ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

黄緑をほおばる

衣替えを(ほぼ)完全に終え、先週から少しずつ春物で出かけている。コートは欲しいけれど、室内ではもうニットはちょっといらないかな、という気候。先週は雨が降ったせいもあって、特に行きの電車はすでにむしむしとしていた。

服を変え、靴を変え、香りも春仕様に変えて、毎日のごはんも少しずつ冬はおしまいにしている。思えば、年が明けてから、年末はあんなにしていたお鍋も1回くらいしかしていないかもしれない。シチューを食べたいという気持ちは、完全に過ぎ去った。

代わりに、数年ぶりに今年の春は、豆ごはんに間に合った。

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白に黄緑、というこの配色だけで心浮き立つのだけれど、混ぜご飯の中ではもっともシンプルな、出汁と塩がほんの少し、というミニマルな味付けがほんとうに好きで、実家にいた頃は、この時期になると毎年リクエストしていた。

ごはんと一緒に豆も炊き込む方が楽なのだけれど、きれいな黄緑がちょっとくすんでしまいのが悲しくて、今回はきちんと別にゆでてみた。なるほどさあっと緑が明るくなって、後から混ぜ込み形式の方が、ずっときれいな色になる。でも、味は一緒に炊いた方がなじんでいるので、もう一回するなら今度は炊き込んでみてもいいかも。

最近ようやく克服した魚焼き器*1で、ぱりっと皮まで焼けた鱈でもう一つ白を足して、これは黄色がきれいだなあ、と思って作ったたまごのお味噌汁を追加で用意し、とても春らしい晩ごはんになった。

 

それにしても、ぱりっと焼けた魚の皮というのは、行楽という気持ちになる食べ物だな、と思う。

毎年GWになると、家族で川に魚釣りにでかけた。竿を貸してくれるお店で塩をふって焼いてもらい、それを川辺の大きな石に銘々腰掛けながら、たいらげた。だからか、家の中で、もう22時に近いような時刻に食べても、なんだかすがすがしい味がする食べ物である。

その中で、鮭の皮だけは、必ず毎回旅先の朝を思い出すというピンポイントな記憶のつながり方も面白い。

 

別の日は、キャベツで黄緑を摂取。さっとゆでたキャベツをくたくたに和える、サラダ? マリネ? 謎の食べ物なのだけれど、かつお節がきいていてこれもとても春らしい味である。 

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しょうがの味のしみた鶏肉をぱりっと焼いて、この日は、朝ごはんに炊いたごはんがほぼまるっと残っていたので、焼きおにぎりを作ることに。

薄く油をひいたフライパンで塩コショウと、少しだけ出汁を回し入れて炒め、それをきゅきゅっと小さめに握って、ぽたぽたと醤油をたらして、あとはひたすら弱火でじっくり焼く。わたしは、女性にしては手が大きい方だと自負しているのだけれど、なぜかおにぎりだけは、普通よりも一回りは小さいものしか握れない。

むらになるようにたらした醤油が香ばしく、でも市販のものよりずっと淡い味なので、1個で満足せずに何個も食べられてごはんもちゃんと消化できた。

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春なのに、天候が不安定でちっともお花見にもピクニックにも行けないせいか、なんだか家の中でお弁当みたいなごはんばかり食べている春である。今夜も、おにぎりをにぎろうかな、などともくろんでいる。

*1:なぜかずっと洗い物が大変、という偏見があって使ってなかったのだけれど、とても簡単だと突然気づいた。