリスマスにもらった万年筆で、さらさらと流れていきそうな日々を書き留めていて、それがとてもたのしい。
これはちゃんと、空白を作らずに綴っていきたいなあ。
今のところ、この日記を開いてみたくて、そしてこの万年筆を使ってみたくてという動機がいちばん強いので、やっぱり道具は大事。
そして、「すでにできていないこと」は、「平日もきちんと朝ごはんを食べる」こと。
朝食=休日となったこの数年、だからこそ、朝食は響きだけで頬がとろけそうになるくらいおいしい響きに格上げされたわけだけれど、やっぱり、366日毎日あのしあわせを味わいたい。
バターがあたためられたにおい、トーストの飛び出してくる音、とぽとぽコップにつがれる新鮮なミルクの目が覚めるような白。
あざやかなたまごの黄色が、炊き立ての白米を染めていくたまごかけごはんもいいし、コーヒーにビスケットだけの茶色いセットでもいい。何かしら「朝」を食して家を出ていきたい。
そういう気持ちはおおいにあるのにもかかわらず、今朝が久しぶりの朝ごはんになった。
新鮮なレタス、かりかりに焼けたベーコン、そして後から何もトッピングしなくても食べられる、味付けのしっかりされたふわふわのスクランブルエッグ。
起き抜けにミルクティーを飲んでいたので、ひさしぶりにコーヒーをいれた。
実家にいたときに、買ってはほぼ使わず固まらせてしまっては、また何かの機会に購入するという愚行を繰り返していたマジックソルトは、昨年のはじめに買って以来、今はずいぶんと重宝している。
スープの最後の味付けに使ったり、お鍋の味を変えるために振ってみたり、いろいろしているけれど、やっぱりシンプルにたまご料理にかけるのが、いちばんしあわせ。
朝起きると笑ってしまうくらいよい天気だったので、近くのベーカリーへ焼きたてのパンを調達しに出かける。
白とキャメルとグレーという配色自体は、ほぼ平日と変わらないのに、ひとつひとつのアイテムがぐっとリラックスムードになった休日らしいのんびりした格好で、てくてくと歩く間、どうしても空を見上げてしまう。
思いのほか風が冷たくて、コートの前をあわせながらだったけれど、毎日こういう朝だといいなあ、と目が細くなる。
ちょっと早く出て、外でモーニングというのでもいいから、やっぱり「今年こそは!」と思う。
ちいさい頃から、夏休みがはじまる前の放課後か、あるいは、終わった後の休み時間にまとめてがーっと集中して宿題を片付けるタイプだった。
短期集中して叶えられる「今年こそは」は、それがある程度むずかしそうなものでも、するするクリアしてこの歳まで来た反面、毎日こつこつ続けることは、いまだに「きちんとできた」と思って年を終えたことがない。
「今年こそは!」と意気込むくらいでたぶんちょうどいい、ささやかなささやかな目標が、今年は欲張りにも、ふたつある。