ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

凛々しいチュール

平日も休日も、いつの頃からか、だいたいスカートを穿いている。

夏は少し動くとぺたりと脚にまとわりついて暑いし、冬は寒いけれど中にタイツを穿くは煩わしいしで、一年で、春と秋の季節のとてもよい何日にしか、この数年、パンツスタイルをしていない。

でも、だからと言って、甘やかな恰好をしているかというと、決してそうではなくてむしろいつもかちっとした雰囲気になる。手持ちのスカートは、カーキのワークタイプのもの、鮮やかなブルーの柄タイト、グレーのスウェットタイト、ネイビーのフレアと寒色ばかりなせいかもしれない。

休日にしか穿かない桜色のスカートも、アシンメトリーなせいで、あまり甘くないし。

 

そんな中、唯一と言っていいほど、スカート然としたスカートがクローゼットの中に1枚ある。

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定期的に(世間的も個人的にも)ブームがくるチュールスカートだ。

たしかもう6年くらい持っているもので、6年前ということは、20歳(!)のときのものだから、ブランド的にもデザイン的にも、そろそろ着こなすのが難しいものだとはわかっているのだけれど、初めて買った甘ったるいスカートなので、なかなか手放せずにいる。

シフォンやら繊細なレースやら、他にも甘い素材はたくさんあるにも関わらず、チュールがわたしにとって、ひとつ飛びぬけて特別なのは、たぶん、“発表会”のイメージがあるせいだろう。

 

子どもの頃、妹といっしょに、それほど熱心ではないが、長い間、ピアノを習っていた。

普段はだんだんとレッスンのときに、その週初めて楽譜を開くという、不良生徒に成り下がっていたのだけれど、発表会の季節だけは別だった。弾いてみたい曲を選び、ごはんの前には*1ぽろんぽろんとそれらしい顔をして、鍵盤をたたいてみた。

でも、何が楽しみだったかというと、普段は着られないドレスである。

いつも家族でドライブする道なりに、ひとつ小さなドレスショップがあって、私たち姉妹は、季節ごとに少し違うウェディングドレスが飾られているそのウィンドウを、後部座席に並んで、口を開けて眺めていた。

ちょうど信号の手前にあるお店で、信号が赤になると、なんだか得をした気分になったものである。

そのお店に、一年で唯一、足を踏み入れるのが、ピアノの発表会の衣装を調達する夏の終わりだった。

 

もっとも、実際には、すぐに大人っぽい恰好をしたい年頃になったことも手伝い、小さいころにお絵かきで描いていたようなドレスは、ほとんど着なかった。フリルとかリボンとか、そういうのがどっさりついたパステルのやつは。

ただ、何歳の時だったか、一度だけ、妹とおそろいでふわふわのドレスにしたことがある。すっきりとした白地に、袖と裾だけ、淡いピンクとラベンダーのチュールが何枚も重ねられていた。

なんというか、おとぎ話のというよりは、お菓子の国のドレスのようだった。

翌年はやはり照れくさくて、たしか深い紅のあっさりとしたドレスにしたけれど、あのフリルともレースとも違う、金平糖のような儚さは一回きりにもかからわず、ぐっと体に染みついている。

 

その儚さが、ときどき無性に手に入れたくなって、チュールスカートが流行った年は、しめしめと思う。

とはいえ、いつもがそっけない恰好をしているものだから、タイツのグレーやら、くすんだレオパードのコートやら、深いワインレッドのパンプスやらで、総がかりで甘さを取った方が落ち着いて、必然的に出番は秋から冬の方が多い。

春に流行り始めた年には、もう少し続けよ続け、と内心そわそわしながら夏を過ごす。

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細かなドットが散らされ、チュール部分だけ3段のティアードになっているこれは、辛口のもので固める以外は、なかなか出番がなくなってきて、スカートよりももう少し使い勝手がよさそうなワンピースドッキング型のものを、今年の春は買い足した。

すとんとしたデザインで、色も少しスモーキーなペールブルー。丈も、きちんと膝上ぎりぎりまである。

チュールの儚さはそのままに、照れもなく、気負いもなく着られそうな1枚なのだけれど、それでもクローゼットの中にその姿を見とめるたびに、少しだけ背筋が伸びる。

もう、何を発表するわけでもないけれど、チュールを身に着けると今でも、背筋を伸ばして、しっかりと前を向いて、いつもより綺麗に歩き出さなければならない気がするのだ。

 

*1:我が家はマンション住まいだったので、あまり遅い時間にピアノを弾くのは憚られるのだった