ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

温泉、父の誕生日、ビール、そしてサイダー

父の誕生日のことを書く。父の誕生日に、月明かりの中でサイダーを飲んだ話だ。

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毎年夏の終わりにある父の誕生日は、わたしと妹が学生だったころ、新学期前のどたばたの割を食ってちっとも祝われずにいた。

挙句の果てに、祝うどころか正確には何日なのかということが、しばしば姉妹の間で疑問になるというかわいそうな状態だった。

でも、だからと言って心に余裕が出始めた大学生の頃に上京が変わったかというと、決してそうではない。

そう熱心にではないけれどアルバイトをするようになり、祖父母や母の誕生日は祝うようになったにもかかわらず、父の誕生日だけは、ずいぶんと長い間、手つかずだった。

 

いちばんには、祖父母や母と違って、何をあげれば喜ぶのかさっぱりわからなかった、というところが大きい。

家族や親戚の中で、顔を思い浮かべたときに、いちばんふさわしいプレゼントが浮かんでこないのが父で、その点、かわいいものやきれいなものが好きな母や祖母に比べると、誕生日を祝うハードルが高くなる。

趣味らしい趣味と言えば、野球観戦、でもそれもふらりと学生の試合を観に行くような楽しみ方なので、たとえば野球のチケットだって、だいぶ的外れなものになってしまう。

 

なので、俄然プレゼントは実用的なものになる傾向があり、父の日にはテンピュールの枕を贈ってみたり*1、今年はBIRKENSTOCKを贈ってみたり。

これでいいよと言われて、ちょうど切れていた煙草を買ったこともあった。

今年は何をあげればいいのかもわからなくなって、とりあえず、仕事になんとかきりをつけて地元に帰ることにした。

 

数週間刻みの、またしても弾丸の帰省は、父の誕生日だからと言って特別なこともなく、空港まで迎えに来てくれた父とワインを飲み、翌日は祖父母のもとを訪ね、犬の散歩をするという毎回の帰省のお決まりコース。

母はわたしが帰るというので、はりきって、どう考えてもわたしの好物ばかりの夕食を用意していた。ピーマンの肉詰め、ポテトサラダ、フレッシュモッツァレラとベビーリーフのサラダ、エトセトラエトセトラ……。

 

夕食が終わった後、母が用事を片付けに出ると、ぽかんと時間が空いた。父はわりに、普段はさっさと寝床に引き上げてしまうタイプなのだけれど、なかなか引きあげずにひとりごとのように言った。

温泉にでも行くか、と。

正直、くつろいだ気分だったわたしは外に出るのがめんどくさくて、「いいね行ってらっしゃい」と何の気なく答えた。

温泉、すぐだぞ、と父が言った。

たぶん、あのとき、わたしは初めて、父がわがままを言うのを聞いたのだと思う。人に促してまで、何かをいっしょにしよう、と提案するのを。

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9月がそこに見えた夜の空気は、もう夏というよりはずっと秋に近くて、ぺたぺたと勝手に借りた母のサンダルで歩いても、汗の一つもかかない涼しさだ。そこかしこで虫の合唱も聞こえ、わたしはなんだか不思議な気持ちになる。

飛行機ではるばる東京から1時間半かけて、夏から秋にやってきてしまったような、不思議な気持ちに。

ぽつぽつと言うよりは幾分饒舌に、お互いの仕事の話をしながら、電燈の灯りしかない夜道を進む。東京では、真夜中に帰っても電燈以外の灯りであふれているので、ほわんと清潔な丸が等間隔で並ぶ道が、とても新鮮に感じる。

子どもの頃、よく遊んだ双子が住んでいた場所、3年生のときに転向してしまった友達のいた団地、途中で友達と別れ、最後にはいつもひとりで降りたバス停を辿り、27年この街に本籍を置き続けていて、実は初めて入る温泉へ。

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夏の終わりの温泉街は、夏休みの最後を駆け込みで堪能するように、観光客であふれかえっていて、もうだいぶ涼しくなった往来を、ぶわああっと冷たいミストが冷やしている。

一節では、『千と千尋の神隠し』の温泉宿のモデルとなったともならないとも言われているけれど、小学生のころ、飽きるほど遠足や課外学習で来たせいで、元・地元の小学生としては、あまりありがたみはないのが正直なところ。

時刻はほぼ9時、後1時間で温泉も閉館なのに、人力車のお兄さんのセールスもまだまだ店じまいになる気配がなく、とてもにぎやかな午後9時である。

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いちばんそっけない“神の湯”410円へ向けて一度解散し、30分後には表で涼んでいた。

噂には聞いていたけれど、ほんとうにそっけないお風呂である。真ん中にどーんと楕円形の温泉があり、それをぐるりと洗い場がとりかこんでいるという、子どもがいちばん最初に作ってみた粘土細工のような設計。

入っている人も、15分以上長居をする方がまれで、観光地とは思えないスパンで人が入れ替わる。

入り口から少し入ったところ、正面に描かれたなんだかよくわからない、国語の教科書の挿絵に出てきそうな壁画を眺めながら、わたしは25分ほど、「これがずっと話には聞いてた大衆浴場っぷりかあ」とそれなりの感慨にひたった。

たぶん、わざわざ観光に来るなら、せめて”神の湯 二階席”840円は奮発した方が面白いと思う。そのコースなら、お風呂上りにおせんべいが付き、二回の休憩所が使える。

入り口すぐ横には古き良き自動販売機があり、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳が売られているので、それを買い求めて、だらだらしたりするとしあわせだと思う。


そうはいっても、ただ入ってあがるだけでも、温泉はやはりいいものなのだった。

お湯は熱くなかったか、と合流した父に得意げにきかれ、そんなにでもなかった、というと、今日はそうとう人が来てたみたいだから、いつもよりまぶされてぬるくなってるんだな、とひとりで納得している。

父はその温泉を、まるで自分の庭のように思っているのだった。

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その後、父はビールを、わたしはサイダーを買い、近くの足湯へ。

こちらも夜風に冷やされて記憶ほど熱くない足湯につかりながら、子どもの頃、何度も何度も見たからくり時計が10時を告げる様を、もう一度復習した。

父と見るのは、おそらく大学生の時に夜行バスで帰るとき、バスが来るのを待っているとき以来だ。

そういえば、と思う。

休みの日は早くからお酒を飲んで、8時には寝てしまうのを楽しみにしていた父だけれど、長い大学の休みがついぞ終わるという晩、長々といた娘が東京へ戻るのを、見送ってくれなかったことはなかったことを思い出す。

そういえば、とこれははじめて思い当たる。

あの年もあの年も、もしかしたらわたしは父の誕生日に、東京へと戻っていたのかもしれない。

15分ほどかけて、缶ビール1本とサイダー1本を飲み、バス停ではなく家に向かうとき、「帰るか」と言った父の横顔に、ぷちんともやもやの泡がはじけて、なんだ、誕生日を祝うのなんて簡単なことだったんだ、と知った。

*1:当時わたしがはまっていた