ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

An Everyday Affair

三連休。今年の三連休は、フルで休めなかったり、休めてもおひとりさまだったりと、少ししょっぱいものが多かったけれど、2014年最後の三連休は、まるでそれを象徴するようなものになった。

働いて、ひとりで遊んで、この時間。本を読もう映画を観ようとベッドに入ると、次の瞬間には夢の中にいた。

連休前に本を買い込む癖があって、これはその中の1冊。本家はホームズよりルパン派なのだけれど、パスティーシュはどうしてか、断然ホームズ派である。

http://instagram.com/p/vyEBzUr5cU/

ホームズ&ワトソンが女性、というだけで惹かれたのだけれど、読んでみると、主要登場人物すべてが女性になっているところが、非常に面白かった。美女しか出てこない!

オビはイラストになっているけれど、なるほどメディアミックスに向いてそうだなあ、という感じ。ただ、ネタバレを恐れずに忠告すると、真相がなかなかに人を選びそうなものなので、万人にはとてもおすすめできない。*1

せっかく出てくるキャラがみんな立ってるので、もう少しあくの強くないお話でシリーズ化してほしいなあ……。

 

とはいえ、いつもならすらすらと1時間もあれば読み終える薄さ&面白さの本が、今日はなかなか読み終わらなかった。数ページ読んでは寝落ちし、の繰り返し。

この3週間くらい、そんなにたくさんいろいろなくても、と思うくらいにいろいろなことがまとまって起きたせいかもしれない。

それほど平穏な人生でも順風満帆な人生でもないので、悲しみややるせなさに対しては比較的耐性がある方だと思うのだけれど、それでもこんなにいっぺんに起きなくても、という気持ちを整理するには、一日12時間の睡眠くらいが必要なのかも。

起きた後も夢を覚えているタイプではないので、起きていると悲しいときには、わたしは極力眠ってしまうことにしている。

書いて発散してもいいのだけれど、不思議なことに、悲しみと言うのは文章にすると、急に薄っぺらいものに思えてしまえて好きじゃない。一回言葉にして整理すると、「なんだそんなことか」「ありふれたことじゃないの」と変に冷静になってしまうからかもしれない。

ありふれたことで悲しんで何が悪い、というポリシーなので、冷静にならないために、たぶん悲しいことについては、これからもきっと何も書き残さないだろう。*2

 

なので、子どもの頃、わかりやすく『アンネの日記』に憧れて、「にっきさんへ」という出だしで始まる日記を書き始めて以来、途切れたり連日書いたりを繰り返しながら、でもこの20年間ずっと続いている紙の日記には、ほとんど悲しかった記憶は刻まれていない。

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大学生の頃は、講義のノートを取る用のノートとまったく同じノートを教室に持ち込み、1冊では真面目にノートを取り、その合間にもう1冊ではだらだらと「その瞬間」を綴っていた。

だから、学部生から院生の間の日記は、いわゆる日記とは少し違う。

ものすごく事細かに日常がつづられているか、あるいはその日何があったかは一切書かれないままに、頭の中がひたすら書きつけられているかの二択になっている。

でもどちらにせよ、悲しかったことも怒ったことも、ほぼ一切残されていない。

忘れられないことは、いつだって当時の感情そのままによみがえるし、逆にものすごく怒ったことで、きれいさっぱり忘れてしまっていることもある。それでいい。文字で残っているのは、楽しかったことだけで十分。

 

だから、日記に使うノートは、できるだけハッピーなものにすることにしている。

本当は本のような束のあるものが好きなのだけれど、書きやすさと、いちばん頻繁に日記を書いた大学生のときの名残で、20代になってからは薄い平綴じのものを買い求めることが多い。

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このノートは、手のひらにすっぽり収まるサイズ感がかわいくて、ヨーロッパへ旅行に行ったときに、ついついシリーズ買いしてしまった。ドイツ製らしいのだけれど、日本だといったいどこで手に入るのか、真剣に気になっている。

「本を読んでお父さんとお母さんを驚かそう!」というロゴにくすっと来てしまい、他の3冊も衝動買いした。

特に、よくわからない動物キャラの下2冊が、抜群に肩の力が抜けていてかわいくて、これはそれぞれ、その干支が回ってきたらぜひ使おうと思っている。

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と、自分で書きながら、そうかー、ねずみくんの方でも6年後か……と遠い目になってしまった。

6年後。何をしているのか想像もつかない。全然別の場所にいる気もするし、当たり前のように今いる場所にいる気もする。まだ東京にはいるかなあ。たぶん、いるだろうな。それくらいの遠い未来。

でもきっと、そのときにもわたしは変わらず、ありふれた楽しみや喜びを綴っているだろう。何日も休んだ後にまとめてだったり、一日に何度も刻んだり、そのときどきでペースはさまざまでも。

ありふれた悲しみはいつまでも体に残るのに、ありふれた喜びは、その場で刻まないと、すぐにどこかへ消えてしまう。

わたしに負けず劣らず日記を書くのが好きで、もはやライフワークのようになっているらしい妹は、紙の日記だけで3冊もつけており、しばしば「ほんとうに好きだよね、どうしてそんなに書くの?」と旦那さんの笑いを誘っているらしい。

妹がなんと答えたかは聞きそびれたけれど、もし誰かに「なぜ書く」と問われれば、わたしの場合は、きっとこうだ。

――人生がほんの少しいいものに思えるから。

物語と人生は、ご都合主義的にハッピーであってわるいことはひとつもない。

*1:特に男性はどうなんだろう……

*2:逆に冷静になりたいくらい悲しいことに出会ったら、そのときにはきっと書く