ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

Counting down the days

そういうわけで、新年から数百段の階段を上り、途中途中休みながらも、なんとか無事、てっぺんまで辿り着いた。

ほとんどコンベア式に、お賽銭箱の前まで押し出され、混んではいるもののお行儀のよい込み具合と言うのはあまり疲れないものなのだなと思ったりしつつ、少し周りを見渡すと、ずらりと黄色いお守りが並ぶ姿が圧巻で、わたしはついついそちらの方へ引き寄せられてしまう。

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パッケージも込みで、これは自分のためにと言うよりは、お土産に使いたくなるかわいさだなあと思う。

それにしても、山の上だというのに、どうも空気が冷たくない。

階段の途中には、ちょうど少し休める休息場所のようになっている箇所もそこかしこであって、そんな山の途中でも思ったことなのだけれど、どうも上に上がれば上がるほど、ちっとも寒くなくなるみたいだ。

ふもとであんなにも手袋欲を誘った風は、一歩、山の中へ足を踏み入れるとぴたっと止み、そよとも吹かないので、手袋とマフラーであたためられた体は、むしろ背中にじわりと汗がにじむくらい。

絶対に触れられない! と思っていた冷たい水も、むしろ心地よいくらいで、手を清めるひしゃくも大盛況だった。

もちろん頬にあたる風は、ひんやりと清潔に冷やされているのだけれど、手袋のついでにマフラーも外してもいいなあと言い合いながら、今年はじめての家族写真を見晴らしの良い展望台で撮った。

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わたしはあまり記念写真と言うのが得意じゃなくて、それはひとえに、後でアルバムを開くと、ぜんぶ同じ顔で写ってしまう芸のなさにがっかりするのが嫌だからなのだけれど、まあ記念ということでしずしずとフレームの中に収まった。

こういうとき、順番に何パターンか撮りたがるのが母で、父が母娘3人で撮ってやると言いだし、めんどくさくなったわたしが手を伸ばして自撮りの要領でやればいいじゃないと言葉を重ね、だいたいスムーズにまわりにいる人に「1枚お願いできますか」と声をかけるのが妹である。

逆に、こういう場所で気付けば知らない人からカメラやiPhoneを預けられているのも、たいてい彼女だ。

そういういわゆる社交性というのか、人に素直に甘える術というのか、まあたいしたことではないのだけれど、持ちつ持たれつをするりとやれるのが下の子だなあ、とわたしは毎度感心してしまう。

そういうわけで、この時も他3人の主張をどれも半分ずつ実践したところで、手が空いていそうな親子連れの、ちょうどiPhoneでよく写真を撮っていそうな学生さんにするする近づき、妹が「ちょっと1枚」と頼んで2015年最初の家族写真も事なきを得た。

 

頂上で、すこん昨年の自分と新年の自分とが入れ替わったような気分でする下山は、ずいぶんと楽だった。

ただ、その分気が緩むせいか、わたしはなんでもないところでつるりと滑りそうになり、母と父に気を付けるように声をかけたそばかr、もう一度自分でつるんといきそうになったりした。

ところが、するすると順調に見えた下山は、参道がにぎやかになってくると、急にスローペースに。

行きは上がることにしか意識がいかなくて見えていなかったものが、たくさん目に飛び込んできたせいだ。

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その最たるものは、どう考えてもその一角だけ新しいお土産屋さん。

どこからどう見たっておしゃれな雑貨屋さん! という感じなのだけれど、軒先に近づいてみれば、どれもどこでも買えるものはひとつもなくて、まごうことなき金刀比羅さんのお土産屋さんだということがわかる。

いちばん表に出ているのなんて、そのものずばりの御朱印帳だし。

どれもお店オリジナルのものだったり、地元や四国の若手作家さんの作品だったりと、ここでないとなかなか手に入らない雑貨がゆったりと、でもたっぷりと並べられていて、端から買い占めたくなる気持ちに。

四国のお土産を買うなら、ここはかなりおすすめだなあと思いながら、わたしは近いうちにまた来ようと思ってお店を後にした。ここは絶対、女友達と来た方が盛り上がる。

妹も随分熱心に店内を眺めていて、結局お互い迷ってすぐに買うものは決まらず、「また来る」と言いながら、互いに力強く頷きあった。

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和風なのにモダンなアクセサリーもたくさんあって、こういうとき、やっぱりピアスというのはちょうどいい趣味だなあと思う。

たとえばよくよく見ると、かなりキッチュなモチーフのものを耳から下げていても、イヤリングと違って、ピアスだと俄然、大人の嗜みっぽいもの。

今調べてはじめて知った「旅と、時と、ココロをうめる。」というキャッチコピーをふわんと表した店名も、とても素敵だなあと思う。*1

 

上でみた黄色いお守りもかわいかったし、金刀比羅さんのお土産は、全体的に、するりと時代に寄り添ったものが多いなあ、という印象。

昔懐かしい感じが今の感覚で再現されていたり、古き良き日本のモチーフを上手いこと日常へ使えるようなデザインに落とし込んでいたり、せっかくだしお土産でも買っとくかーという気持ちじゃなくて、これならお土産に買いたい! と積極的にわくわくするものがあった。

まあわたしはどこの参道に行ってもあるような、古き良きお土産屋さんを見るのもまた、好きなのだけれど。

どこに行ってもいるアンパンマン、それからキティちゃん。固くて薄甘いお菓子、それからよくわからない干物。そういうものが雑然と並ぶお土産屋さんはそれはそれで、いかにも観光に来たという気分になれて心楽しい。

そういうものでもう一つ目を引いたのは、参道で上りも下りも香ばしいいい匂いを放っていた焼きおにぎり屋さん。

いかにもというその煙が、暴力的なほどに魅力的だったのに、食べなかったのがいまだに心残り!

