何度目のいい土曜日
今までずっと、いちばん素敵なのは金曜日の夜だと思っていたけれど、3連休に限って言えば、土曜日の夜がいちばん輝かしい。
今晩深くまで遊んで日曜の午前中がなくなっても、まだもう一度“休日の朝”はやってくるのだ、という安心感。あるいは、たとえ今晩満足に遊べなくても、明日の朝早く起きれば、まだ丸々2日間休日は手つかずで残っているのだという幸福感。
どちらに転んでもいつもの週末と違い、1日分の余裕を感じるのは土曜日の晩で、だいたいにおいて後者を感じることが多いのだけれど、今週末は久々に前者だった。
ほんとうに情けないことに、ここ数ヶ月で、土曜の夜の外出は心楽しいものだということを、忘れかけていた気がする。
動きやすさとか洗いやすさとか、いっそバッグの中での丸めやすさ(!)を重視したのではない、行く街に合った服を選び、それに似合うアクセサリーを選ぶこと。靴擦れしても疲れたと言って休めばいいのだと思って、高いヒールを履くこと。
そういうひとつひとつが、ああお休みなのだ、と叫びだしたいほど幸福でちょっと驚いていしまう。
日が暮れてからゆっくりと準備をし、ものすごく久しぶりに恋人と映画館で映画を観た。どちらかというと邦画を観に行くことが多い恋人と、雑食気味のわたしとの共通項というわけでもない、パニック映画。恋人は人生で初ということで、観終わった後はひたすら感心していた。
個人的にはスカッとしたくなると観たくなるし、何より家族が好きだったので、なじみ深いジャンルだけれど、初めて観る目にはそういう映り方をするのか、と新鮮だった。
個人的には、パニック映画は、主人公が必ず助かるのがいいところだと思う。ほかのどんな映画よりも、安心して観られる。ほかのどんな映画よりも確実に、主人公は最後には、映画の始めよりもしあわせになる。
そして、出てくる父親がかっこよく描かれていれば、ほとんどパニック映画は成功したようなものなので、今回の作品もわたしはたいへん楽しく鑑賞した。
公開から3週間ほど、ということもあって、渋谷の小さな映画館は土曜の夜とは思えないくらい、とても空いていた。
最初の雨のシーンから、ほんとうに窓ガラスをたたいているかのように、身近に音が感じられて、映画を観たというよりは、映画の中のすべてをまるごと体験したような近さで面白かった。
ぱらぱらといたお客さんも、思い思いにくつろいでいて、最近ぎゅうぎゅう詰めの映画館に慣れていた身には、その呼吸が楽な感じがまず心楽しい。
映画の後は、どこに連れて行かれるのかと訝っていたら、ずっと気になっていたお店へ。
川沿いにあるこじんまりとしたお店で、てっきりイタリアンだろうと思っていたら、まさかのタイ料理のお店だという。
バナナの味がしっかりするサングリアで舌を湿らせながら、ひとしきり映画の話をして、久々にこんなにちゃんと向かい合って話をしたなあと反省する。
それにしても、なんていい土曜日だろうと、ほろよい気分でしみじみ眺めた窓の外の川が、ゆらゆらと揺らいでいく。不思議なのは、今日のわたしは久々に、完全にノンアルコールなのだった。
メニューのあれこれは、エスニック系が苦手だとしても食べられそうなくらい、どれもおいしそうだったけれど、その中でもダントツで光り輝いていたのは、季節限定メニュー。
肉食としてはフィレ肉目当で頼み、実際にはお肉はもちろん、よくわからないおいしさのきのこに悶絶した。
最後のひとくちをじゃんけんして、お肉担当ときのこ担当で割り振りながら、いい土曜日だなあともう一度思う。こんないい土曜日を、今年は後何度過ごせるだろう、とも。
3連休のそれほど輝かしくなくてもいいから、残りの土曜日はもう少し貪欲に楽しいことをしようと誓った、9月の半ばだった。