ファンファーレが聴こえる
というわけで、何か楽しいことを書こうと思ったら、そうだそれならポップコーンだろう、と思いついた。
実は食感はあまり得意ではないし、*1ふだん食べたいお菓子として思い浮かべるかというと、けっしてそうではないのだけれど、いちばんしあわせなお菓子は何かと訊かれたら、わたしはおそらく、ポップコーンと答える。
ポップコーンが出てくるシチュエーションで、楽しくなかったことがない。
基本的に、このふしぎな触感のおやつは、ハレの日のものだ。家族やともだち、恋人と遊びに行った先、しかもかなり浮かれた場所でしか、「食べるもの」として浮かんでこない選択肢。
ほぼ、映画館や遊園地の思い出とのみリンクしていて、味や食感の好き嫌いを置いたところで、わたしにとって、かなりしあわせなお菓子であることには違いない。
地元のシネコンは、このフライドポテトのために、映画を1本観てもいい! と思えるくらい個人的にベストな細切り具合のポテトをメニューにかまえているので、映画館でポップコーンを食べるようになったのは、上京してからである。
いつもクラス分けの掲示板の前かというくらい、学生でごった返している新宿ピカデリーのロビーをかき分けて、ポップコーンを手に入れ、母の好きな派手なハリウッドアクションを観たり、妹の好きなゾンビものを観たりした。
わたしは当時ミニシアター系に傾倒していたけれど、ポップコーンの匂いがどんちゃん騒ぎ満載のハリウッド映画によく似合って、母が遊びに来た時にみんなで行く映画館が好きだった。
だから、地元のシネコンでポップコーンを食べたのは、珍しく父もいっしょについてきたときだけだと思う。
ごはんを頼むとき、父はいつも絶対に食べきれないという量を頼もうとし、そんなに入らないとたしなめれば、「余ればもらうから、それもこれも、全部もらいや」という。
足りるか? ほかにはいいのか? が口癖で、それはいつの間にか家族全体にうつっている。母はもちろん、妹もわたしも、初任給で両親と祖父母にごちそうをしたとき、まったく同じセリフを繰り返していて笑ってしまった。
ともかく、それはお菓子でも同じで、「フライドポテトを頼むからいいや」と言う主張に反して、ポップコーンの追加がなされ、やはり多かったバケツを、華麗な銃弾戦の合間に、家族全員で回しながらたいらげた。
ところで、映画館に限らず、だいたいにおいて巡り合ったポップコーンというのは、あっさりと塩味かちょっとこってりとしたバターしょうゆで、だから、はじめて「Seventeen」でディズニーランドにはキャラメル味のポップコーンがあるらしい、と知ったときには衝撃だった。
驚いたし、何よりも、ちっとも味が想像できずに首を捻ったことを覚えている。ポップコーンがキャラメル味。そもそも、ポップコーンが甘いってどういうことなんだろう、と。
はじめて食べたのは、実はほんの数年前だ。
友人も家族も、遊園地に行くとひたすらアトラクションに乗るタイプしかいなくて*2実は恋人が何よりもポップコーンを楽しみにしていたらしい、と発覚したときの驚きたるや。カルチャーショックという言葉すら、ふさわしかった瞬間だと思う。
ひとまずひとつ取ってしまえば落ち着くというわたしにとってのFP的な存在が、恋人にとってはポップコーンらしく、コーンポタージュ味をゲットして、ずいぶん晴れ晴れとした顔をしていた。
あまりにうれしそうなのでバスケットとリフィルを買ってあげたら、今まであげた何よりもうれしそうで、ポップコーンの威力とは、としみじみと感じ入る羽目に。
わたしの恋人には、そういう妙に女子高生っぽい(?)ところがあって、それはつまりお約束や流行りもの、いちばんのおすすめを素直に享受できる性質ということで、その健やかさが面白い。
絶対に好きだろうな、と思ってこの間買って帰ったHillValley*3のポップコーンも、予想通り喜んでくれた。
はじめてなのでmixにしたけれど、ほぼ全面コーティングされているキャラメルがびっくりするほどおいしく、ポップコーンをかりっとした食感に変えてくれ、キャラメルだけでもいいかも! という飽きなさ。
プレゼントだったのに、これなら味も好きと心から言えそう、というくらい結果的にはわたしがはまってしまった。
家で食べるポップコーンというのは、かなり久々。
子どもの頃、わたしはサッポロポテトのBBQ味が好きな子どもで、妹は、ベジタブル味が好きな子どもだった。食べ物にしても、わたしはすき焼きが至高というタイプで、妹は鍋がいちばんそれも水炊きならなおのことよい、というタイプ。
だから、妹がときどき思いついたようにねだる「ご家庭でも調理できる」ポップコーンは、ほぼ妹の胃の中に納まっていた。
でも、ポップコーンができていく過程を見るのは楽しかった。
魔法のようにというよりは、手品のように、ちょっとうさんくさい鮮やかさで、最初はただの茶色い粒だったものが、ぽんぽんっと景気のいい音を立てて、ふわふわの白いお菓子に変身を遂げる。
ポップコーンが弾ける音を聞くと、だから、いつもわたしは5月の午後3時を思い出す。暑くも寒くもなく、宿題もないGWのおやつで、家の近くの小学校で運動会が行われているのか、ファンファーレが鳴っていた。あれはうちで食べるお菓子としても、なかなか憂いなくしあわせだった。
くもりなく、しあわせな記憶としか結びつかないポップコーンには、いつだってどこでだって、ファンファーレとパレードがよく似合う。