羊はあんまり得意じゃない
過日。来年は未年だから、というわけではないけれど、旅行帰りの恋人と待ち合わせ、羊を食べに。
もっとも、たとえば職場、たとえば家族の前では、わたしは「羊はあんまり得意じゃなくて」ということになっている。
当日は、朝起きたときから、夕方から出ていくのが億劫になるほど寒くて、家の中にいても、一歩暖房のきいた部屋から出ると、瞬間でつま先が冷たくなった。
冬になると引っ張り出すテディベア色のローブに、ざっくりと編まれた毛糸の靴下まで解禁して、ようやくベッドから出られるくらいの寒さ。本格的に、冬である。
春から秋まではいつも、家ではできるだけ、さらりとした格好をしていたい、と思っている。暑い夏なんて、エアコンを効かせてできるだけ薄着でいるのが部屋にいる醍醐味だと信じているのだけれど、冬は違う。
ぽかぽかにエアコンを効かせるよりも、なぜか衣服で防寒をしたくなる。
部屋の中で、風邪を引いた時には寝るときにも活躍するネックウォーマーをつけたり、タイツにソックスを重ね履きしたり、大判のストールを羽織って、膝にはブランケット、なんて装備で机に向かうのが不思議と幸せ。
大学1年生の時に吉祥寺の小さなお店で買った、赤を基調としたトラッドなタータンチェックの大判ストールも、何度引っ越してもしっかりついてきている相棒で、数えてみれば早8年にもなる。
洋服はモノトーン系が多いので、小物は鮮やかな色を選ぼうというのは、このストールを手に入れたあたりから続いている意識かもしれない。*1
ぐるぐると羽織りものを巻きつけて表に出ると、5時過ぎなのにもはや真っ暗で、駅ビルで今年は手袋を買おうかなあと、忘れかけていた物欲がわいてくる。
手袋を見ていたはずが、暖かそうなトップグレーのカーディガンに浮気をしたりしていたら、旅先から直接ジンギスカンのお店まで来ると言う恋人から届いた「思ったよりも早く着きそう」というメールに、慌てて電車に飛び乗る。
いつもと違う電車に乗るのは、面白い。お休みなのに、それほどぎゅうぎゅう詰めでない電車に揺られて辿り着いた街で、恋人はお土産で重くなったバッグを傍らに、コーヒーを飲んでいた。
旅行から帰ってきたばかりの人の気配と言うのは、不思議だ。それがたとえ飛行機で十数時間かかる場所への旅でも、特急電車で1時間半の場所でも、寸分の違いなく「知らない匂い」がする。
いつも会っている人なのに、一昨日行ってらっしゃいと言った相手なのに、何か長い長い冒険を終えて帰ってきたような、まるで映画のラストシーンに立ち会ったかのような気持ちになる。
信号が光る交差点が見える席に並んで座り、わたしも一杯、舌をやけどしそうに熱いラテを飲みながら、旅行の後に会う恋人も例にもれず、少しだけ知らない人の顔をしていていいな、と思った。
ほとんど知っていて、ちょっとだけ知らないことがある、というのは、何につけ、いちばん安心で面白い状態だ。
それぞれカップが空になったところで、お店を予約している時間が近づいてきた。もう一人、もう古い(と言っていい)友人と合流することになっていたのだけれど、どうやら休日出勤につき遅れそう、ということで先にお店に向かうことにする。
恋人は旅行先がとにかく寒かったらしく、こんなに寒い東京でマフラーも巻きつけずに、平気な顔をしてすいすいと歩いていく。
そういう少しずつの違和感が面白くて、いっしょに旅行をする機会よりも、別々で旅をする機会が多い現状だけれど、「行ってらっしゃい」「おかえりなさい」の関係も、これはこれで悪くないなという気がするのだった。
ゆるゆるとお酒を飲みながら友人を待ち、駆けつけてきてくれたところで、念願のジンギスカン。
とはいえ、始まったジンギスカンは、混乱をきたした。
そもそも最初から、油をてっぺんにおいてくださいねと言われたのに、半年ぶり以上の空白を埋めるのに忙しくて、誰も聞いていない始末。
お肉を真ん中に集めて焼くというのも、最初すっかりすっぽ抜かしていて、乾杯のビールをきれいに空けたところでようやく、「何かビジュアルがおかしい」ということにみなが気付き始めた。
慌てて油を鉄板に戻し、羊たちを真ん中に集め、敷布団のようにもやしを敷き詰めて、ようやくそれらしい鉄板が出来上がった。
そのあとも気を抜くと喋りすぎて、ついついもやしを焦がしたりしながら、するするとラム肉を胃に収める。
特にこだわっているわけではないのだけれど、同じ何かを囲む食事でも、それが鍋だと俄然相手は家族で、焼肉だと学生の時の友人か、仕事関係の知人でと、だいたい一緒に食べる相手が決まっている。
それで言うと、ジンギスカンを一緒に食べる相手は、恋人と、そしてお互いの共通の友人に限られていて、だからこのちょっと癖のある食事は、いつも少しこそばゆい。
二人でするようなものでもないので、ジンギスカンを食べるときはいつも、我々のどちらのことも知っている誰かもいて、そういうときの恋人は*2旅に出た後でなくても、いつも少し知らない人の横顔をしている。
もくもくと煙まみれになって駅への道のりを歩き、今年最初の「良いお年を」をやりながら、終電の少し前の電車に乗り込んで、ふむ、と思う。
今日もまた、数か月に1回ペースで会う友人の知らなかった顔と同じくらい、隣を歩く人のはじめて見る顔を見た。ジンギスカンは素敵だ。そして、特別だ。
お鍋を食べましょう、焼肉に行きましょう、いっそお好み焼きを焼きましょう。
誰かとごはんを食べるとき、そのどれだって自分から提案するけれど、おいしい羊はもうしばらく、「あんまり得意じゃない」ふりをしようかな、と思っている。