ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

6月のホットチョコレート

土曜日、人生でいちばんおいしいホットチョコレートを飲んだ。

 

6月の土曜日にホットチョコレートを飲むことは、人生においてそんなにない。

家で作る飲み物も、どんどん冷たいものばかりになってくる時期だし、なんならついついソーダやジンジャーエールを買って帰ってしまう。

外で頼むにしても、せいぜい早過ぎるクーラーの効いた店内で、時間をかけて食事をし、すっかり体が冷えたあたりで、コーヒーや紅茶を頼むときくらいである。

 

昨日までの”人生でいちばんおいしい”ホットチョコレートは、2年前、極寒の北海道で飲んだ。

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もちろん季節は冬、2回目になる小樽で、初めて行ったときには、ここが北海道かという夏日だったのもあって、ほんとうに異世界に来たかのようだった。

 

雪あかりの路*1を歩くために、新千歳から直接汽車に乗ったはいいのだけれど、とにもかくにも、寒かったのを覚えている。凍てつくような、というか、むしろもう冷気に刺されているかのような寒さで、とても表を歩いていられないくらいに。

駅に降り立ち、去っていく汽車から粉雪の嵐が舞いおこるのを眺め、市場をぶらぶらと練り歩き、朝ごはんにはちょっと贅沢に過ぎる、食べても食べても減らない海鮮丼を食べたまでは温かい気持ちだった。

 

一歩外に出ると、雪あかりが実施されようという2月の小樽は、想像していた北海道の上を行く寒さだった。

その冬、わたしは人生ではじめて、(主に暖を取るために)ニーハイブーツというものを買ったのだけれど、ともかくそんなものでは太刀打ちできないほどの寒さ。ニーハイであればとストッキングなどを穿いていたせいで、お昼を過ぎるころには太ももは赤くなっていた。

それでも雪の道を歩くのは面白くて、入ったお土産のお店でワインなど舐めながら歩くと、少しは体があたたまる。そんなことをしてはまた外を歩く、を繰り返していて、もうどうしようもなくなったとき、おそらくソフトクリームが有名な小さなお店に駆け込んだ。

 

ちょうどおやつの時間だというのに、さすがにこの季節にソフトクリームというのは、たとえばチーズケーキなんかとは違って、分が悪いらしい。お客さんは、わたしたち以外にいなかった。

一日中そんな調子らしく、眠たげな店員のお姉さんに、温かいものはないかと尋ねて指さされたのが、ホットチョコレートだった。

黄緑のギンガムチェックのクロスが挽かれたテーブルで向かい合い、すすったカップの幸福だったこと!

温かくてひたすら甘い、飲み物というには少しとろりとしたチョコレートを飲み下すと、最初に喉が、そして次に胸が、最後におなかが、少しずつ少しずつ温かくなる。

外の寒さがしんと伝わってくるようなソファに腰掛けて、ホットチョコレートというのは、いいものだな、と思った。凍えてしまいそうな日に口にすると、とろりと甘く、どこか昔話で読んだ魔法の薬のような味がする。

それは、小説でも読んだこの作品の、スパイスの入ったホットチョコレートの描写が、今でも好きなせいかもしれないけれど。 

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昨日は、確かに6月も下旬の土曜日にしては寒く、歩いて帰るには少し風も強かったけれど、それよりも、久々に心がすうすうしていた夕方5時だった。

歩いて帰ろう、と恋人が言い出したとき、単に涼しいからだろうと思った。半分上の空で歩いて着いた先が、家ではなくて、コーヒーショップのカウンターで、驚いた。

思うのだけれど、やっぱり、温かい飲み物というのは、一種の魔法なのだろう。それも手頃な。

喉が渇いているときの冷たい飲み物が、純粋に体のための飲み物なのに対して、温かい飲み物は、心に流し込んでいる感じがする。誘われるにしても、心に振る舞われている気持ちになる。

「なんでも好きなものを頼んでいいよ」

頼むものは決まっていた。たぶん、最初で最後の、6月のホットチョコレートだった。