最初で最後のグレー
元来ずぼらなので、クローゼットの着替える時に取り出しやすい側から順に、春夏物の薄手のワンピースや羽織ものが下げてあるし、チェストの手前から順に、よく着るシャツやカットソーがほぼ着用頻度通りの順番に整列している。
休日にだけ、向こう側に押しやられたぴらぴらした柄物を取り出し、体にあててみる。
ちょっと前までは、そのまま着替えていたのだけれど、最近は首をひねって、真ん中あたりの少しくだけた、とはいえ、おおむねシンプルな服を手に取り直すことが多くて、初夏だなあと思う。
頭では別の色も着たいなあと思っているのだけれど、このところ手が伸びるのは、青(いろいろな濃さの)、白(ぱきっとした清潔なもの)、ベージュ(淡い淡いサンドベージュというような色)。
だいたい1週間すべてこの組み合わせでぐるぐるとしていて、洗濯物を回すとその統一感に、ちょっと笑ってしまう。
春から夏に移り変わるこの時期は、一年の中でいちばん気持ちがシンプルになる時期で、まるで毎日海に焦がれているみたいに、わたしはこの配色ばかり身に着けている。
今年はそこに1つ違う色が加わったものの、全体のトーンはほぼ変わらない。
Deuxieme Classeのグレーのパーカーは、まだ表で吐く息が白い時期に買った。年末年始の帰省にも連れて帰ったし、春先の旅行にも着込んで行った。
中にヒートテックを仕込めば、これ1枚で過ごせたくらい暖かかったのに、もうすぐ家の中ですら暑さにぐでんぐでんになりそうな6月末の今まで、何かと言うと手が伸びる。
たとえばいつもより早く目が覚めて、いそいそとドーナツを買いに行く土曜日の朝8時、冷房の効いた劇場にお芝居を観に行く日曜の午後2時。
軽く何かを羽織りたいなというときに、オンでも散々羽織っているカーディガンは面白くなくて、ついつい使い勝手のいいこちらに頼ってしまう。
よく考えて見なくても、実はこれが、人生ではじめて買ったグレーのパーカーかもしれない。
というのも、学生時代はずっと妹と洋服をシェアしていて、まあうちの妹という人が、ともかく何はなくとも毎シーズンこれだけは新調! というくらいの情熱でもって、グレーのパーカーというアイテムを偏愛していたからである。
わたしと母は、いつも首を傾げあった。「今着ているものと何が違うのかわからない」そう呆れると、妹は決まって「ぜんぜん違う!」とわれわれの感想に憤ったものだった。
そういうわけで、何かしらがちょこちょこ違う*1グレーのパーカーを、必要とあらば拝借して事足りていた。
年月は経ち、それぞれ就職もして別々に住み始め、いろいろなアイテムを分け合ったけれど、すべてそれぞれが引き揚げたものがあって、わたしの場合はギンガムチェック。妹の場合は、それがグレーのパーカー。
ということは、とわたしは興奮した。とうとうわたしもグレーのパーカーを買うときが来たのだ!
これまで買わずに生きてきたものだから、せっかくなら最初で最後の1枚にしよう、と張り切って、ずっとこれだと思えるものを探していた。
カジュアル過ぎないこと、色が濃くないこと、丈が長くも短くもないこと、どちらかというとしゅっとしたシルエットであること。
そうして辿り着いたのは大人になったら、こちらで少しずつシンプルなものを集めたいなと憧れていた、このお店のものだった。
フードの立ち方がとてもきれいで、いつまでたってもしっかりと後ろにボリュームがあるため、だらっとした感じが一切なくて、パーカーなのに着ているとすっと背筋が伸びる気持ち。
そして、薄々気づいてはいたことなのだけれど、たぶん、わたしはゴールドでアクセントをつけられるのに、やたらめったら弱い。
たとえば黒のワンピースの背中のジッパー、あるいはネイビーのジャケットのボタン、そしてパーカーのジップアップがゴールドだとわかるや否や。
それまで、なんだか似たようなものばかりに見えていたものの中から、それだけがぽんっとポップアップして、「これですこれだよこれしかない」と目に飛び込んでくる。
えいやっと最初に禊の洗濯もしてみてからは、汗をかくのも怖くなくなり、今の時期でもまだまだ活躍している。
ある日は、くすんだピンクのチュールスカートに、同じくくすんだブルーのネイルを合わせて。ずいぶんとぼんやりとした配色でも、金具がゴールドなだけで、なんとなくアクセントになってさみしくない。
あまりに使い勝手が良くて、今年は白も追加したいなあと思ったりもするのだけれど、もうすこしだけ、「はじめて自分で買った1枚」という余韻に浸っていたい気もしている。
*1:丈やシルエットや、並べてようやくわかる色味とか。