ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

仕舞えない冬

そろそろ本格的に冬物は仕舞い込む季節がやってきたけれど、この冬手に入れて、このまま夏まで活躍しそうなものもいくつかある。

今年の冬は、ここ数年ずっと欲しいと思っていたものを、「買わない理由がない!」という理由でするりと手に入れた冬で、たとえばその筆頭は手ごろなサイズの土鍋。

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一人鍋が大好きな妹の要望で、大学時代はひとりひとつずつ土鍋を持っていた。妹は横に平たいいわゆる土鍋で、わたしはこっそりと小さくミッキーの焼き印が施された、どちらかというと深さのあるタイプ。

どちらも色は素焼きのような素っ気ないものだったことは共通していて、白菜を山ほどいれたお鍋から、チーズを何種類も投入するリゾットまで、冬に限らずだいたいのものをそれぞれの土鍋で作った。

数えるほどではあるけれど、お米を炊いたこともあって、わたしは白米がなくても生きていけるタイプであるにもかかわらず、これならたしかにお米と生卵があればいい、と思う炊き上がりになったことを覚えている。

だから、もっと家でごはんを食べよう、と外食続きの日々に反省したときに、それであれば土鍋を買うしかないな、と思ったのは当然の流れだったのかもしれない。

あの土鍋が2つ、キッチンにいつも鎮座していた時期が、わたしが人生でいちばん自分が食べるものを自分の手で調理した時期だった。

そうして土鍋欲を持て余したまま、年を越し、いつもより早く帰った東京で、ふらりと入ったFrancfrancの店頭、半額セールになっていたキャセロール鍋*1を見つけた。

値段もお手頃、ころんとした見た目もかわいらしく、「これはつまりもう今年は自炊をしなさいということね」などと、新年にかこつけてもっともらしい理由をつけ、一度戻った家から再度お店まで引き返して購入。

それ以来、もはやなかったときのことが上手く思い出せないほどに、日々活用している。

土鍋というのは、ほんとうに頼もしい。だいたい何を入れても様になる(ように見える)し、手を抜いていても土鍋効果でなんとなく、「わざわざ作って今日はがんばった」という気分になれる。

熱の回りが早くて、一度沸騰すれば火を消しても余熱で火が通るので、調理時間がぐっと短くなるのも素敵。

煮込み料理をするときには、たいてい近くで本を読んで待つことにしている。にもかかわらず、ついでのはずの読書に、ついついわたしはすぐに集中して、火にかけていることを忘れてしまったりする。

たいてい噴き零れる音に慌てて現実に引き戻され、ぶわっとまけてしまったお湯(であればまだ不幸中の幸い)を眺めて、理不尽な気持ちで首を捻ることになる。

なので、料理に飽きないうちにだいたい火が通り、残りは火からおろして余熱でじわじわと熱を通せる土鍋は、頼もしい相棒だ。*2

その使い勝手の良さで、最近では疲れて帰った平日だと、もはやお味噌汁を作るのですら、普通のお鍋より手っ取り早くて、ついついこれのお世話になっている。

ものによっては、これで作ってそもまま食卓に器としてあげ、という荒業ができるのも、手間も片づけも減って、とても楽。すばらしい!

さすがに、ずっと近くについていないといけないお米は炊いたことがないけれど、それにしたって大活躍していることには間違いない。

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3~4人用の大きなサイズもあったのだけれど、恋人用に赤、自分用には白を買い、ひとり鍋サイズにしたのも、使い勝手がよくてよかったなあと、日々実感している。

実用性と言うよりは、同じものが色違いであるという状態に、わたしがしあわせを覚えるタイプ…というたいへん単純な嗜好に基づく買い方でこうなったのに、怪我の功名と言うかなんというか。

 

そして、もうひとつ、こちらもこの冬ようやくふんぎりがついて手に入れ、たいへん重宝しているのは電気ストーブである。

もともと夏は冷房、冬は暖房とエアコンを大活用していたのだけれど、そのせいか冬になると毎年喉をやられるようになり、どうせ寝るときには暖房も消してしまうなら、帰ってすぐに身を寄せられるストーブの方がいいなあ、とぼんやり思っていた。

ストーブの記憶は分断されていて、幼稚園の教室に置かれていた触れてもけがをしない、外が熱くならないもの。ストーブの傍は、特等席だった。

それから、自分の部屋で夜中まで勉強することが増えてきた高校生の頃に、寒い寒いとねだって買ってもらった、どちらかというとヒーターのようなもの。

そこからまた約10年経って、またストーブが生活の中に戻ってきたことになる。

秋がだんだんと深まってきたころ、あまりに冬の出足の威勢が良くて、今年はとても耐えられそうにない、今年こそ人をダメにするこたつを買う! と心根の弱いことをのたまっていたところ、それならストーブを買えばいいじゃない、とアドバイスをもらった。

ストーブならすぐに温まるし、脚を突っ込んだまま眠ってしまうこともできないし、何よりコンパクトなものならば持ち運びができる。

キッチンに持ち込んで洗い物をしている後姿を温めてもらってもいいし、窓際に連れ出して読書タイムの膝を温めてもらってもいい。ぶんっと音を立ててストーブが温まっていく様を思い出し、これはもうストーブを買うしかない、という気持ちになった。

そうしてやってきたスリムな相棒は、一冬通して、大活躍。気を抜くとまだ夜や朝方は部屋がひんやりとしていて、いまだにちょくちょく暖をもらっている。

 

とはいえ、ストーブはさすがにそろそろお役御免かな、という気温になってきたものの、土鍋の方はこのままだと、ついぞしまうタイミングがないまま、夏を迎えてしまいそうである。

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はふはふと熱いものは熱いうちに食べてしまいたいわたしは、なんでもとりあえずこの土鍋で温めることにしていて、お味噌汁以外にも、いただきもののおでんなんかを、いそいそこれで温めたりしてみて。

余熱で中までしっかり温まった、出汁しみしみの大根をかじりながら、夏はこのお鍋いっぱいに野菜を刻んで、野菜スープダイエットなんかもいいなあ、などと夢想が進む。

なによりこれだけ使って作って食べて、これだけ洗えばいい、という手軽さは自炊のハードルをそうとう下げてくれる。

いつか欲しいなと思っているものは、どうせならすぐに手に入れた方が、しあわせな時間が長くていいのかも……と、へんなところで固いお財布の紐を見直すきっかけになった、非常にいい今年の冬の戦利品だった。

そういうものは他にもいくつかあって、たとえばスカート1枚買う前に、ちょっと立ち止まってみようかな、と思う今年の春支度である。