ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

プラリネクロワッサンとただの趣味

木曜日。この秋2度目の秋刀魚を焼いて、食後には、今年初の梨を剥いて、食卓はすっかり秋気分。

夏に来た大きなダイニングテーブルも、家庭らしい料理を載せるのが、だいぶ板についてきて、生まれて初めて食べるホワイトアスパラガスの缶詰に舌鼓を打った。

 

とはいえ、今日の晩ごはんが、久々にちゃんと食事らしい食事。

先週末から今週の頭にかけて、久しぶりにひとりで連続10食を食べて、改めて振り返ってみると、その小麦粉率に驚いた。パンを食べていない食事は、ケーキを食べていたし、小麦粉ベースなのには変わりない。

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DEAN&DELUCAで買った広尾・アレグレスのミルフィーユは、こちらもパイ生地がしっとりとしていてほんとうに美味。食べにくいという理由で外では一切頼まないケーキだけれど、食べるたびに、「夢に見るほどおいしい」と思う。

でも、がんばってフォークを入れてみたら、意外にもパイ生地はあまり抵抗なく切れて、たぶん、今までの人生の中でいちばんきれいに食べられる可能性があったミルフィーユだった。

なぜ可能性かと言うと、お行儀悪くパイ生地でクリームをすくいながら食べてしまったから。クリームはもちろんだけれど、生地がおいしいと、ほんとうにしあわせになる。

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粉もの好きは筋金入りで、まだ実家にいたときから、食事の時にも、選べるのであれば、常にごはんよりもパンを選んできた。

だから、帰省すると必ず「明日の朝ごはんにパン買ってく?」と訊かれるし、晩ごはんが洋食の際には、「ごはんもあるけどパンもいる?」という確認がある。

妹は対照的にごはんさえあればそれでいい、というタイプで、塩もみしたきゅうりと白米という組み合わせで、至極しあわせな顔をしていた。おにぎりも好きで、しかもただの塩にぎりが最高! という白米主義。

今考えると、まったく食の趣味の違う姉妹が共通で好きなもの、というのを見つけ出す必要があった母は、たいへんだったろうなあ、と思う。

 

高校生のときは、好きと言うよりも、ちょっとマニア的に愛しつつあって、インターネットでパンのサイトばかり見ていた。パンとベーグルが好きで、おいしいパン屋さんと聞くと無条件にわくわくした。

暇があれば、大学で上京したら行きたいパン屋さんリストを長くすることに余念がなく、そのいくつかには喜び勇んで最初の数ヶ月で行ったけれど、上京9年目にして、まだまだ店名に線を引けていないお店がたくさんある。

その中の一つに、この間ようやく行けたドミニク・サブロンがある。その当時は、まだ日本に1店舗、赤坂の本店しかなくて、でも赤坂なんて、特に大学生には何の用事もない場所なのだった。

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舞台を観に行ったときに、久しぶりに「ああそういえばあそこにはドミニク・サブロンがある」と思い出したとき、取り戻しつつあるなあと思った。わたしは、もう一度、“好きなもの”のひとつひとつを取り戻しつつある。

あの頃、舞台を観るのが好きで、本を読むのが好きで、散歩が好きな癖にすぐ家に帰りたくなるくらい家が好きで。そして、いつも、おいしいパンを探して生きていた。

働き始めてからの2年間は、趣味と言うのは特殊でないといけないのだと思っていた。話が膨らむ趣味とか、奇をてらった趣味とか、そういう”話のネタになる”好きを必死でかき集めていた気がする。

でも、誰かを感心させるためでも、誰かの興味を引くためでもない、“単純に好きなことがある”という事実の、なんとのびやかなことだろう。

そのひとつひとつを、きちんと思い出している2014年は、わりにいい年になっているんじゃないかと思っている。

ざっと5年越しで食べるプラリネクロワッサンは、プラリネの食感が香ばしく、中からとろっと出てくるチョコレートも絶品で、何よりも生地が美味しく、舌からダイレクトにしあわせになる、初めてなのに懐かしい食感だった。