ありふれない物語
単純に嗜好の問題として、わたしはハッピーエンドが好きだ。
単純な話が好きだし、ベタな話が好きだ。どこかで聞いたようなストーリーが好きだし、換骨奪胎すれば昔話のあらすじになってしまいそうなプロットが好きだ。奇をてらうのは、キャラクター設定や、演出でいい。
キャラクターや演出は、むしろ癖のあるものの方が好きで、そういうものはシンプルな話でこそ生きる気がする、というのも大きい。
たぶん、ミステリが好きなのも、だからだと思う。すべての物語の中で、ミステリはいちばんベタである。物語には謎が登場し、その謎は何かしらの方法で解かれ、最後にはきちんとオチがついてめでたしめでたしとなる。
少なくとも、わたしはミステリと名乗る以上は、そういったベタな展開を望んでいて、そのしばりの中でどれだけ驚かせてくれるか、ということを楽しみにページをめくる。
ありふれた物語が、どこまでありふれない物語に変わるのか、というのが知りたくて、プロットはベタであればあるほどわくわくする。
そんな“ベタな物語”の中では、ここ数年の中で、抜群だった『キルラキル』。
最初は、TVで放送されているのを「すごくいい」と言われてちらりと観た。そのとき、思ったのは、「昔、母が通っていた鍼の先生の待合室で流れてたアニメみたい」ということ。
たぶん『ど根性ガエル』とか『キューティーハニー』とか、そういう、昔のアニメばかり流しているケーブルTVのチャンネルで、直線がひとつもないようなキャラクターがかわいくて、日常の場面でもいつもどんちゃん騒ぎだなあ、と思ったことを覚えている。
悲しいことに、アニメやらマンガやらは、あまりに素養がなく、ちっともわからないのだけれど、最初は「うわあ懐かしい」と思い、1話を最後まで観て、「ものすごいおもしろいものを観てしまった……!」とあわあわした。
改めてEDを眺めていて、脚本に見慣れたお名前を拝見して、納得。新感線の中島かずきさんかー。なるほど、あのエンタメ感・あのベタさには見覚えがあり、道理でツボなわけである。
途中から録画を失敗したと思い込んでいて*1、DVDが出るまで最後数話は見られず、いざ最終巻が発売されたら、もったいなくてなかなか見られない始末。
特にイベントのなかった今週末、ようやく前巻のディスクからしずしずと開け、一気に最後まで鑑賞した。
7巻のディスクは、物語のWヒロイン(というかWヒーロー?)だった流子と皐月様の2ショット。
新感線の舞台もそうだけれど、超がつくほどのベタなテーマなのに、真ん中に立つ人というのが、中盤あまり主人公らしい動きをしないところが面白い。
『蒼の乱』の将門*2がそうだったように、流子も簡単に悪へ流れそうになり、実際、『キルラキル』だと何回か「えーっと、これって(流子と皐月)どっちが主人公だっけ」という回が続く。その後も、主人公の顔が判別できない回が、何回もある。
まあその間の主人公2人の関係性とか、それぞれの陣営を支える人々の献身とか、そういういちいちが、ほんとうにベタな方程式の中で、最大限にわけがわからない方法で示されて、毎回ほんとうによく笑い、そしてハンカチが必要じゃない回はなかった。
最後のエンドロールもふくめて、合間合間には、とんだはちゃめちゃさをふりまきながら、エッセンスだけまとめてみると最高にベタで、ほんとうに面白いものというのは、ベタから逃げないことでしかできないんじゃないかなあ、と思ってしまった。
DVDでしか観られない幻の最終話もとてもベタで、それが心底すばらしい。
足かけ1年以上(?)楽しんできた物語が完結するところを観てしまって、秋のはじめらしい心がすうすうする気分で、TVの電源を消した。コメンタリーまでしっかり観たので、最後は爆笑してさよならをしたのだけれど、しばらくは反芻してしまいそう。
こういう話だと、だいたいにおいて、主人公に対峙するキャラの方に肩入れしてしまう性質にもかかわらず、どちらかといえば皐月さま派、というくらいで、流子のことも同じくらい大好きなのも大きい。
皐月様派なのには、四天王に弱い、というのもおおいにあり、四天王のシーンではほぼ毎回泣いていた。わたしは絶対に倒れない人よりも、倒れても倒れても立ち上がる人が好きだ。
でもいちばん好きなのは、もしかすると、この子かも。
劣等生と呼ばれ、実際超がつく天然、そしてともかくマイペース。満艦飾マコのハレルヤポーズを観るのが、毎回の癒しだった。のに、のに……!
単なる主人公の親友ポジション、じゃなくて、後半どんどん大事な存在になっていくマコに、泣かされるやら、笑わかされるやらで悔しいくらい。*3
とにもかくにも、残り3ヵ月になった2014年、これがあったからいい1年だった、と思うほどにはいい“物語体験”だった。アニメにこんなにはまるのなんてはじめてで、それもふくめて、ほんとうに楽しく新しい経験になった。