そもそも、焼きおにぎり屋さんなのかどうかもわからない*2けれど、ふわりと半径数mに広がる醤油の焦げた匂い、それから炭の匂いときたら、道行く人すべての視線を一度捉えないことには済まないくらい。

上った時も下りの時も、どちらも今まさに焼いてますというおにぎりがひとつだけ網の上にあって、「あれはパフォーマンス用なのだろうか」とわれわれ姉妹は、どちらかというとそのことの方が気になっていたのだけれど。

 

こしのある讃岐うどんがまだおなかを占領していたので、結局、同じ炭水化物の焼きおにぎりは諦めて、わたしは新年1杯目のコーヒーを飲むことに。

こちらも歴史ある参道からぽかんとそこだけ浮いたように、新しい匂いのするかわいらしいカフェ*3だった。

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手前のカウンターでオーダーを済ませて腰を降ろした店内は、ガラス張りで、なんだかアメリカの西海岸風。

と、自分で書きながらそれがどういう風なのかはよくわからないでいるのだけれど、カジュアルかつシンプルでとても風通しがよい。置いてある椅子もテーブルもそっけないのにとてもおしゃれで、どちらかというと海の近くにありそうなカフェである。

表にはオープンテラス席も何席かあり、きっと緑が綺麗な時期にここでコーヒーを飲むのも気持ちいいだろう、と見えてもいない新緑がまぶたの裏に浮かんでしあわせになるロケーション。

参道から少し奥まった場所にあり、でもしっかり参道は見える距離にあるので、思い思いに防寒した人々が、ゆるゆると上がったり下がったりしていく姿を見ていると、一日そこでぼんやりできそうだ。

ちょうど大学の時、ロータリーを眺めながらメイプルロイヤルミルクティーをすすっていた、駅前のコーヒーショップのようで、熱い飲み物を手にぼんやりと人ごみを眺めていると不思議と心が凪ぐことを思い出す。

冷たい飲み物を片手に海を眺める、というのがいちばんのわたしのデトックス(言うなれば)なのだけれど、それと似たような効果をもたらすのが、上記のシチュエーションで、人ごみと温かいおいしい飲み物というのは都会にあふれているから、なんとか都会でやって行けているようなものである。

そんなことを考えながら、両親がお土産屋さんを見ているうちに頼んだ、ヘーゼルナッツラテを参道に向かい合った窓際の席で見ていると、こんこんとガラス窓をノックされた。

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はじめてのお店では、できるだけシンプルなラテをと思っているだけれど、ヘーゼルとメープル、それからアイリッシュという単語にはやたら弱くて、この時もヘーゼルの文字を見つけるや否や、口が勝手に注文をしていた。

上のホイップもしっかりとしていて、ふわりと甘くて非常においしく、ここだけすくって食べてしまいたいくらいだったので、よしよしと思いながらすすっていると、こちらも買い食いで手をふさいだ妹に呼ばれたのだった。

妹の買い食いはほぼしょっぱいものに限り、この時もその例にもれず、大きなフランクフルトをかじっていた。

お互い一口ちょうだいといはならないのが面白いところで、別にお互いヘーゼルラテがきらいなわけでも、フランクフルトが口に合わないわけでもないのだけれど、なぜか今それは別に欲しくないというタイミングで、それぞれちがったものを買い食いしている。

マスタードのついた口で妹が言うには、もう行けるよ、とのことで、わたしは自分用のラテを左手に、もうひとつ頼んでいたココア(これは母にあげようと思って買った)を慌てて右手に持ち、あわただしくお店を後にした。

 

参道を下り切って商店街へ戻ると、また恐ろしく強い風が吹いていた。不思議だなあと思う。神様のいる場所には、風が吹かないようにでもなっているのかしらん、というくらい。

それでも一仕事終えた気分で熱いコーヒー片手に歩く同じ道は、数十m程度なら我慢できないことはないというくらいには短く思え、「寒い寒い」と「でもやっぱりくじけず来てよかったね」を繰り返しながらだとあっという間だった。

商店街はお昼を過ぎても相変わらず眠たげで、コロッケを売っているお肉屋さんだけは、帰りも変わらず盛況で寒い中列ができている。

「並んでるなあ」と名残惜しそうに言った父と、コロッケとメンチカツを交換して食べることも、お土産屋さんや焼きおにぎりにくわえて、またひとつ、もう一度来なくてはいけない理由のひとつだなあと思いながら、あたたかい車へと急いだ。

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母にと買ったココアを、「毒見してあげる」と無断で先にすすっている妹の横顔を見ながら、この子もわたしも、だいぶ忙しい、と思う。

その「また」は、もしかしたら、2016に数字が変わったこの写真を撮るときかもしれないけど、とぼんやり予測し、まあそれでもいいかと思った時、今更家族の年中行事を新しく作りたいと言いだした母の策略にまんまと乗っている自分を発見した。