ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

世界のはてではコーヒーを

穏やかな日曜日。土曜日は楽しいのがいちばん、日曜日は穏やかなのがいちばん。そう思っているわたしにとっては、とても理想的な週末になった。

朝起きると、カーテンの隙間から気持ちよさそうな陽の光がちらちらと見えた昨日とは打って変わって、朝9時の空はうっすらとした曇天。

曇りの日と言うのは、なんだかすごろくの“一回休み”のようにやる気がなく、平日だとその薄明りと湿度に守られているような感じが、世界に慣れている気分になれてとてもほっとするのだけれど、お休みの日はちょっとがっかり。

できれば、からっときれいな晴天か、いっそ窓を開ける気にもなれないくらいの雨であってほしい。

でも、ここが休日のよいところで、食料もあるし、どうしても出かけなくてはいけない予定もないし、今日は一日、外に出ないぞと決めると、途端にこのぐずついた天気が愛しくなる。

おいしいパンもストックしてあるし、おめざになるクッキーも買ってあるし。

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ハードなパンがおいしいイメージのPAULは、焼き菓子までもが、しっかりと粉の味がする。ざくざくと歯ごたえからしておいしいサブレは、1個また1個とつまんでしまい、あっという間になくなってしまった。

かわいく型抜きされているのに、最後の一欠けまで堅実な味で、わたしの理想のクッキーにとても近い。おとぎ話の中で、ごはんの代わりに旅に持っていくクッキーはこんな味がしそうである。

 

外の様子を伺うために、少しだけ窓を開けてみると、お昼を過ぎてもぐずぐずとした曇り空は変わらない。それを見て、今日はほんとうに外に出ないでおこうというわたしの口調は、存外、楽しそうだったらしい。

いつだって口を開けば「遊びに行きたい」と言い、その癖同じ口で、できれば家から出なくてよい理由を端から探してきて紡ぎ続けているのだから、それに振り回されている恋人は、たぶん呆れている。

いいけれど、と言われる。いいけど先週末の約束はいいの、と。

たしかに先週末、わたしは珍しく恋人と約束をしたのだった。

日のすっかり暮れた代官山を駅へと歩いていた道すがら、街頭はほとんどなく、お店の灯りで道が見えるような路地が続き、何個か角を曲がったときに、ずっと気になっていたお店がぽんっと入った路地裏に現れた。

思いがけずうれしくて、「いつか行こう」と言ったら、いつもの「今度ね」の代わりに、恋人がそれなら、と言ったのだ。来週来よう、と。

結局、その「来週」、パンケーキは食べに行かなかった。

弾んだテンションのときにした口約束を、いろいろあった一週間を越えて、誠実に覚えていてくれたことに満足し、ぐずつく天気を免罪符に、珍しくわたしが「今度ね」を進呈した。

 

外出しないと、時間と言うのは急にゆったりと流れ始める。途端に長くなった静かな時間を埋めたのは、一日に何度も淹れたコーヒー。

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金曜日の夜に、一気にこの本を読んで、わかりやすくコーヒーが淹れたくなった。映画*1のノベライズを手に取ったのは久しぶり。

さらりと読めたけれど、“の”の字に注いだお湯でこぽこぽとコーヒーがふくらむ音を聴きたくなり、どちらかといえばぜひ、映像で見たい世界だと思った。それってつまり、ノベライズとして成功しているということなんだろうけれど。

恋人のミルを借り、バレンタインブレンド*2を粗挽きにしながら、それにしても、“はて”について思いを馳せたのは久しぶりだなあ、と思う。

10代の頃は、“世界のはて”ばかり探していた。“世界のはて”でなら、きっと誰かと出会えると思っていた。

だから、当時、わたしがいちばん焦がれた場所は、イギリスの端にある“Land's End”という岬で、観光地としては比較的地味なところだった。“地のはて”という地名だけで、旅行に行くならそこだと決めていたし、行くならば絶対ひとりで行くのだ、と思っていた。

もしかすると、授業中グラウンドをかすめていく飛行機を眺めながら、きっと後数か月すれば出ていくのだろう、と確信していた東京に対してよりも、ずっとくっきりと「そこに行けば何かある」という気持ちを抱いていた場所かもしれない。

結局、その地を訪れる前にわたしは20代になり、そうして直に、どちらかというと、日本の中心と言った方が正解に近い8月の日比谷で出会うべき人と出会い、ついぞ夢を叶える機会はなかった。

でも、東京が日常になってしまった今、そこに行けば何かあるのだ、と思える場所がまだ自分の中にあると思うと、なぜだかとても身軽な気持ちになる。

ちょうど今日のようなずっしりと重い曇天、海辺らしく少し強めの髪を吹き上げる風、雨が降りそうで降らない灰色の空。

わたしにとっての“世界のはて”は、10代の頃からずっと慎み深いグレーで、くもりの日に少しだけ世界が上手に泳げる気がするのはだからなのかと、ページをめくりながら、ひさびさにそんなことを思い出した1時間弱だった。

 

それにしても、ミルというのはなんて心安らかな道具なんだろう、と思う。

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ただコーヒー豆を挽くためだけに存在し、それ以外の用途では一切使われないという存在価値の潔さも素敵だし、悩んでいるときに万が一ぐっと握ってしまっても、下手にぺこぺこしたりしない頑丈さも心強い。

我が家にも、ミルとしても使えるジューサーがあるにはあるのだけれど、わたしは断然ミル派である。

ときにガリガリと、ときにゆるゆると、限りなく気分のままハンドルを回し、約1分経ったときには、たとえストレスが何一つ溜まっていなかったときでも、1分間分きっちり気持ちが軽くなっているのが面白い。

わたしに関して言えば、コーヒー豆を挽いてみてはじめて、「ああイライラしてたんだな」と気づいたこともままある。

どう考えても現地で調達できる飲み物としては紅茶の方がおいしそうだし、わたしも、わたしの“世界のはて”に行くときには、おいしいコーヒーとミルをひとつ持っていこう。

そんなことを考えている内に、昼と夜の境目も曖昧に、とろとろとくもり色の日曜日が過ぎていく。

 

今飲んでいるコーヒーはそれだけでもおいしいのだけれど、不思議なくらい、甘いものと食べると瑞々しいおいしさが増す。

それを言い訳に、こっそりつれて帰ってきてしまったシフォンケーキのお供にと、たくさん届いていた林檎を1年ぶり以上に*3端からコンポートに煮込んだりしている内に、すっかりとっぷりと日が暮れていた。

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特色が入ったようなにぎやかな休日も楽しいし、明るいパステルめいたふわふわした休日もいいけれど、おだやかでやさしいグレーな休日も、これはこれで悪くない。