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ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

10年前と、今と

life murmur book

数年ぶりに、昔読んでしっくりこなかった本を、読み直した。

そういうことはときどき会って、さっぱり響かなかった本が半年経つだけで、恐ろしいほどぐっとくるようになっていることもあるし、10年ぶりに読み返しても、「ああやっぱりわからないわ」という気持ちになることもある。

 

今回の『東京タワー』は、そのちょうど中間というところ。

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たぶん、前に一度読んだのは潔癖な女子高生のころで、江國作品で一度しか読んだことがないものというのは、実はとても珍しい。他の本は、まるで自分の日記のように何度も何度も読み返した。

当時のわたしには、そもそもほかの作品にはなかった直接的な情事の描写が多く、まずそれに、あまりなじめなかったのが大きい。たとえば、『ホリーガーデン』の果歩の、いっそあっさりし過ぎている、“倫理”とか“不貞”とかいう言葉と遠い感じの描写の仕方は、あっけらかんと切なくてむしろ読んでいて心地よかったのに。

さすがにもう27歳にもなったので、そういうシーンを飛ばすこともなく読んだけれど、それでもちょうど透と詩史さんの真ん中くらい、という年齢で読む『東京タワー』は、記憶していた以上に、「わかるお話」なのだった。  

東京タワー (新潮文庫)

東京タワー (新潮文庫)

 

単行本の装丁は夜の東京タワー、文庫版は昼の(あるいは朝の)東京タワー。個人的には、お話の中が常に雨で、そして夜のイメージなので、装丁は明るい方が好き。

それなのに、いつもいつも雨に降りこめられているような2人で、東京タワーの夜景が、窓の水滴でにじんでいる風景しか読んでいる間浮かんでこないのは、たぶんこちらも一度観たきりの映画の映像が、それでもすばらしく美しかったせいだろう。

 

ところで、読み返してわかったことが、ひとつある。

たぶん、この作品に出てくる人は、みんな“ふつう”なのだ。江國さんの他の作品に比べると、とてもまとも。

常識人とか、きちんとしている、とかそういうことではなく、だめさ加減とか思考回路の支離滅裂さとか、そういうところが、どの登場人物をとっても、非常に理解しやすい屈折の仕方をしている。

わたしがいちばん好きな江國作品は、『流しのしたの骨』なのだけれど、あの一見ふつうそうな家族のわかりにくさときたら!

風変わりな、でもだからこそ愛おしい、そしてどこか「わかる」生き方をしている登場人物の、ささいなこだわりだったり、新鮮なものごとの見方だったり。

それを、呼吸をするように読むのが、江國作品の醍醐味だと思っているので、ちょっと出てくる人々の言動も考え方もわかりよすぎて、そこがなんだか、しっくりこなかったのかもしれない。

どうだろう、10年後にはまた別のことを言っている気がする。