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ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

ある秋の日のこと

ちょっと前までの写真を遡ると、どう見ても夏の記録なのに、あっという間に秋が終わって冬の記録になりそうで、とても悲しい。

今年の秋はどこへ行ってしまったんだろう、というくらい怒涛の11月。おまけに風邪をひいていたせいもあって、なんだか色々と記憶が飛んでいる。

だから、季節を感じたのは、ほんとうにほんの一瞬だった。

https://instagram.com/p/-tgGA0L5Re/

ばたばたした平日の合間、息継ぎをするようにぐったりと休んだ休日、日が落ちるのを惜しむように公園で日向ぼっこをした。

どこに行きたいかと考えたとき、一番は常に「海」で、ただそれは東京に越してきて以来、なかなか叶えられない願望なので、次善の策として「公園」という答えも常に用意している。

そのくせ、風が少し肌寒いだけでも、太陽の光がほんのわずかうるさいだけでも、あっさり心がくじけてしまうので、公園というのは、存外過ごしにくい場所である。

 

だから、その秋の日は奇跡のように、ちょうどよい天候だった。

暑すぎもせず、寒すぎもせず、太陽は眠たげに傾いてやわらかな光を落とし、風はほぼ吹いていない午後2時。

一日でいちばん熱い時刻、ともう十何年も午後2時に時計を見たときに思い浮かべることを口ずさみ、てくてくと歩いていく道のりで満足してしまいそうなほど、抜群に理想的な「秋の日」。

https://instagram.com/p/-tgEQ9r5Rb/

こういう日が永遠に続けばいいのに、と思う日がどの季節にも必ず一日だけあって、今年の秋に関して言えば、あのぽっかりと突然風が凪いだ日曜日が、そうだったのだと思う。

久しぶりにコンバースのオールブラックを履いて。

秋になると、春から夏の間、日々パンプスで疲れていた足首が、らくちんなショートブーツに包まれてすっかり平日からくつろいでいるので、休みの日にスニーカーを履く動機がぐんと薄れる。

でも、落ち葉をさふさふと踏むのは、どうしたってスニーカーじゃないと気分が出なくて、玄関先にしゃがみ込んで靴紐を結んだ。

いろいろと流行っているスニーカーは、どれもこれもかわいいので、どれを買い足すか迷っている内に、ブームが終わってしまいそう。このコンバースのオールブラックが一足あればいいかも、とわりと満足してしまっているからかもしれない。

 

朝ごはんを食べたせいか、お昼を過ぎてもおなかが空かなかったのだけれど、歩いている内に、するすると空腹感を思い出し、いつも「あるなあ」と眺めるだけ眺めて入らずに通り過ぎていたパン屋さんに寄ることに。

小さなお店は、ずいぶんと盛況だった。

どんなお店でもついふらふらと買ってしまうベーコンエピと、これはどこでもはなくて、見かけたらうれしくなて衝動買いしてしまうバナナブレッドを買い、紅茶を買って公園へ。

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小さな敷地は、たっぷりと色を変えた葉を称えた木々に満たされ、たまにふわりと吹く風が、石畳に落ち葉を散らしていく。

のどかな日曜日の午後の公園には、なぜいつも、すこし眠たげな管楽器の音がするのだろう。

のどかさと、太陽の光と、スタンダードな音楽は、どうしたって学生のころの放課後を思い出させる。あの頃、ブラスバンド部が練習をしていたときの少し青い空気というのが、休日の公園では、なぜか面白いくらい鮮明に蘇るみたいだ。

 

公園に来るのは、秋がいちばん好き。

地面に何かが落ちているのを踏みしめながら歩くと、子どもの頃の心持ちにぐっと近づけるのは、大人になってからは、足の裏いっぱいに地面を感じることがとんとないからだと思う。

ハイヒールを履いて、いつもつま先立ちをして世界に接している日々からは、ずいぶんと遠い記憶である。

そのぐわりと時空がねじれる感じが好きで、何かを踏みしめながら歩くのが楽しいのだけれど、春は少しさみしい。踏まれた桜と言うのは、途端に物悲しくなる。

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見上げると、紅い可愛らしい実を付けた枝もいっぱいに広がっていて、葉っぱが散ってしまった枝でも、秋はさみしくないのもいいなあと思う。

 

たっぷりと足の裏の感触を楽しんだところで、ベンチに座ってお昼ご飯兼おやつの時間に。

ベーコンエピは想定通り、思っていたよりもパンがハード寄りでうれしく、胡椒の効いたそれを、わたしはひとりでもくもくと食べた。

恋人は、大きな口を開けて、サンドイッチを食べている。一向にハード系のパンが得意にならないので、相変わらずこういうパンは独り占め状態。

カフェラテが飲みたかったはずなのに、見つけてついつい手に取ってしまった紅茶のラテで喉を潤し、デザート代わりに、ぽくっと焼けたバナナブレッドを味見する。

https://instagram.com/p/-tfrh_L5Qp/

これが! これがほんとうに! もうこのバナナブレッドがあれば、わたしは一生自分でバナナケーキを焼かなくていいという理想の味だった。

子どもの頃、母が繰り返し焼いてくれた、バターとバナナと粉とお砂糖のものすごくシンプルなバナナケーキの味。素朴であたたかく、にもかかわらず、バナナの風味がぐっと前に出てくる。

あの味を再現したくて、上京してきてから、そうまめにはしないお菓子作りの内、大半がバナナケーキだった。

わたしはよくばりなのと、なんだかちょっとカロリーが下がる気がして、ついついバナナを多めに入れて作ってしまうのだけれど、市販のものは逆に少なすぎたりして、なかなか「これ!」という味に辿り着けずにいた。

それが、こんな身近なところに平然と売られていたなんて!

記憶の中の味より、バナナが寸分も多すぎず、少なすぎず、ああこれこれこれ! と思わず笑い出してしまうくらいに、理想の味である。

 

しあわせにおなかを満たしたところで、心の底から満足して、一年ぶりくらいに読む本を、ぱらぱらとめくることに。

https://instagram.com/p/-tf69Gr5RN/

3姉妹とその家族の話なのだけれど、わたしはいつ読んでもだんぜん長女が好き。

いちばんシンパシーを感じていたのが、高校を卒業して何もしていない主人公の三女だった年代に出会った本で、具体的に年齢を本の中で探したことはないけれど、もうたぶん長女のそよちゃんの歳も越えてしまったのでは…と思うと、くらくらしてくる。

同じように明るくても、秋と言うのは春や夏と違って、日差しの中でする読書が心地よい季節だと思う。

たぶん、光の量と言うよりはやわらかさが問題なのだろう。秋になると、同じ明るさでも、断然ふわりと光がやわらかくなる。

手元を照らす光が蛍光灯だと少し明る過ぎる―そんな感じ。

 

子どもから大人まで知っているスタンダードなクラシックに、突如として普遍的な歌謡曲が混ざった、運動会のブラスバンドみたいな音楽を聴きながら、数章さらさらとおさらいし、4時くらいまでのんびりと完璧な秋の午後を満喫した。

今年はまだしっかり紅葉も観られていないけれど、なんだか「秋」はしっかりやった気分、というくらい秋の午後らしい午後。

https://instagram.com/p/-tf_W6L5RU/

来年の秋は、また山へでも行きたいなあと秋を思い出にしまったのは、早急な判断ではなくて、気づいたらもう冬に片足を突っ込みつつある。

次の週末は、名実ともに冬だ。12月最初の週末。季節にひとつずつぐらいは、完璧な日曜日が欲しいなと思っているけれど、今年も冬は長そうなので焦らずに行こうと思っている。