宵越しのチョコレート
もはやハロウィンに抜かれた、なんて統計も今年はちらほら見たりしたけれど、わたしはやっぱり一年の中でこのイベントが2番目に好き。
バレンタインデーである。
1番は子どもの頃からずっと変わらずクリスマスで、それはクリスマス自体というよりも、あの年末に向かう感じが何よりもしあわせだから、という気がしないでもない。
それに比べて、バレンタインが好きな理由は、もっと単純である。チョコレートが好きだから。それに尽きる。
この時期になると、いつもはチョコレートを出していないお店までチョコを並べ始め、普段であれば電車を乗り継いで行かないと買えないお店のチョコレートも、最寄駅に出現したりする。
そのせいで、大学生のころはバレンタインデーとえば、いつもは手の出ないお店の瀟洒な箱に入ったチョコレートを、罪悪感なく片っ端から買い集める日だった。
大学2年生の頃、大学通りにある雑貨屋さんで、2月の頭、試験終わりに、中にホワイトチョコが詰まった真っ赤なゴブレットを買ったのも、バレンタインのフェアだったと思う。
きれいだった赤色がしばらくして剥げてきてしまって、二度目の引越しのときには処分してしまったけれど、たぶん、あれがはじめて、わたしが自分のために買ったバレンタインである。
持ち重りのするゴブレットで、寝起きの握力では片手で持ち上げるのがちょっと辛く、両手で包むように起き抜けの水を飲んだ。金色の飾り細工が施されていて、あれに入れて飲むと、それがたとえ水でも、ワインを飲んでいるような気分になった。
もっとも、ここ数年はといえば、日常に息切れしないための特効薬として、他に贅沢をしない分、ちょくちょく2月以外にもおいしいチョコレートを買ってしまうため、以前のように1ヵ月以上食べ続けられるほどの買い占めはしなくなった。
でも、それでも、やはりこの時期のチョコレートは特別で、わたしのチョコ好きを知っている恋人の方が毎年用意してくれるチョコレートは、他のどの時期に食べるものとも違って心躍る味がする。
今年は、ずらっと並んだ星をもらった。
色鮮やかにコーティングされた表面にかりっと歯を立てると、中からとろっとガナッシュが溢れてきて、珍しく、わたしが1日1粒で我慢できているほど、しっかりと甘い。
と言っても、舌の上に変に残る甘さじゃないので、コーヒーがなくてもすいっと食べられるくらい。
バレンタインに先んじてもらい、今日やっと“ガイア”(地球)まで辿り着いた。最終日の“マーキュリー”が紅茶味なので、今から楽しみである。
チョコといえばコーヒー、紅茶と合わせると物足りない!という人間なのに、どうしてか、紅茶味のチョコの方は、コーヒー味のそれよりずっと好きで、いったいどういうことなのかと、ときどき、自分の味覚が不思議になってしまう。
シャンパン味だけは例外で、シャンパンとチョコでも、シャンパン味のチョコでも、同じくらい好き。
初日に食べた“キューピッド”からして、どれもとてもきれいな色で、パレットのようなチョコレートが開けるたびに目にも楽しい。
普段、それが誰であれ、わたしがチョコレートを食べている場に遭遇した人には必ず、「チョコってそんなにぱくぱく食べるもの!?」と驚かれるくらい、わたしはこのとろりと甘い粒を、すぐに食べきってしまう。
だから、一年で一度だけ宵越しのチョコレートを持つのがこの時期で、それはバレンタインだから、ともらうリボンのかかった箱が、どうしたってやっぱり特別なものだからだと思う。
わたしは女だけれど、バレンタインデーにもらうチョコレートのうれしさが、それが恋人からであれ、「ありがとう」の意味が強い知人からのものであれ、もらったそばから口に放り込むような瞬間的なものでないことは、よくわかっている自信がある。
リボンを解き、小さな箱から出し、そのつややかな姿をよくよく眺めて、それからようやく1個、指先で摘み、目を閉じてゆっくりと齧る。
そんな風に、たっぷりと時間をかけて味わうしあわせであることが。
チョコレートの担当は恋人になりつつあるので、わたしからは、昨年のミルクフォーマーに続き、今年もコーヒー関連のものを。
ミルもポットもそろっているので、この間TVで見たフレンチプレスの道具を追加するのも面白くていいかなあ、なんて思いながら、最終的には、チョコレートによく合う新しいコーヒー豆を買っておいた。
何度か訪れたことがあり、いつか豆で買って帰りたいなあと思っていたお店で、たっぷり悩んでプレゼント用に包んでもらった。
最近ますます「限定」という言葉に弱いので、しっかりとした味のする(らしい)オトナのバレンタインブレンドを購入。どちらにせよ、酸味はあまり出ないと聞いて、それならばと深煎りの方に手を出した。
きっと、すっきりと甘いチョコレートとも、よく合うだろう、と。
このお店はコーヒーショップには珍しく、朝やお昼より、夜、それも深夜が不思議とよく似合って、そんなところも、夜、もう外に出て行かなくてもいい時間帯、今日一日のごほうびにと頬張るチョコレートの相棒としてふさわしい気がした。
ちなみにここの、冬だけ飲ませてくれる、たっぷりとスパイスの入ったウィンターココアも、ぴりっとビターな味わいが癖になって、別の街で飲んでいてもついつい、酔っぱらった深夜に寄って、買って帰りたくなる。
選んだコーヒー豆は、プレゼント用に包んでもらって、チョコレートの華やかさに、一歩近づけて贈呈した。
夕方、ちょうど日が暮れる間の30分を歩いた代官山で、最後に訪れたT-SITEで、食べ物エッセイを物色するわたしの横で、コーヒーの本を熟読していた恋人が、ひさびさにミルを引っ張り出して淹れてくれたコーヒーは、あれよあれよと言う間に、もくもくと膨む。
本の中でされていた、スフレみたいに、あるいはブリオッシュみたいに膨らませて、という形容を横から盗み見て、そんな馬鹿なと思っていたけれど、たしかにそうとしか形容のしようがないふわふわ感。
ゆっくりと時間をかけて淹れたコーヒーは、すっきりと口当たりがよく、そのくせしっかりとコクがあり、宵越しのチョコを更にしあわせにする、なかなか頼れる相棒だった。
パンプキンも好きだし、オレンジと黒という色合いもかわいいけれど、やっぱりわたしはもう少し、一年で数日だけ、チョコレートをゆっくりと味わう余裕を強制的にくれるバレンタインが、一年で2番目に好きなイベントのままだと思う。