ときどき晴れのくもり空

いつか想像してた未来と今が少し違っていたって

ミルクを沸かして

最近、家でコーヒーを飲むのが楽しい。

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もともとは、俄然紅茶党で、実家にいたときから、ひとりでよくお茶を飲んでいた。お歳暮やなんやかんやでいただく紅茶は、だいたいわたしが担当で、賞味期限を切らさないようにそういうときはいつもより尚、精力的に飲んだ。

 

わたしが家で紅茶を恒常的に飲むようになったのは、もっぱら江國香織作品の影響と*1、それからおそらく中学校の英語の先生の「わたしは紅茶には砂糖を入れずに飲むの」という言葉に受けた衝撃によるところが大きい。

それまでは紅茶というのはすなわちミルクティーで、甘いものが飲みたいときに飲むものだと思っていたのだけれど、そういう紅茶なら、たとえば夜中の3時にだってごくごく罪悪感なく飲めるのだった。*2

甘くない紅茶、というのを発見したわたしは、子どもの頃、祖父母の家でなにはなくとも常にあたたかい煎茶を作っては飲んで時を過ごしたときのように、また、隙あらばお茶を入れる生活に戻ったのである。

それは大学生になっても続き、すっかりパン食になったことも手伝い、毎日必ず2度は紅茶を入れる生活を、たぶん6年間きっちりやったことになる。東京の水がおいしくなくても、沸かしてしまえば平気だし、紅茶というのはミネラルウォーターを切らしたときにも、とても心強い存在だった。

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でも、コーヒーがきらいだったかというと、決してそうではなく、コーヒーというと、圧倒的に外で飲むものだったというのが正しい。海外ドラマ(『F・R・I・E・N・D・S』や『サブリナ』)で育ったわたしにとって、顔ほどもある大きなマグカップのコーヒーは憧れで、喫茶店でなくコーヒーショップというものが街にあるというのは素敵だろうなあ、と常々思っていた。

10代の半ばくらいから日本にもスターバックスが入り、その夢は実現するわけだけれど、その分更に、コーヒーは外の飲み物、という気持ちが強くなった気がする。何時間にも及ぶおしゃべり、iPodを聞きながらする3限目の課題、遅れているバスを待つ数分間。そういうものが、コーヒーにはよく似合う。

 

なので、恋人の家に初めて行ったとき、整然としたキッチンの片隅に当たり前のようにミルがあったときには、驚いた。別々のところで育ったんだなあ、と思うことは多々あり、それがとても好ましいのだけれど、その最たるものは、恋人は”家の飲み物”がコーヒーだということである。

まだぎこちない沈黙の中で、恋人は豆を挽き始めた。手で挽くタイプのもので、1回で2杯分の豆までしか挽けない小さなミルで。

TVをつけていない部屋はとても静かで、わたしは物珍しくて腰掛けもせずに、その手元を見つめていた。覚えているのは、音と香りと、それからなぜか「眠れないときにはこの音を聞かせてもらおう」と思ったこと。これから長くいっしょにいるんだろうな、と思い始めていたのかもしれない。

他にも、ミルというのはかわいいものだなあ、と思ったことも覚えている。そして豆から挽いて淹れてくれたコーヒーは、たしかに気取らず、そしてほっとする飲み物なのだった。

 

そういうわけで、家でコーヒーを飲むことになったのは、この恋が始まって以来の革新的変化なので、その責任を取ってもらう意味も込めて、今年のバレンタインはミルクフォーザーにした。

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ミルクフォーザー、というものの存在を、わたしはバレンタインにかこつけてなぜかおしゃれしゃもじ(?)を売ろうとしている駅ビルの6Fで見つけたのだけれど、見つけた瞬間に、これしかない! と確信。

なんだか神聖な気持ちで、わたしはずっとミルには触れずにいた。コーヒーが飲みたいときは淹れてもらい、恋人がいないときには、昔のように紅茶を飲んだ。でも、ここ最近、コーヒーを飲みたくなる頻度が高くなり、お返しに紅茶を淹れるのじゃなくて、何かしたいと常々思っていたのだ。

それには、淹れたてのコーヒーに注ぐミルクを泡立てる器械は、ぴったりの贈り物に思えた。

 

先月の14日以来、わたしもキッチンに立ち、気に入りの豆が挽かれる音を聴きながら、となりでミルクをあたため、コーヒー作りに参加する。ワンタッチで動き、つめたいミルクでも、あっためたミルクでも、試したところだと生クリームでも、きちんときめ細かな泡が立つ。

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これからは甘いコーヒーが飲みたいときでも、休みの日に一歩も家から出なくたって平気なのだ。なんて素晴らしい。

そして、ミルクを泡立てるという係が割り当てられて、今まで以上に、家で飲むコーヒーが楽しくなっている。いそいそとミルクを冷蔵庫から出し、小さなお鍋を火にかけているとき、毎回ふっと思う。コーヒーも凛々しいだけの飲み物ではないのだなあ、と。

そんな風に甘いコーヒーが、わたしは最近、すごく好きだ。

*1:『ホリーガーデン』も『流しの下の骨』も、それはもう何度も紅茶を飲む描写が出てくる。

*2:一応、ダイエット的なことを気にしている年代だった。