10th of May
この時期になると、ふだんは気にもしない郵便受けが、俄然、気になってくる。そわそわとダイヤルを回し、チラシだけだとわかりやすくがっかりして、回収し損ねていた公共料金の明細なんかを持って部屋に引き上げる。
毎月、月の頭には、"My Little Box"が届くのだ。
一度記事にして以来、なかなか記事にする機会がなかったけれど、そろそろ、毎月10日を楽しみにする生活にも、慣れてきた。厳密には、10日とは限らないのだけれど、10日を過ぎることはほとんどないので、なんとなく、そこを目安に楽しみに待つことにしている。
だいたいくたくたに疲れた週の終り、金曜日の夜に宅配ボックスからひきあげる、という流れが続いていたのだけれど、今月は、久々におやすみに届いた。
土曜日の朝いちばんのインターホンの音は、たいてい、望んでいない勧誘だったりするのに、今週末のそれは、隣の部屋から聞こえるお知らせに跳ね起きたくなる、休日のごほうびの音だった。
届いてすぐに、かわいいダンボールを開けたのも久々である。4月のBOXデザインがとてもかわいかったので、ふむ、今回はなんだか5月なのにあんまりさわやかじゃないなあ、デジタルBOXってなんなんだろう? と少し首をひねりながら、開けてみると、いつもの黒いリボンがお目見え。
開けてもすぐに中身がすべて見えない仕組み、それもかわいいカードで目隠しされているというのは、わくわくを増長させるシステムだなあと、何度開けても思う。いちばん楽しみにしているコスメは、さらにこの後、オリジナルプリントの施された巾着を開けないと出てこないのがまたにくい。
たぶん、"My Little Box”のコンセプトは、そういうことなのだろう。プレゼントというのは、焦らされれば焦らされるほど楽しく、もったいぶられればもったいぶられるほど、心に残る。それが細部まで徹底していて、わたしはたぶん、毎月、安心して、予定調和に、きちんとおどろかせてほしくて、このBOXを続けている。
時間をかけるということが、サプライズのいちばんのスパイスだということを、毎回このBOXを開けるたびに実感する。
リボンをほどき、なにやらぎっしり詰まっている中身を見てみると、今回のみっしりは、どうやら雑貨が原因のよう。
箱の中には、「デジタル」というテーマから、もっとガジェットっぽい男の子要素が強いものを連想してしまった、貧困な自分の想像力を恥じ入るほど、淡いトーンが広がっていた。
いちばん左のくるくると丸められているのは、弾力のある素材のMacbook Airケース。BOXのイラストのカラーリング違い、といったところなのだけれど、こちらは淡いグリーンがとても5月らしくてさわやかである。*1
コスメは、パッケージがかわいいオリジナルのボディクリームと、ロレアルのまつげ美容液というケアアイテム2つに、ネイルシール。コスメは最近ケア系が多くてもう一声、という感じだけれど、その分、雑貨は回を追うごとに可愛くなっている気がする。
今回思わず歓声を上げてしまったのは、キーボードシール。ちょっとくすんだ色味で、ここでピンク系じゃないのがまた可愛すぎず、とても可愛い。
無骨なものをかわいくする、という発想自体がうれしいのは、やっぱりエル・ウッズ世代ということなのだろうか。あの映画のすべてピンクに染めてしまう心意気が、わたしもやはり、とても好きだった。
まずはほぼ使わないテンキーに貼ってみたら、はがすのも簡単だったので、安心して文字パートにも貼ることに。
キーボードによっては、貼れないものもありそうで、わたしも何個か諦め、何個かはお茶をにごしながら完成させた。
たぶん、こちらもMac用なので、候補にないウィンドウズボタンは、ちがうものでなんとなく代用。
今のPCは、たしか4・5年前に真っ白がかわいいというだけの理由で買ったものだけれど、だいぶ長く使っているのでここらへんで少し、模様替えをしても、というタイミングだったので非常に楽しかった。*2
出来上がったPCは、開くたびに、キーボードまで初夏めいていて、なんだかいい気分。飽きるまでは、しばらくこれで行こうと思う。
プレゼントというのは、特に欲していないものほど楽しいし、こうして存在も知らなかったものが贈られてくると、まだまだわたしは色んなことを楽しめるんだな、とそのこと自体がうれしくなった。
大人になって、もう自分の好みもほぼきちんとわかってきて、素直に好み通りのものを手元に置くようになった分、自分で選ぶとどうしても「最初からわかっていた」ものになる。
だれかに物を選んでもらうことが、年々少なくなっている今の年だからこそ、こんなにこのBOXがたのしいのかもしれない。ちょっと月1ペースで、このレベルのサプライズは、身近な人には申し訳なくて期待できないし。
自分でサプライズを購入する、というのは、とても現代的な”夢のある話”だなあ、と思う。
ところで、月に一度、こうして郵便受けを楽しみに開ける感覚を、どこかで知っているなあと思ったら、そのものずばり、10代のときのパリの女の子との文通だった。
小さなマニキュアとか、かわいいしおりとか、青いインクの手紙と共に、そういうこまごまとしたものが届くのが、わたしはとても楽しみで、メールのやりとりから派生したその文通は、しばらく続いた。
お互い、進級して忙しくなったタイミングで、うやむやになってしまったけれど、そういえばそんなこともあったなあ、とすっかり忘れていたことを思いだして、来月の10日が、今から既に楽しみになっている。
届くまでが楽しくて、届いてもきちんとうれしい、は飽きる暇がないみたいだ。